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「我的漢語」講座

第17回 口と弁 2010.9.16
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 漢字は表意文字であり、隷書辺りになると象形文字の時代を彷彿させるのでなかなか味があり楽しいものである。
 しかし、常識ハズレの見方も相当流布しているようだ。

 そう思ったのは、ウエブ検索したら、“田”は口に縦横に走る畦道を表わしたものと書いたものに出くわしたから。現代的な土地改良後の田圃で考えている訳だ。
 普通に考えれば、これは「“口” x 4」。もっと正確に言えば、“口(しかく)”ではなくて、“◇(ひしがた)”である。歪んだ菱形のような田圃が4つ、菱形状に並ぶのが、現実の田園地帯の姿である。

 それでも、このぐらいなら気にはなるまい。
 驚かされたのは、“日”の説明。口(くち)に横棒ときた。“日”に似ている“曰”(いわく)を取り上げ、“口”(くち)から言葉を発した“〜”が組み合わさったという風な説明なら納得もできるが、太陽を口に当てはめるのだから、もう無茶苦茶。
 日本人お得意の潤色はこうした始まるのだと今更ながら気付いた次第。
 誰が考えても太陽は“○(しろまる)”形であり。それに“・(なかぐろ)”を入れたと考えると思っていたが、それは間違いだったということ。
 世の中、センスが違う人はいるものだと久方ぶりに納得させられた一瞬だった。

 そもそも“口(くち)”の形を、太陽のような丸型に描くのは、なんらかの思想なくしてはあり得ない話。日は丸だから四隅が均等に広がった四角形でよいが、口は大きく広がらす、下方が窄んでいる形になる筈。
 もともと、口は閉じていれば、“=”の形の方が似つかわしい。口を開けても、丸くなるのは叫ぶような特別な場合だけ。しかも、その時は縦長の“O”だろう。自然感覚で口の形を描けば、横長の“U”のなかに“-”となろう。
 それだけではない。埴輪を見た人はわかると思うが、クチとは空洞へと繋がる箇所である。ヒトの顔の一部としてのクチは、漢字では嘴だと思われる。开口と書けば、それはヒトと言うより、穴の口の方だろう。尚、“閉じる”は关闭なのでご注意されたし。開閉は“开关”なのだ。

   さらに驚かされたのは、2つの具を棒が突き刺した形の文字“串”の説明。2つの口を一気通貫などというのは、冗談以外のなにものでもなかろう。

 当たり前だが、“国構”の“□(しかく)”は、“かこい(囲)”であり、口とはなんのつながりもない。
 それはそれとして、この部首の簡体字にはかなりの違和感を覚える文字がある。
  囲 園 図 → 围 园 图
 もっとも、囚、因、固、圃、圏は同じだし、一寸考えればわかるものもあるから大騒ぎするほどのことはないが。
  円(圓) 団 → 圆 团

 一方、口偏だが、吃 喝 吐 咽 吹 呻 吠 嘴 哨と、おしなべて、繁体字や簡体字と同じである。ここら辺りはあまりいじりたくないということかも。見慣れない文字は、“どなり合う”という くらいか。
 尚、食べるや、飲むは、当たり前の話だが、ヒトの口(くち)が関係する動作である。それなら口偏になるべきと思うが、日本語ではそうならない。直裁敵な表現なので、抽象化したコンセプト表現にしているのだ。食事が信仰の中核であり続けているということかも。
  “食べる” ・・・ 
  “飲む” ・・・ 
 食文化は文字の上でもなかなか深いものがある。
    → 「“食べる”と“飲む”の違いを生む文化的背景」 (2010.7.26 )

 ちなみに「口才」とは弁舌のこと。直裁的に言うなら「唇舌」となる。もちろん、“弁”を使うこともあり「辩才」となる。繁体字では“”だ。痛烈な言辞ということだろうか。
 この文字は「辩証法」というような時に使う。弁明は辩白。ただ、はっきり白黒つけるようなときは“言”が“リ”となり分辨と言ったりするようだ。こちらの字を用いた弁明もありそうだが。
 そうなると、弁理士のような弁もそうかと思いがちだが、そうはならない。
 (申请专利的)代办人である。この簡体字は“”からきたもの。左右を点で省略した訳だ。一刀両断的な「办事」を取り扱うという意味だろうか。ちなみに、「诉讼」を扱う法律専門家は「律師」と呼ばれている。言うまでもないが「辩护人」としての仕事はその一部。
 尚、花弁は花瓣で、弁(辮)髪は辫子。瓜と糸である。

 日本の“弁”は、言、リ、刀、瓜、糸を使っている全く別の漢字をすべて一つにまとめてしまった訳だ。大胆だが、そんなところでも十分な感じがする。それは、中国文化を理解していないということかも。
 5種類の混ぜこぜはどうにも気分悪しなのだろう。・・・辩 辨 办 瓣 辮

 そうそう、バルブは阀门なので、お間違いなきよう。
 ついでに、間違いかねないものを2つ加えておこう。

 先ずは、弁当。辩当にしても可笑しいから考えてしまう。台湾の新竹では便當だったが、大陸では便当には便利という意味しかないそうだ。だが、「简便」な「菜饭」ということになるから正当な表現だ。それに比べると、弁当というのはいかにもいい加減な当て字だ。便当を嫌ったのは便の文字が気にくわなかった可能性もありそうだが、議論白熱人用に特別心を込めて作った食だったかも。
 大陸の言葉は素直。・・・ 盒(装菜)饭
 ご存知だと思うが、冷たいご飯の盒饭はあり得ない。いくら時間に追われていても、そんなものを出したらえらいことになる。暖かくないということは、意図的に、奴隷用か監獄での菜饭を出したと見なされるからだ。日本人からすれば、お米が不味いからだとなるが、こればかりは理解してもらえまい。
 もっとも、ジャポニカ米の饭团子(もちろん御握り)が流行ったりすれば事態は一変する可能性はある。

 もう一つは弁償。これは通じないとよく聞かされるからご存知だろう。
  賠償→赔偿

 と言うことで、第十七回はこれまで。
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