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2004.10.19
 
 


茶のこころの意味…

 博多の大茶会をきっかけとして、ながながと、素人による茶の流派の話を続けてしまった。間違いもあるかもしれない。
  → 「博多大茶会に想う 」 (2004年10月14日)
  → 「茶道流派とは」 (2004年10月15日)
  → 「煎茶道と抹茶道の差」 (2004年10月18日)

 ここまで、こだわってしまったのは、現在の茶の湯があまりに、ビジネスや政治と隔離されたものになっているように映るからである。
 茶会の写真を見ると、宗家関係者以外はほとんどが美しい和服を召した女性である。女性ばかりだから問題という訳ではないが、侘び茶の世界からは程遠い印象は否めない。

 もっとも、「茶ごごろ」とは何か、と言われても簡単には答えられないが、そんな題名の本(1)を読むと、なんとはなしにわかった気になる。

 茶の湯の本質は、ビジネスや政治といった現実のどろどろした問題から離れ、質の高い精神性を維持しながら、お客様をもてなすことにある。

 しかし、同じようなことは、酒でもできるかもしれない。

 李白の「山中與幽人對酌」はそうした情景そのものである。

  両人對酌山花開
  一杯一杯復一杯
  我酔欲眠卿且去
  明朝有意抱琴來

 これは、侘び茶とは全く違う思想だ。

 茶は、酔うのではなく、覚醒するから意味がある。
 そして、満開の花では精神性は高まらない。一面の雪の蔭で、耐えて咲いている小さな一輪を発見し、そこから、春の一面の花の情景を想像し、一輪の美しさを発見するのが、侘びの思想だろう。

 要するに、五感を殺すことで、かえって美が研ぎ澄まされるという考え方だ。

 隠遁者、李白の美学とは正反対なのである。
 華やかさは、もっての他なのだ。

 茶会がお開きになり、お客様は帰る。ここがさらに重要である。
 帰ってから、茶会の余韻を楽しむのである。もてなした側も後片付けをしながら、喜びを噛みしめる。これが一期一会の考え方だろう。
 李白の、明日又来い、とは気迫が違うのである。

 このような余韻を残せる関係を保てる人が相対するのが、茶会だ。お互いの緊張関係を前提とした楽しみ方である。美意識をぶつけ合う場でもある。
 大イベントの茶会で、このような思想を生かすのは難しいと思われる。

 茶会は、本質的に、大衆的な文化祭と対立するものではないだろうか。

 茶の湯は、基本的に数寄者文化である。
 ビジネスや政治という現実世界から離れ、文化に耽溺するということでもある。これは大衆文化とは対極に位置していると考えるべきだろう。

 しかし、ここで間違えてはいけない。

 茶の湯は、ビジネスや政治に無関係な人がたしなむ趣味ではない。
 生臭い世界に触れる人達が、現実から離れて高い精神性を求めるためのものである。

 矛盾を抱えながら、高い精神性を求める場が、茶の湯なのだと思う。

 今、この意義が忘れられているのではないだろうか。

 隠遁者兼好の随筆と言われている徒然草を思いだしてみよう。
 「花は盛りを、月はくまなきを見たいと思うのが人情」だ。兼好もそうした思いを吐露している。しかし、「雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情深し」とも記すのである。(2)
 数寄者がいる社会だから、こうした深い見方ができるのである。ビジネスや政治一辺倒の社会には、このような心の余裕はない。

 数寄者も、隠遁者も、世間の中心にいることもできる人であることを忘れてはならない。無関心を決め込む一般庶民ではない。ビジネスや政治の世界で影響力を発揮できるキャパシティを持っており、周囲もそう考えている人だからこそ、茶の精神性が成り立つのである。

 従って、茶の湯が、華美になったり、ビジネスや政治と絡むのは、いたしかたない。もともとが、そのような人達が、自省の念を持つために始めたものだからである。

 残念ながら、そのような「茶ごころ」の話を、最近はさっぱり聞かなくなった。さびしいものである。

 --- 参照 ---
(1) 近藤道生著「茶ごごろ」新潮社 1996年
(2) 山極圭司著「徒然草を解く」吉川弘文館 1992年


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