表紙 目次 | 「我的漢語」 2015年8月8日 立秋詩義満時代の京都五山では、臨済宗夢想派の禅僧が知的総帥の役割を担っていたそうだ。交易外交交渉担当でもあったから当然だろう。そのトップともいえるのが、絶海中津。義堂周信と共に「五山文学の双璧」と呼ばれていたという。その作品を一つも知らなかったので、漢詩の一つ位には触れておきたいものと思い、眺めてみることにした。 代表作は以下の詩なのだろうか。 「雨後登樓」 絶海中津[1336-1405] 一天過雨洗新秋 攜友同登江上樓 欲寫仲宣千古恨 斷煙疎樹不堪愁 「登樓賦」 王粲仲宣[177-217]:建安の七子 登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。 : 残念ながら、浅学のため、この辺りの歴史を全く知らぬ。なんとも言い難し。 新秋とは、立秋を言うのであろう。為政者と上手くいかないので、憂いを感じているとの感情吐露が「文学」として大人気だったということか。 その立秋だが、2015年は8月8日だという。真夏日続きでヘバルような暑さだが、暦を見ると、秋来ぬと目で定かにわかる訳だ。 まあ、憂いはいずこにもあり、些細な世事を忘れ、平易通俗に"秋が来タ〜"と詠う詩に接する方がよろしかろう。 性分にもよるが。 そうなると白楽天か。もちろん、その裏には色々あるのだが。 「新秋」 白居易 西風飄一葉、庭前颯已涼。 風池明月水、衰蓮白露房。 其奈江南夜、綿綿自此長。 ただ、秋の詩だと、やはりこちらか。断腸の思いは、母猿の悲嘆話から来ているそうだが、母を失った想いは共通ということ。 「暮立」 白居易 黄昏獨立佛堂前 滿地槐花滿樹蟬 大抵四時心總苦 就中腸斷是秋天 常感新蟬鳴の詩は初夏だが[→]、こちらは新秋の大合唱。それは読経にも聞こえたのだろう。 今、熱海にいるのだが、ここのところ、一日中大きな蝉の声。もしも、これが気になったりすれば、ノンビリくつろぐどころの話ではない。 → 「蝉詩」[2015年7月5日] (C) 2015 RandDManagement.com |