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「我的漢語」
2015年7月17日

蘇東坡の雨詩

「白楽天の心頭滅却考」[→] を書いている際に、大陸の仏教寺院が今どうなっているのか、ちょっと検索していて、広州の「六榕寺」が観光名所なのに気付いた。
お蔭で、ついつい、イチジクの話を思いだしてしまった。
   「白色乳液を出す聖なる樹木」[2014.9.1]
続けて書こうとおもったが、どうもノリが悪かったので、少々遅れての記載。

コレ、知る人ぞ知るといったタイプのお名前である。
"榕"は、滅多に見かけないが、教えてもらわなくても、"ヨウ"とは読める。しかし、どうせ訓読みは無いものと勝手に想像してしまうが、これが誤り。
"アコウ"。そう言われても、普通はなんだかネでは。
もちろん樹木の名前だが。実は、そこで、ハハ〜ンとなった訳。・・・【桑科無花果族の榕属】。
菩提樹が含まれる類である。つまり、仏教の聖木ということになろう。おそらく、気根があると思われる。日本人から見ると、いかにも恐ろし気に映る。しかし、それが逆に、インドでは精霊が棲む雰囲気と見なされるのだろう。一度、そんな樹木の盆栽をタイで見たことがあるが、異質感がフツフツと湧いてきて、文化の違いに驚かされた。

有名なお寺の名前になっているのだから、"榕"は大陸では結構知られている樹木の可能性が高そうである。
由緒を読むと。蘇軾(蘇東坡)が恵州(広東省)に左遷された際に訪れた仏教寺院「寶莊嚴寺」だそうな。その時、寺題字を乞われ、六氣勢不凡的榕樹と絶賛。牌を残したとか。[一塔有碑留博士 六榕無樹記東坡]
"春宵一刻値千金"的な絶句の一つもあればよかったのに。(常識的には、先ずは詩人として詠うのが普通であり、そんな話がなにも伝わっていないのが解せぬ。)
ともあれ、中央にそびえる九霄盤の広州市最古の建築物「六榕花塔(千佛塔)」見物が大人気らしい。文革は仏像破壊だけで済んだのだろうか。

蘇東坡といえば、小生には、1にグルメ、2に詩、3に書のお方に映る。要するに、後世に残した最高傑作は、「行書黄州寒食詩巻」ということ。一応、付け加えるなら、4に党派リーダー、5に一族愛(四川眉山)となる。しかし、それは表向きで、どうせ芸妓遊びと禅問答の暇つぶし大好きの「大文化人」だろう。桃源郷を本気で語る詩人達とは違い、それを戦乱なき豊かな社会の象徴と見なすタイプ。
白楽天型であり、その大ファンだった平安京の人々の末裔にとっては、憧れの宋人だった筈。

と言うことで、蘇東坡の詩のご紹介といこう。浅学のため、どの程度知られているのかさっぱりわからないが。・・・

    「定風波」   蘇軾[1037-1101]
 三月七日,沙湖道中遇雨,雨具先去,同行皆狼狽,余独不覺。已而遂晴。
  故作此
  莫聽穿林打葉聲、何妨吟嘯且徐行。
  竹杖芒鞋輕勝馬、誰怕?一蓑煙雨任平生。
  料峭春風吹酒醒、微冷、山頭斜照卻相迎。
  回首向來蕭瑟處、歸去、也無風雨也無晴。


雨男臭い感じがする。
まあ、そうなるのも当然。晴天より雨天のシミジミとした情感を詠みたくて仕方がない人だったようだから。
と言うか、"夜雨相床(牀)"を想いださせる詩人なので。
(核家族化してしまった社会にもかかわらず、未だに、この言葉だけが残っている不思議さ!)
この四字熟語は蘇軾の言葉とされているが、出典はすぐにわかりそうにないので、調べてはいないので間違っている可能性もあるので以下ご注意のほど。
小生の情感的にはコレ。弟の轍とは3つ違いのようだ。

    「辛丑十一月十九日、
     既與子由別於鄭州西門之外、
     馬上賦詩一篇寄之」  蘇軾
  不飲胡為醉兀兀、此心已逐歸鞍發。
  歸人犹自念庭、今我何以慰寂寞。
  登高回首坡隔、但見烏帽出復没。
  苦寒念爾衣裘薄、独騎痩馬踏残月。
  路人行歌居人樂、童仆怪我苦凄惻。
  亦知人生要有別、但恐歳月去飄忽。
  寒灯相対記畴昔、夜雨何時听粛瑟?
  君知此意不可忘、勿苦愛高官職。


ただ、四字熟語のママでは無い。
その方がお好みなら、こちら。イヤー、4文字だらけで、どこにあるか探すのが一苦労。

    「再祭亡兄端明文」
  維崇寧元年次壬午、五月乙卯朔日、弟具官轍与新婦コ陽郡夫人史氏、
   謹以家饌酒果之奠、致祭于亡兄子瞻端明尚書之靈。
  嗚呼!
  惟我与兄、出處昔同。幼学无師、先君是从。
  游戲圖書、寤寐其中。曰予二人、要如是終。
  后迫寒飢、出仕于時。郷挙制策、并駆而馳。
  猖狂妄行、誤為世。始以是得、終以失之。
  兄還于黄、我斥于。流落空山、友其野人。
  命不自知、還服簪紳。俯仰几何、寵禄臻。
  欲去未遑、禍来盈門。大之東、漲海之南。
  黎蜒雜居、非人所堪。瘴起襲帷、来掀簾。
  臥不得寐、食何暇甘?如是七年、雷雨一覃。
  兄歸晋陵、我還川。欲一見之,乃有不然。
  瘴暑相尋、医不能痊。嗟兄与我、再起再
  未嘗不同、今乃独先。嗚呼我兄、而止斯耶。
  昔始宦游、誦韋氏詩。夜雨対床、后勿有違。
  進不知退、践此禍机。欲復斯言、而天奪之。
  先壟在西、老泉之山。歸骨其旁、自昔有言。
  勢不克从、夫豈不懷。地雖、山曰峨嵋。
  天實命之、豈人也哉。我寓此邦、有田一廛。
  子孫安之、殆不復還。兄来自西、于是磐桓。
  卜告孟秋、歸于其阡。川有蘇、肇自兄先。
  嗚呼!
  尚饗。

尚、単純に検索するだけだと、白居易の「雨中招張司業宿」(能來同宿否、聽雨對床眠。」)が登場したりする。蘇軾だと、「後省初成直宿呈子瞻」となる。小生は、以下に示す「對床夜雨」を選んだ。いかにも、佛教徒らしき詩だからだ。

    「送劉寺丞赴余姚」  蘇軾
  中和堂後石楠樹、與君對床聽夜雨。
  玉笙哀怨不逢人、但見香煙碧縷。
  謳吟思歸出無計、坐想蟋蟀空房語。
  明朝開鎖放觀潮、豪氣正與潮爭怒。
  銀山動地君不看、獨愛清香生雪霧。
  別來聚散如宿昔、城郭空存鶴飛去。
  我老人間萬事休、君亦洗心従佛祖。
  手香新寫法界觀、眼淨不登伽女。
  余姚古縣亦何有、龍井白泉甘勝乳。
  千金買斷顧渚春、似與越人降日註。

大陸と島嶼では、この四字熟語の扱いが違いそう。

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