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2005.11.30
 
 


古事記を読み解く [天岩戸]

 “天安河の誓約”の次は、有名な“天岩戸”である。
  → 「古事記を読み解く [天安河の誓約] 」 (2005年11月22日)

 誓約で晴れて潔白の身になったと誇る「スサノオの命」は、追放をまぬがれる。
 と言うより、支持は集めたものの、武力勢力を一掃する力はないので、妥協したということだろう。

 そこで、「スサノオの命」は、畦を壊したり、溝を使えなくしたり、糞を撒いたりして、乱暴なふるまいを行う。稲作現場を壊したり、宗教の権威を落とす狼藉行為で挑発したといえよう。
 ところが、高天原の神々が直訴しても、「あまてらす大神」は許す。勝てる相手ではないと判断し、武力対決を避けたのである。
(天照大御神者. 登賀米受而告. 如粉屎. 酔而吐散登許曽.)

 その態度を見計らったように、「スサノオの命」は、神々用の衣類をつくっている機織り場に、屋根から、逆さに剥いだ斑模様の馬の皮を投げ込む。驚いた機織女は梭を突いて死んでしまう。

 このことは、「スサノオの命」は武装勢力というだけでなく、稲田開発を妨害し、衣類の政治的交易を嫌う勢力でもあることがわかる。田を直接壊したこともあったろうが、たびたび発生する水害も、この勢力が呼び込んだと見なされたであろう。
 宗教勢力対武装勢力の角逐は、はてしなく続いたのである。

 結局、「あまてらす大神」は石屋に隠れ、入り口を岩で塞いでしまう。
(故於是天照大御神見畏閇天石屋戸而.)
 ついに、「スサノオの命」は、宗教勢力を除外し、実権を奪うことに成功したのである。

 しかし、お隠れのために、「天」の高天原も、「地」の葦原中国も、常夜状態になってしまう。

 と言うか、この頃、日食がおきたのだろう。当然ながら、皆が、妖怪が闊歩する世界に陥ったと実感した筈だ。この問題に対処すべく、すべての神々が天の安之河原に集まって相談する。
(皆満妖悉発. 是以八百萬神. 於天之河原. 神集集而.)

 結局、天地開闢で登場した高御産巣日神の系譜に連なる「おもいかねの神」(思金)の発案が取り入れられる。

 先ずは、常世長鳴鳥を集め、八尺鏡と八尺で500個の珠を作らせ、鹿骨と波波迦で占った。
 その上で、根ごと抜いた天香具山の賢木に、上の方には珠、中ごろには鏡、下の方には白と青のぬのきれを飾る。そして、「ふとだまの命」(布玉)がこれを持って岩戸の前に進む。「あめのこやねの命」(天児屋)が祝詞をあげる。
 一方、「あめのだじからおの命」(天手力男)が岩戸の蔭にかまえる。

 万端整ったところで、「あめのうずめの命」(天宇受売)が、神がかりになって、乳をさらけだし、裳の緒を垂らし、踊る。鳥は騒ぎ、高天原は大騒ぎとなり、神々がさざめく。
(高天原動而. 八百萬神咲.)

 「あまてらす大神」は何事かと覗き、「あめのうずめの命」に訊ねると、貴神が現れたと答えが返ってくる。そして、出された鏡を見てしまう。さらによく見ようと戸を開けたた時に、「あめのだじからおの命」がすかさず岩屋から連れ出してしまうのである。

 そして、高天原と葦原中国は明るくなる。

 納得できる話である。
 今まで、類稀なリーダーシップを発揮していた「あまてらす大神」がお隠れになってしまい、武闘派が伸張して大いにこまっていたところ、日食が発生したのである。この一大事件をきっかけにして、コミュニティ総出のお祭りを挙行し、お隠れになった「あまてらす大神」を復活させたのだ。
 その中心となったのは 呪術と占いの力を持つ、天香具山近辺の勢力である。

 そして、「ふとだまの命」は注連縄を入り口に張る。入室厳禁という訳だ。

 お祭りの大騒ぎの意義と、儀式の進め方がはっきりと記載されている。

 「あまてらす大神」は太陽神であるが、天地開闢の時点で太陽信仰が中心にあったとは記載されてはいない。しかも、高天原を「スサノオの命」が支配する可能性もあった。
 しかし、混乱のなかで、太陽の恵みこそが民族のアイデンティティだということで、民族はまとまった訳である。
 武力一本槍の「スサノオの命」ではなく、稲田や機織を重視し、豊かな生活を生み出すことを望んだと言えよう。

 ビロード革命というべきか、「スサノオの命」は追放される。髭を切られ、爪を抜かれて。

 そして、この話には続きがある。

 「おおけつひめの命」(大気津比売, 前出の大宜都比売神)が鼻や口から、食べ物を「スサノオの命」にさし上げたのである。怒った「スサノオの命」は切り殺してしまう。
 その遺体から、蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆がでてくる。
 それを、集めたのは神産霊神だという。天地開闢で天之御中主神の次に登場する神である。高天原は思想的なお墨付きを得て、殖産社会化に邁進する訳だ。

 一方、「天」にせっかく登ってきた「スサノオの命」だが、これを期に、下界に下りざるを得なくなる。
 死から生が生まれる循環型経済の農耕を徹底的に嫌うのだから、海や山での採取型経済を基盤にした地域でひっそりと暮らすしかあるまい。

 「古事記を読み解く」 (次回に続く)>>>


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