トップ頁へ>>>

「我的漢語」講座

第29回 我的祖国 2011.1.31
「漢語講座」の目次へ>>>

 


 Lang Lang(郎朗)が米中首脳会談の公式晩餐会で「我的祖国」を演奏したことが、波紋を呼んだようである。
  →  "White House Says Chinese Folk Song Played During State Dinner
        Was Not An Insult; Experts Divided"
ABC [January 24, 2011]

 小生は全く知らない歌だが、中国では愛国唱歌だそうである。1956年に作られた、朝鮮戦争大激戦を描いた电影上甘岭」の主題歌とされている。
 作詞者は乔羽;(1927年-)。

 どんな歌なのか気になったので、眺めて見た。
(右の楽譜掲載サイト[(C) hudong.com]に歌詞図と説明がある。→)
 3番まであるが、パッと見、軍歌調ではない。祖国を侵略する者は決して許さず調であり、そこが琴線に触れるところでもあるのだろう。

 まあ、そんなものを晩餐会に持ち込むのだから、この首脳会談の性格がわかろうというもの。
 思わず、海洋国家の音楽祭"The Last Night of the Proms"の閉めの定番歌を思い出してしまう。クラシック音楽祭なのだが、これを歌うがために、夜遅くまで皆がそれぞれの会場に集まるようなもの。
   ・Rule, Britannia!
   ・Jerusalem
   ・Pomp and Circumstance
   ・GOD SAVE THE QUEEN
   ・Auld Lang Syne
 ブリタニアが世界を支配するという帝国賛歌の歌から始まり、第一次世界大戦用の戦意高揚曲に繋がる。ただ、宗教的で、権力に屈するなという強い意志を表す歌詞なのが特徴的。そして"希望と栄光の国"の「威風堂々」行進曲が演奏され、起立しての国家斉唱から、腕を組んで「蛍の光」。
 全面的に植民地化されかかった大陸国家とは違う訳である。

 話が英語にとんでしまったので、漢語に戻ろう。
 歌词の出だしは「一条大河」。この言葉だけで、流行した当時をすぐに思い出す人が多いのだと思われる。
 ナチス党から受け継がれ、ソ連邦共産党が確立したプロパガンダ映画の手法の威力は凄い。1956年であるから、それを習った中国映画の絶頂期だろう。当時、この映画を見なかった大陸中国人はおそらくいまいし、皆、感動落涙といったところ。時あたかも、米帝国主義は張子の虎という言葉が乱舞し、人民解放軍が全土を完全掌握し、大跃进の旗を振り始めた頃。
 そんな状況を思いおこさせる歌が今もって、全土の愛唱歌というのには驚かされる。ノスタルジーというようなものでなさそうである。

 そうなると、愛国ムードだらけの軍歌調かと思いがちだが、冒頭にはそんな雰囲気は皆無。
 よくありそうな中国的景色を叙情的に描いただけの言葉なのである。中国人にとっては心に染みるものなのだろうか。・・・広河に波がたち、一面の稲の花からの香りが風に乗って流れて来る。川向こうには我が家。そして、河に浮かぶ白い帆(船上的白帆)を張った船から噺が聞こえてくるというもの。
 ここから、郷土愛というか、賛歌に入る。ここが前置き。

 「姑娘好像花儿一」とくる、一転して、恋心の歌謡曲的世界で始まる。そして、我が国土への愛へと繋がる。それが、「新天地」開拓や「睡的高山」を覚醒させ、「河流」を変えるような強烈な意志表明にどうして繋がるのかは、映画の筋を知らないので、よくわからない。
 そして後半部になるが、リフレイン型。

 ここだけなら、たいして気にならないのだろうが、二番、三番が戦争モノらしさ芬々。1番を踏まえ、先ずは山水と中華大路の国土賞賛で、次に友来たりとて酒を酌み交わすとなる。これだけなら、まさに、漢詩的世界。ところが、突如として、愛国唱歌的一節になだれ込むのである。
 「豺狼」が来るなら、「猎枪」で迎え撃つぞというのだ。当時としては、中華的発意というよりは、ressentiment的なムードだったかも。
 尚、この部分は2番と3番は同じ。

 後半のリフレインはこんな感じ。
 我が"祖国"はなんと言っても・・・
   (1) 美丽
   (2) 英雄
   (3) 强大
 ここが我らが"生长"した地域。
 生まれし"土地上"はどういうところかといえば、
   (1) 辽阔
   (2) 古老
   (3) 温暖
 しかも至る所がこんな感じ。
   (1) 明媚的;风光
   (2) 青春的力量
   (3) 灿烂的阳光

 と言うことで、第二十九回はこれまで。
<<< 前回  次回 >>>


 
    (C) 1999-2011 RandDManagement.com