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「我的漢語」
2014年12月18日

李白の道教漢詩を眺めて

漢字文化は簡体字の中国/シンガポールと、繁体字の台湾、日本字に分かれるものの、少しなれれば互いに読み取れる。それだけの力があると、古い作品もなんとかわかる。朝鮮半島とベトナムの言語は、単語は中国語発祥だらけだが、漢字表記をきれいさっぱり捨て去ってしまったから、そのようなことは金輪際不可能ということになってしまった。もったいないことである。

それを考えてもわかるが、日本では、多くの人が「漢字」に愛着を持っていたということなのだろう。一種の文字信仰があったのかも知れぬ。
なにせ、中国語と日本語は全く異なる言語構造とくる。中国語での漢字発音も、日本的な音に変換されてしまい、中国式の音声表現は国内的には一欠片たりとも使用されることはなかったのも驚きである。
両者は、同じ文字を使いながら、文化的には深い溝がある訳だ。

しかし、漢字は表意文字でもあるため、記載された文章の意味を読み取るのは比較的簡単である。読み下し文などなくても、漢詩を眺めれば、その中味が情感として伝わってくるからだ。音の美学だけは無理だが、十分に愉しめるのは間違いない。
言語も、文化も、全く違っていながら、漢字を共有しているだけで、ほぼ同一基盤で文学作品を鑑賞できるというのは奇跡に近かろう。

そんな気分で「王維の脱世俗漢詩鑑賞」[→]を書いてみた訳である。

翻訳でなく感じ取れるというのは実に有り難いこと。
ちなみに、訳されると、どういった変化が生まれるのか、マーラーの「大地の歌」で見てみよう。・・・全6章からなる、「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」で歌詞は唐詩(第2楽章と終楽章以外は李白の作品)の独訳。

第5楽章「春に酔える者」で使われているのは以下の歌。いかにも東洋的ということでの採用だと思う。だが、李白にしては、内容的に結構頽廃的すぎるタイプではないか。ともあれ、そのあっけらかんとした楽天的な姿勢がウケたのだろう。
     「春日醉起言志
  処世若大梦、 胡為勞其生?
  所以終日醉、 頽然臥前楹。
  覺来眄庭前、 一鳥花間鳴。
  借問此何時?春風語流鶯。
  感之欲嘆息、 對酒還自傾。
  浩歌待明月、 曲盡已忘情。

これを翻訳すると、こんな調子になるのである。確かにそう書かざるを得ないのだろうが、文章が余りに長すぎ。とても、詩に酔うどころの話ではない。五月蠅い表現というか、説明が理屈っぽすぎて、余韻が消え去ってしまうのである。
  "Li-Tai-Poの詩" [独語邦訳Wiki版]
人生がただ一場の夢ならば、努力や苦労は私にとって何の価値があろうか?
それゆえ私は酒を飲む。酔いつぶれて飲めなくなるまで。終日酒に溺れようぞ。
喉も魂までも溺れ酔いしれて、 ついに酔いつぶれて飲めなくなったら、
よろめきながら家の戸口にたどり着き、 そのままそこに眠り込んでしまうのだ。
目覚めて何を聞くのか?
さあ聞くがよい。
前庭の樹の花。その花の中で鳴くは鶯一羽。
私は鶯に尋ね聞く。<もう春になったのか>と。
私はいまだに夢心地まどろむ。
鶯囀り、《そうです。春はすでにやって来た。闇夜を渡り、春はここにやって来た》と。
そうして私は聞き惚れ感じ入り、見つめれば、
鶯はここぞとばかりに歌い、笑うのだ。
私は新たに手ずから酒杯を満たし、盃傾け、飲み尽くす底までも、そして歌うのだ。
明月が黒き帳の下りた夜空に昇り、輝き渡るまで。
もし私がもはや歌えなくなったなら。
その時、私はもう一度眠り込む。
いったい春は私に何の役に立つのか。
だから、このまま酔わせてくれ!


そして終楽章「告別」は孟浩然と王維の詩を融合し、改変、追加したものになっているという。ともあれ、矢鱈に長い楽章の上に、それまでの調子とガラッと変わってシリアスになる。そこが西欧的美しさなのだと思う。
ちなみに、王維の漢詩は以下のもの。
     「送別」 
  下馬飲君酒、問君何所之
  君言不得意、歸臥南山陲
(南山=西安南の終南山)
  但去莫復問、白雲無盡時

マーラーは、聴衆は、「南山」や「白雲」ではイメージがわくまいと見なしたようで、両者は除外。それが「大地」と化した訳だ。少々どころか、大分違うと思うが、そこは致し方あるまい。

王維の自然観は仏教徒としてのもの。唐代に盛んだった道教的仙人の世界との習合はあるものの、思想的原点は相当に違うのではなかろうか。
一方の李白は道教どっぷり。もちろん、仙界の友である「酒」には浸りっきり。しかし、それは、現実逃避を意味してはいない。その点で、上記の「春日醉起言志は誤解を招きかねない詩だと思う。酒の漢詩なら、仙界を彷彿させる「対酌」か、「獨酌」[→2014年5月3日]だろう。
     「山中与幽人対酌」 
両人対酌山花開、一杯一杯復一杯。
我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴来。

     「月下獨酌」 
花間一壺酒、獨酌無相親;舉杯邀明月、對影成三人。
月既不解飲、影徒隨我身;暫伴月將影、行樂須及春。
我歌月徘徊、我舞影零亂;醒時同交歡、醉後各分散。
永結無情遊、相期雲漢。

いかにも、宮廷が認めた"世界に冠たる"詩人の作といった風情ではないか。

と言うか、その自負心こそが、李白の李白らしき点。
古風 五十九首 其一」では、それが直截的に語られている。
 大雅久不作、吾衰竟誰陳。
 王風委蔓草、戦国多榛。
   ・・・
 我志在刪述、垂輝映千春。
 希聖如有立、絶筆于獲麟。


それなくしては、このような臨終詩などとても著すことはできまい。なにせ、自らを仙界の大鵬と見なしているのだから。
     「臨路歌」 
 大鵬飛兮振八裔、中天摧兮力不済。
 余風激兮万世、游扶桑兮挂石袂。
 后人得之伝此、仲尼亡兮誰為出涕?


ちなみに、白楽天はその墓の詩を残している。誰でもが知る4字熟語の詩である。
    「李白墓」 白居易@818年
  采石江辺李白墳、繞田无限草連云。
  可怜荒窮泉骨、曾有驚天動地文。
  但是詩人多薄命、就中淪落不過君。
  渚苹溪藻犹堪荐、大雅遺風已不聞。

そう、淪落を象徴するかのような墳墓だからこそ、仙酒王への深い思慕の念が生まれるのである。
しかしながら、その墓は移設された上、たいそうご立派なものに作りかえられ、大いなる観光地に変わってしまったようである。

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