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「我的漢語」
2014年12月22日

不快な、「詩聖」の飲酒詩

青木正児著「中華飲酒詩選」を読んでいて気付くのは、大御所酔吟先生こと白楽天と「詩仙」李白は絶賛しているが、「詩聖」と称えれれる杜甫にはえらく冷たい点。
  「黴臭き漢詩を読む」 [→勧酒(20140517)] [→獨酌(20140503)]

わかる気がする。

と言うのは、世に名高い、八仙に因んで戯れに作ったと言われる飲酒詩は、余りに仲間内向けすぎる感じがするからだ。
   「飲中八仙歌
知章騎馬似乗船 眼花落井水底眠
汝陽三斗始朝天 道逢曲車口流涎 恨不移封向酒泉
左相日興費万銭 飲如長鯨吸百川 銜杯楽聖称避賢
宗之瀟洒美少年 挙觴白眼望青天 皎如玉樹臨風前
蘇晋長斎繍仏前 醉中往往愛逃禪
李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠
  天子呼来不上船 自称臣是酒中仙
張旭三杯草聖伝 脱帽露頂王公前 揮毫落紙如云煙
焦遂五斗方卓然 高談雄弁驚四筵


当時の有名人を並べただけと言えば、その通りだろうが、パトロンを含めたサロンの主だった人達を描いてみせたとの印象を与える。
しかも、徹頭徹尾、天下泰平な内容。そこには、政治臭皆無だし、悩みの類も全く感じさせない。
 [賀知章]
 ・サロンの長老扱いかも
 ・脱俗風流好みの進士
 ・南方の素恍け
 [河南汝陽郡王 李]
 ・皇帝縁者
 ・パトロンなのでは
 ・甘粛省酒泉の王になりたいとホザク
 [左丞相 李適之]
 ・膨大な酒代の鯨酒飲
 ・聖酒好きだが、賢酒は嫌い
 [斉国公 崔宗之]
 ・大官族
 ・美少年の格好つけ
 [蘇晋]
 ・大官族 仏教徒
 ・酔うと座禅をさぼる
  (座禅に入るとの解説だが、そうとりたくない。)
 [李白]
 ・詩仙
 ・飲むと詩作に興じる
 [張旭]
 ・草書達人
 ・失礼な格好で酔った状態で揮毫
 [焦遂]
 ・詩人 飲むと弁舌最高潮
 ・酒量トップなのかも

そういう作風の詩人ならいざ知らず、ほとんどが悩みを綴ったようなもの。にもかかわらず、どうしてこの例外的詩に魅力があるのだろう。大いなる疑問。

杜甫らしき飲酒の詩とは「登高」だろう。酒の詩と考える人は少ないかも知れぬが。
この題名は、9月9日、重陽の節句に、菊酒を高台で飲酒する風習を指したもの。当然ながら、ご馳走で祝う筈だが、この詩はそこから程遠い情景を描写する。なんとも寒々しい限り。
   「登高
 風急天高猿嘯哀、渚清沙白鳥飛回。
 无辺落木簫簫下、不尽長江滾滾来。
 万里悲秋常作客、百年多病独登台。
 艱難苦恨繁霜鬢、潦倒新停濁酒杯。


秋晴れで心が弾むのではなく、風で落葉散るもの悲しき秋の風情。落ちぶれて異郷の地にて、一人で高台に登る気分の辛さを吐露する状況。
従って、ここは、病気で白髪姿で、ドクターストップで酒も止めたと解釈したくはない。
酒呑みなら、そんな境遇であっても、高台でドブロク杯を傾けるもの。その手が思わず停止してしまったと読みたい。

しかし、どう読もうと、実に景気の悪い詩である。酒飲みが愛する詩になるとはとうてい思えない。
ただ、古今七律の最高峰と評価されている「詩聖」の傑作とされている。

古稀で有名な詩も見ておこう。
   「曲江二首
 【其一】
 一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
 且看欲尽花經眼、莫厭傷多酒入唇。
 江上小堂巣翡翠、苑邊高冢臥麒麟。
 細推物理須行樂、何用浮榮絆此身。

 【其二】
 朝回日日典春衣、毎日江頭尽醉歸。
 酒債尋常行處有、人生七十古来稀。
 穿花胡蝶深深見、点水胡蝶款款飛。
 傳語風光共流轉、暫轉相賞莫相違。


いかにも杜甫の作品というところか。
官位を得たものの、思ったようにはいかず、周囲とはソリも合わない日々。皇帝にも譴責されたりと散々。
体壊してもかまわんから飲むんだというのである。しかも、官職なんてどうでもよいとほざく。外野は、それなら退職すればよかろうと言いたくなる。しかし、生活がかかっているからそうもいかないのだろう。まさに憂さ晴らしの酒そのもの。
そして、どうせ長く生きられないから、質屋でも使って、飲んでしまおうというのである。実に頽廃然とした姿勢だが、それを臆面もなく表出している訳である。まさに、悶々の図といったところ。
酒飲みが一番嫌うタイプでは。

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