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2004.11.17
 
 


神道の見方(3:鎮守様)

 狭い地域社会で、自然の驚異に立ち向かう力も無い状態で、生活を営んでいたうちは、土着の自然霊に対する恐れの信仰が主流だった、と思う。
  → 「神道の見方(1:土着霊) 」 (2004年11月15日)

 しかし、「自然」への挑戦が始まる。土着霊を従える動きであるから、当然ながら、「神」としての振る舞いといえる。これが、祖先神を祀ることの意味だと思う。表面的には、古代神話の神と、土着の霊との融合である。
  → 「神道の見方(2:祖先神) 」 (2004年11月16日)

 最古の神社とされる大神神社では、神話の神である大物主神がをもってお祀りされている。(1)

 しかし、日本の神道の源流とされる伊勢神宮にお祀りされているのは、大国主神ではなく、天照大御神である。(2)

 大神神社と違い、信仰のご神体は、「自然」ではない。
 お祀りの由縁は神話のなかの3種の神器である。土着霊信仰と、部族の祖先神を、その地で融合する動きを越えている。
 時代から考えれば、儒教の影響を受けているような感じがする。自然への挑戦が一段落すれば、産業の勃興となるから、産業を支える人々を、まとめる力が必要となる。その力を持つ部族の祖先神が敬われる訳だ。
 土着霊と融合した部族の祖先神のなかで、象徴的な地位を占めた神、と言えそうである。

 実際、今でも、様々な祖先神は祀られている。

 例えば、中臣氏は天児屋命(あめのこやねのみこと)、忌部氏は天布刀玉命(あめのふとたまのみこと)といった祖先神をお祀りしているし、物部氏は神剣を象徴する布都御魂(ふつのみたま)を信仰している。(3)

 日本中で見かける「お稲荷さん」にしても、御祭神は、宇加之御魂大神(ウカノミタマは)、保食神(ウケモチ)、あるいは御食津神(ミケツ)、だが、欽明天皇が登用した、新羅出身の秦氏の守護神である。(4)

 よく考えれば、我々は極く自然に、地元の神社を「氏神様」と呼んでいる。これこそ、氏族信仰の名残といえよう。
 氏族の信仰する祖先神と、土着の霊信仰が合体した訳である。

 しかし、社会が発達すると、地域経済が活性化する。自然の猛威を収める祖先神より、産業振興の祖先神が敬われることになる。集落の安寧を願う気持ちが高まる。
 これが、「鎮守様」の発生の原点だと思う。

 「氏神様」が、「鎮守様」あるいは「産土(うぶすな)様」に代わっていったのである。
 このような流れが主流になったのは、荘園制度のお蔭だと見てよいだろう。
 明瞭な血縁関係がなくても、同一の文化の下で生活するなら、氏族同様の扱いを受けるようにしたのである。
 (神社を支える地域の人々や、お祭りに参加する人は「氏子(うじこ)」と呼ばれる。)

 氏族の浮沈が、その氏族神を敬う人々の数を決めただろうが、土着霊信仰の伝統を取り入れた正統派神社が、広く受け入れられてきたようだ。

 「鎮守様」は、大抵は、自然のなかに溶け込んでいる。「木」の霊気を感じさせるような、飾り気のない様式の建物が多い。

 伊勢神宮は典型である。

 建物だから、当然ながら人工物だが、掘立柱に萱の屋根という、驚くほど簡素で飾り気がない様式を採用しており、自然物に近い。しかも、無垢な材料しか使わない。そして、必ず、自然に返す。
 象徴は、鳥居だ。自然木で素直に作られたものである。

 この精神性は、日本古来の霊信仰に由来していると思われる。

 要するに、土着の自然霊信仰を結晶化したものと、為政者としての氏族神が違和感なく融合したものが各地の「鎮守様」であり、その象徴としての伊勢神宮なのである。

 「鎮守様」信仰が、日本の神道の基本形だと思う。
 → (2004年11月18日)

 --- 参照 ---
(1) http://www.oomiwa.or.jp/c02/c02_01.html
(2) http://www.isejingu.or.jp/isemairi/isebody.htm
(3) http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/ujigamisama/index.html
(4) http://www.inari.jp/b_shinko/index.html


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