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「我的漢語」講座第18回 色彩 2010.9.22 |
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今回は色彩について。 そうなれば、まずはアカから。日本語ではアカ、シロ、クロに色(イロ)をつけると不自然になる。ミドリイロやキイロとは違うのである。いかにも古層の色覚感覚であり、赤が色認知の原点と見てよさそうである。 ご存知のように、振兴中华!の国でもアカは最重要な色。中华人民共和国の国旗「五星红旗」、あるいは国徽の地色は“红”と呼ばれるが、実質的には赤である。これに金色あるいは黄色が加わることで、昔からの縁起の良さが生まれることになる。理屈をどうつけようが、この伝統は外す訳にはいかないのである。 [JIS規格では■赤と■Redは違う色。もちろん■紅も別。16進表記色コードの原点色は紅。] 中華街の料理店に行くと、それが実感できる。壁に貼ってある紅色の薄紙上には、必ず金泥か墨で書かれた縁起熟語。新年でなくても、“喜慶”、“吉祥”、“富財”、“満堂”といった調子である。このお蔭で、非日本的な風情が醸しだされ、料理に期待が湧いてくるというもの。ただ、簡体字は余り見かけないし、二字だけのことも少なくない。本来は以下のような四文字だが、お客さんが文字をたずねたり、“団円”や“金玉”の意味をきくから、面倒ということかも。 喜庆团圆 吉祥如意 富财运来 金玉满堂 ・・・。 ただ、紅色好きはわかるが、部屋中赤い色だらけの装飾にしている店もあり、そうなると流石に落ち着かない。いくらなんでも偏愛すぎるのではと思うが、そんなことを気にする人達ではなさそうである。 おそらく、その昔、朱雀の“火”色を宗教的に好んでいたことが紅好みの発祥なのだろうが、どうして朱を紅に変えたのだろうか、などとつまらぬことを考えてしまったりする。どうでもよいことだが、多少気になる。色材が変わったということだろうか。 【代表的動植物系色剤】茜草(→緋色)、臙脂、紅花、蘇芳、柿渋 【代表的鉱物系色剤】銀朱、丹、鉛丹 小生の想像は、赤がこの辺りの色全般を示す言葉で、色剤から、朱色、緋色、紅色の違いが生まれただけの気がする。中国ではこれらの色剤で、紅が実生活に密着して使われ、一番好みだったということではないか。 そう考えると、日本の発想はえらく違うことに気付く。 万葉集の時代から、情景描写は情緒的で心象風景をだぶらせたものが主流。強烈な原色が登場したら、ぶち壊し。ほとんどの歌は思想性に乏しく、その代わりに細々した色彩感覚が埋め込まれている。その色が感じ取れないと歌を詠んでもさっぱり面白くないという仕組みだと思われる。従って、いざ、そうした色を言葉で表そうとすると、色の種類が矢鱈に増えてしまう。しかも、心の襞を表現したいので、微妙な色の差が重要となる訳だ。花の色にしても、時期の違いまで考えざるを得ないというのが、“和”の一大特徴だと思う。原色表現などもっての他となる。 【花の色】 石竹、桃、紅梅、桜、撫子、躑躅、牡丹、(薔薇) 【食べ物の色】小豆 【鳥の色】鴇 【他】珊瑚 【自然】曙[東雲] もっとも、それは昔の話で、今もその伝統を引き継いでいると言えるかは疑問。それに、紅好みは中華文化と決め付ける訳にはいかないからご注意のほど。大晦日のNHKの一大イベントを見ればわかるが、運動会と違って赤組ではなく紅組なのである。
もともと、大陸の風土とは、「黄河/黄土+稔」の世界ということもあるが、肝心要は黄帝。黄金色の仏像や仏塔、袈裟等の色で明らかなように、黄金色は宗教的な力の象徴だし、権力者は神権を求めるから、天子たる皇帝の色は“黄”でなくてはならないのは道理。五行の“黄龍”とは、こうした文化の一表現にすぎまい。 実態としては、「黄袍+黄屋+黄旗」といった調子で、権力者が権威を示すために徹底的に黄色を使ったということ。 ところが、その一方で、掃黄打非といった使い方でわかるように、黄色にはえらく悪いイメージもあるようだ。それがなんとも不思議である。反権力語でもないし。 わざわざ天子の色をコケにする必要もないから、この用法は、西洋発祥なのかも。なにせ、西洋では、Yellowは偏見の塊のような言葉である。 太陽色なのだから、本来なら重視してもよさそうなものだし、その範囲は「柑橘(檸檬)←黄金→琥珀」だから嬉しい色でもあると思うが、そうはならないのだ。 おそらく、東洋との抗争の歴史や、宗教観からだ。色は神が創ったものであり、色の峻別にたいした興味もなくて当然で、逆に、色にトコトンこだわる民族には不快感を覚えていたと考えると、納得感が生まれるのでは。本当のところはどうなのかはわからないが。 ただ、そうは言っても、中華帝国では黄色を100%素晴らしい色としていた訳ではない。黄昏の色でもあるからだ。 「別薫大」 高適(706〜765年) ・・・“薫大”君との別れ 十里黄雲白日曛、 北風吹雁雪紛紛。 莫愁前路無知己、 天下誰人不識君! 黄塵と灰色の雲が、陽光を覆い隠し、蔭のような雁が流されていくところに、真っ白な雪まで降ってくるという、強烈な色の世界だ。 天子自ら若草摘みをして、娘に想いをよせたりする情景を描いた歌が醸しだす微妙な色の世界とは異質なもの。だが、だからこそ日本人はこうした漢詩も愛したのだと思う。 ともあれ、朱雀と黄龍の感覚が現代中国にも脈々と流れているのは間違いあるまい。 日本でも、未だにその影響がそこかしこにみられる位で、漢字圏に属していると、程度の差はあるが、五行の色信仰はそう簡単に消えることはなさそうである。 日本の場合、五行の色が明示的に現れたのは603年のこと。官吏の位階制度が制定され、冠の色が位を示すことになったのである。(官位でなく冠位) 青(仁)、赤(礼)、黄(信)、白(義)、黒(智)とされた訳である。その上に天子の紫(徳)を設定し、それぞれに濃・薄(大・小)を作ったから都合12階だ。 現代の色覚からすれば、藍と緑が青に包含されている印象か。この段階では黄色はないが、すぐに付け加わる。 皇室が中国に倣って黄色を特別な色に設定するのである。衣(袍)の色は、天皇が黄櫨染■で、東宮が黄丹■と設定されたのである。以下、上皇が濃赤。親王や重臣が紫。緋、緑、縹、黄と続く。単なる黄色は下層の衣というのも面白い計らいである。 さて、白虎と玄武のシロ・クロだが、紅に対比されて使われているような感じがする。 文革時には紅の敵として「黑五类」が槍玉にあがったが、結局のところ、お金儲けに不可欠ということで霧消。現在はこの言葉は全く使われていないようだ。しかし別な黒勢力が生まれているようで、ニュースを見ていると、刮起黑色的旋风ということがよくわかる。 黑心货危害消费者健康。 そう言えば、確か国民党を「白匪」呼ばわりしていた筈だが、こちらはどうなっているのだろうか。さしづめ、こんなところか。 红色的好还是白色的好? 红色的更适合您。 青だが、中国での海や空の色とは藍。日本では水色と言ったり、紺、蒼、滄、碧も使われたりして結構複雑。 ただ、紅の見方を援用すれば、中国ではこの色名が主流になったのは“藍染”からきていることになる。一方日本の場合はそれよりは、木々の青ばかり気になるから、どうしても青から離れられないということ。どこまで当たっているか定かではないが。 もっとも、“青出於藍而勝於藍”[荀子]を考え、青を重視したかった可能性もありそうだ。 最後に、折角だから、青赤黒白の言葉をご紹介しておこう。尚、“皂”は水底によどむ黒い土で、黒色の染料に使用されるそうである。 イデオロギーに懲り固まった人の特徴は、 不分青红皂白的批评なのである。(辞書によると“頭ごなし・・・”) と言うことで、第十八回はこれまで。 |
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