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■■■"思いつき的"十二支論攷 2015.10.7■■■

十二支の「鼠」トーテム発祥元を探る

🐀突然、古事記の話から始めてしまうが、もちろん大國主神について。
お寺に鎮座していることが多い、厨の神様たる、大黒様とは異なる由来だが、習合してしまった。その最大の理由は名前が似ていたからとされるが、国と黒を一緒クタにするのは無理がありすぎる。鼠君が仲を取り持ったに違いない。(インドでの暗黒王はガネサ斧をもって鼠に乗っている姿.)その影響力の凄さは見逃せまい。
その大国主命という名前だが、対外的にポジションを示す名称に過ぎまい。スサノヲ大御神から自力で権力を引き継いで国の統率者になると、呼称として使われなくなるので幼名的に映るが、大穴牟遅神が元来の名前だろう。
こちらの名前、国造りを手伝ったの少名毘古那。大"穴"貴神と、少"ナ"彦命となっているから。両者なくしては、国が成り立たなかったというか、古くからの土着信仰に新しい統治思想が乗っかっての新たな国家樹立を意味していそう。
両名のナは、地主["ナ"ヌシ]という意味との説が有力らしいが、小生は洞穴的イメージの"穴"と見る。洞窟祭祀部族長としての象徴的命名と考えるからだ。両者の信仰の根底に聖洞穴感が流れていたので、完璧な強力体制確立に至ったと言えるのではないか。いわば、穴族としての共感ありき。
ネズミとは根栖つまり穴住の意味から来ていると思われるし、鼠という文字は象形ではあるものの、文字概念としてはどう見ても穴に棲む虫。
   動物の漢字表記【雑食系獣】[2013.5.26]

さて、そこで鼠だが、登場は、根の国のスサノヲ大御神による試練で困難に直面するシーン。葦原色許男神と呼ばれ、野原に鳴鏑を取りに行かされた時のこと。周囲に放火され、焼け尽くされる寸前、鼠が「内はほらほら、外はすぶすぶ」と教えてくれ、穴に逃避して難を逃れる。その上、矢まで届けてくれる。
なんといっても不思議なのは、"お米"命民族とされているのに、その一番の害獣と思われる鼠に救ってもらうこと。だからこそ、穴棲動物信仰がありそうと感じる訳だが。
と言っても、野原での試練以外で、穴棲み"危険"生物も登場するが。
まあ、そうとでも考えないと、子こと鼠の位置が牛と虎の上のナンバー1になる理由は薄弱である。誰だって、何故だと考えるに違いない。そのため、理由づけに、たいていは鼠の賢さ(ズルさと見る人もいるが、)の逸話が語られる。
大型動物の牛や虎と違って、小さくて多産の豊穣イメージが強いから、そんなところで納得する訳だが。

もっとも、大陸では、鼠はそれなりの地位にあったようだ。探せば様々な説話や創生神話の類に登場していそう。
例えば、中国雲南省南西の高地国境一帯に住むラフ/LAHU/拉族では、海から引き上げた瓢箪(民族楽器芦笙に使われている。)を齧ったので、そこから祖先が生まれたとしているとか。瓢箪には意味があるが、鼠はヒトの周辺に棲む齧歯類動物という以上ではなさそう、害獣として駆除するなというルールが追加されているだけに思える。と言うのは、小生は虎トーテム部族と見なしたからだが。 [→]
ただ、これは「鼠咬天開」伝説に由来するものとも言えよう。
  自混沌初分時、天開于子、
  地辟于丑、人生于寅、
  天地再交合、万物尽皆生。
  [李長卿「松霞館贅言」]

この瓢箪神話がどのような来歴かは、はなはだ不透明であるが、多産豊穣こそが儒教や道教を貫く核心的価値観たる宗族繁栄そのものだから、この手の話はどこにでもありそう。小生は、少数民族が移住してきた覇権国支配層との混血が進んだ故の創作臭さを感じるが。
言うまでもないが、神話に登場しようが、祖先誕生の助力動物というだけでは、トーテムとは言い難い。自らの祖先、あるいは古くからの仲間ということでの尊崇の念が生まれていないからだ。そのような動物を、中華帝国の表象たる十二支の生肖に起用することはなかろう。

前段が長くなったが、それなら、鼠トーテム部族は誰かという話に入ろう。

小生の見立ては、ホータン/于王国/go stāna[現:和田---ウイグル族の都市]の原住民。
シルクロードの地名といるか、ヘディンの中央アジア探検記を読むと必ず魅せられてしまう地。それに基づいて、ダンダン・ウィリク/丹丹鳥里克遺跡でのスタイン発掘品に驚かされたからでもある。要するに、軟玉の産地として名をはせた、タリム盆地のオアシス都市国家。
  <瞿薩旦那國>  [玄奘「大唐西域記 巻十二」]
 王甚驍武,敬重佛法,自雲毘沙門天之祚胤也。
 【
鼠壤墳傳説】聞之土俗曰:此沙磧中,鼠大如蝟,其毛則
 金銀異色,為其群之酋長,毎出穴遊止,則群鼠為從。・・・
 下至黎庶,鹹修祀祭,以求福祐。行次其穴,下乘而趨,
 拜以致敬,祭以祈福。
 或衣服弓矢,或香花肴膳,亦既輸誠,多蒙福利。
 若無享祭,則逢災變。


この大量の仏教関係出土品のなかに玄奘の記載した「鼠王伝説図」(板絵)があったのである。・・・敵軍(匈奴)の武具の糸を鼠が髪切ってくれたお蔭で、数的に敗戦間違いなかった都市国家が防衛に成功したという伝説に基づくもの。玄奘「大唐西域記」記載の通りだった訳である。おそらく、古代からこの地区には鼠塚があり、それを崇める風習があったということだろう。

このネズミがどのような種類だったかは難しいところだが、ペットとしても飼われていて、様々な色が作出されており、金色や銀色も含まれいる種がそれに当たると見るのが自然だろう。
砂鼠/Mongolian Gerbil(Gerbil:荒地鼠)ということになる。いかにも砂漠に囲まれたオアシス都市らしくて、ドンピシャでは。
   「小哺乳類を分類眼で眺めると」[2013.10.15 ]

そうだとすれば、毘沙門天とホータン鼠はなんの関係もないということ。玄奘の見たのは6世紀の国家。国王が主張する祖の毘沙門天はそれよりも400年昔のガンダーラでの話だと思われる。つまり、ホータン王は、ペルシア系遊牧民でガンダーラ地域経由でこの地に入ったということ。一方、砂鼠信仰は土着の古層。
このことは、中国の毘沙門天像の鼠はホータン由来。中華天子が毘沙門天信仰のメッカとして于王国を指定したせい。
日本僧はその辺りの事情をを見抜いたため、鼠と毘沙門天は無関係なのだろう。虎が選ばれているのは、本家本元はそうなっていたということと見る。

要するに、ホータン鼠信仰は相当に古いのだ。

ただ、大黒天と鼠という組み合わせは、ホータン的と見ることもできそう。現在の像はにこやかな福の神だが、その名称からみてもともとは武神か鬼神だった筈。鼠の働きで匈奴に勝利したとなれば、そのシナリオは想像がつく。おそらく、馬が動けない暗闇に、隠れていた穴から一斉に登場したのだろう。鍵を握った武具はもちろん弓。火矢を放たれ、襲撃の標的になるだけで戦いにならず部隊全滅。暗闇武神と鼠が対になるのは自然なこと。この戦法、匈奴来襲以前というか、とんでもなく昔から存在していた筈だろう。鼠型の夜襲撃ということで。

少々強引ではあらうが、どうかな、鼠トーテムはホータンの古部族という説。

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