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2004.11.16 |
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神道の見方(2:祖先神)狭い地域社会で生活が成り立っているうちは、土着の自然霊に対する信仰が主流だった、と思う。→ 「神道の見方(1:土着霊) 」 (2004年11月15日) しかし、生活圏が広がり、部族的な紐帯が必要になると、部族固有の信仰神を祀る必要が生じてくる。そのため、古代神話の神と、土着の霊との融合がおきる。 これは、大昔の話のように聞こえるが、現時点でも生きている流れである。 例えば、関東では、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)をご祭神とする神社をところどころで見かける。 氷川神社である。出雲出身の武蔵氏が統治していた地域だから、氏神様として広がったと思われる。氷川という名称は、出雲の川の名に由来していると語る人も多い。 出雲の神の国が、今もって続いていることがわかる。 これを、部族による地域支配と見ることもできるが、それは後世の勝手な位置づけだと思う。恐ろしい「自然」にひれ伏していた状況から、「自然」に挑戦し始めるようになったから、崇拝対象が変わったと考えるべきだろう。 要するに、恐ろしい自然を象徴する土着霊を従える「神」が登場したのである。「神」とは、「自然」に挑戦する知力を持つ、神々しい部族長を指すのは間違いあるまい。部族の祖先神が、土着霊を抑えるため、両者は合体したのである。 荒々しい土着霊は、神域に閉じ込められ、人に悪さができなくなった訳である。 最古の神社とされる大神神社を見ると、その流れがよくわかる。 ご神体は「三輪山」という自然だ。古代は、山が恐れの象徴だったことがわかる。 しかし、この山は、同時に神話に登場する「神」と同じものとされる。(1) 大国主神(おおくにぬしのかみ)が自らの魂をお鎮めになり、倭の大物主神(おおものぬしのかみ)の御名をもってお祀りされたというのだ。 なんとなく、道教の影響を感じさせるが、神話の神と土着霊が統合された神道の原初と考えてよいだろう。 この原初の感覚は、今でも受け継がれていると思う。 神社を参拝すると、日本人として、深く感じいる、と語る人が多いからだ。 おそらく、深い緑と流水という環境に入ると、古代から連綿と受け継がれてきた感覚が呼び覚まされるのだ。だからこそ、神社への信仰が続いているのではないだろうか。 --- 参照 --- (1) http://www.oomiwa.or.jp/c02/c02_01.html 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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