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「我的漢語」
2016年2月19日

咏梅史

梅は、春夏秋冬の蘭竹菊梅の「四君子」の代表格であり、松竹梅の「歳寒三友」としても縁起物として確固たる位置付け。「清廉潔白・節操」なのだそうで、雪中高士と呼ばれる。
その開花は桜のように一斉ではないものの、春を告げるかのよう。百花では真っ先に咲くので、花中之魁とされている。
   「百花とは」[2016.2.12]

しかし、その季節感は古代から綿々と続いてきたものではなさそうだ。
意中の男性に呼びかける歌垣になくてはならぬ樹木としての梅だったのは間違いないからだ。現代風に言えば恋の木。そこにはなんらの「清廉潔白・節操」性はない。そもそも、花ではなく、実に意味があったのである。それははたして有毒な青い実だったのだろうか。気になるところだ。
ともあれ、寒中という季節感の樹木ではないのは確か。

  「有梅」  [詩經 國風 召南] ・・・原註によれば"男女及時也"
 有梅,其實七兮,求我庶士,逮其吉兮。
 有梅,其實三兮,求我庶士,逮其今兮。
 有梅,頃筐之,求我庶士,逮其謂之。

  =投げうつ

その後、歌垣が消滅すると、単純に花中之魁という位置付けになったのであろう。
江南の地から、北方の地に、何もないので春を送るという、お洒落な詩が有名である。

  「贈范曄詩」  [南北朝 陸凱]
  陸凱与范曄交善。@「荊州記」
  自江南寄梅花一枝。詣長安与曄。兼贈詩:

 折花逢驛使,寄与隴頭人。
 江南无所有,聊贈一枝春。


これが切欠なのかはわからぬが、早春譜としての梅が大いに喜ばれた訳だ。
  「賦得春雪映早」  [唐 元]
 飛舞先春雪,因依上番梅。一枝方漸秀,六出已同開。
 積素光逾密,真花節暗催。摶風飄不散,見忽偏摧。
 郢曲琴空奏,羌音笛自哀。今朝両成咏,翻挟昔人才。


  「早梅」  [唐 戎c]
 一樹寒梅白玉条,迥臨村路傍溪橋。
 不知近水花先發,疑是經春雪未銷。


  「梅花(雪梅)」  [宋 盧梅坡]
 梅雪争春未肯降,騒人閣筆費平章。
 梅須遜雪三分白,雪却輸梅一段香。


  「雑詩三首」  [唐 王維]
  其一
 家住孟津河,門對孟津口。
 常有江南船,寄書家中否。

  其二
 君自故郷来,應知故郷事。
 来日綺窗前,寒梅着花未。

  其三
 已見寒梅發,復聞啼鳥声。
 心心視春草,畏向階前生。


ただ、梅と恋との連関が失われてしまったとまでは言えないのかも。

  「雑曲歌辞 長干行」  [唐 李白]
 妾髮初覆額,折花門前劇。
 郎騎竹馬来,繞床弄青梅。・・・


文化が成熟してくれば、当然ながら、そこに留まらない。
漢詩には少ないと言われる閨怨詩ばかり詠うことで有名な李商隠の作品になると、美しき寒梅の見方も少々異なってくる。

  「昨日」  [唐 李商隠]
 昨日紫姑神去也,今朝青鳥使来。 ・・・紫姑神,上元15日来訪
 未容言語還分散,少得団円足怨嗟。 ・・・物足りず未練がつのる
 二八月輪蟾影破,十三弦柱雁行斜。 ・・・16日夜は不眠で待ち続け
 平明鐘后更何事,笑倚牆辺梅樹花。 ・・・垣根には梅の花

さらに、そんな梅への愛着が進むと、梅花の愛で方も違ってくる。
俗世を離れた隠遁生活を現す四字熟語「梅妻鶴子」は以下。風流ではあるが、どんなパトロンがついていたのかは不明。・・・
  林逋隱居杭州孤山,常畜兩鶴,縱之則飛入雲霄,盤旋久之,復入籠中。
  逋常泛小艇,游西湖諸寺。有客至逋所居,則一童子出應門,
  延客坐,為開籠縱鶴。良久,逋必棹小船而歸。蓋嘗以鶴飛為驗也。

      [沈括(宋期:1086-1093)「夢溪筆談卷十 人事二」]

梅を、浅淡にして清寒な調子で詠っているのが秀逸なのであろう。

    「山園小梅二首」  [宋 林逋(967-1028)]
  其一
 衆芳搖落独暄妍,占尽風情向小園。
 疏影横斜水清浅,暗香浮動月黄昏。
 霜禽欲下先偸眼,粉蝶如知合断魂。
 幸有微吟可相狎,不須檀板共金尊。

  其二
 剪零碎点酥乾,向背稀稠画亦難。
 日薄從甘春至晩,霜深應怯夜来寒。
 澄鮮只共鄰僧惜,冷落犹嫌俗客看。
 憶著江南旧行路,酒旗斜拂堕吟鞍。


春の先駆けの開花を詠ったのではなく、他の花が散っても(毛沢東の百花斉放ならぬ斉芳の後)、残っているのが梅だけとの情景を取り上げている。梅花だけが、のんびりと咲き始め、ゆったりとして散っていくということか。
しかも、梅を「妻」のように見なしているとされるだけあって、妖しい風情だというのである。しかし、浅く清らかな水面に映る蔭は自分好みの気分であり、月が出た薄暗がりでの香りはなんともいえぬという訳。だからこそ、梅とは相狎の関係という訳。音曲(檀板)や高級酒(金尊)で大宴会など全く不要であると語る。

ご存知のように、日本は「古事記に梅なく、万葉に菊なし」であり、梅は遣唐使が持ち込んだと考えられている。
花中之魁の樹木であり、その実に薬効ありということで、調味材料として大いに珍重される形で始まったことになる。
もともとの魁だった桜にその地位を奪還されても、違う形でその愛着感を残すことにしたようだ。
それが、「好文木」。
"晉武好文則梅開、廢學則梅不開。"が出典とされるが、どこにもその証拠は無い。日本の作り話である可能性は極めて高い。菅原道真の天神信仰で生まれたと見るのが自然。
   「咏梅」[2015年1月25日]

(参考) 韓:"「好文木」考─天神信仰とのかかわりを中心に" 創価大学日本語日本文学会 日本語日本文学 第22号 2012
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