表紙
目次

「我的漢語」
2018年7月5日

女神名称に学ぶ

中国の超古代の状況が見えてくること請け合い。
その方法論。・・・

先ず、極東島国だからこその、"文化の吹き溜まり"状況が実感できる「古事記」に目を通す。
次に、晩唐随一の読書家の著作「酉陽雑俎」を、どういうつもりでこんなことを書いたか推定しながら読破する。
そして、「山海経」を一通り眺める。
その上で、白川静の漢字論と中国神話論に直接触れてみる。(但し、外れ多しと見て、信用せずに読むこと。)
後はセンスの問題。こればかりはどうにもならない。

今回はそんなお話。以下、ほとんど勝手な想像でしかないが、当たらずも遠からずの筈。
簡単に言えば。東アジアの神話の原点は双頭蛇身の女神というだけにすぎぬが。
[女+咼白川説:“は死者の上体の残骨、口は祝祷を収める器の形”]

一般的には、中国における創世記的記述は、形而上学的なモノが紹介されることが多いが、3種ともに後世作成話だと思う。
 ・儒教的ト占由来と思しき陰陽2元論
 ・混沌("氣")からの道教的宇宙創成("道")
 ・四方の地に円形ドームの天(ナイルや印度発祥)
いずれにしても、官僚組織がご都合主義的に導入したもの。(土着信仰寄せ集めの道教など、すべての神格が官僚組織的に定義付けられている。)

形而上学的概念から始祖信仰が生まれる筈がないし、生殖概念を消し去った創世記は東アジアにはそぐわない。中華帝国官僚は、男女の愛・恋を神話から抹消させることに血道をあげたのでそう見えないが。
それはともかく、原始神は、三つ揃えが必要。
 ・原初・・・宇宙創成役 or 原始宇宙から誕生
 ・ヒトを創造
 ・大自然の脅威に対抗・・・ヒト母性的擁護
どのように話を作ろうが、女神無しの形而上学的な神話で語れる訳が無いのである。

伝承されている話で、完璧にこの条件を備えているのは女だけ。しかし、中華帝国としては男女関係に繋がる女神は不適なので、他の2柱が喧伝されることも多い。
 盤古 →「虱話の意味」
 渾(混)無性 →「有識無面目の帝江」

盤古は、現代でも道教の信仰対象である"元始天王"@道教に取り込まれたと見てよいだろう。インド的宗教の宇宙人格神に当たる土着神が必要となったため生まれたのだろう。一方、渾沌は無性であるから形而上学的な表現の系譜に取り込まれたと見るのが素直。常識的には、一番の古層信仰は双人頭蛇身の女神の女
大陸に於ける始祖信仰対象としては、唯一無比の存在と見るべき。
ところが、実際にはカップルの片割れの存在として紹介されるのが普通。

「大荒西経」[@「山海經」]には、相手である伏羲の記載は一切無いにもかかわらずだ。ところが、「史記」には収載されている。但し、卜者司馬季主のお話[日者列傳第六十七]として、"自伏羲作八卦,周文王演三百八十四爻而天下治。"。古代の帝たる様相とは程遠い次元だが、卜占勢力はこれこそ帝にふさわしいと感じたにに違いない。

つまり、「史記」唐代増補の【三皇】で、此処の伏羲を付け加えたということ。もともと2頭で一体化していた姿を、兄妹に無理矢理分身化させる動きを公認したのである。(尚、超古代は、人口激減もあったろうから近親結婚は禁忌ではなかったということ。古事記でも、禁忌でなかった時代が垣間見える記載になっている。)
の偏である"女"は跪く姿勢の象形であり、神の降臨を導く役割を示している。(貴人♂に跪く訳ではなかろう。尚、倭人の場合、貴人には跪かす、拍手だったとされている。)そこに祝祷を収める器が絡む文字だから、部族祭祀の核たる役割をしてきたことは歴然としている。一方、伏羲とは、字義から見て、"供犠"担当の付け足し役に過ぎぬ。祭祀者の指示に従って、屠ったり、供犠台に載せる作業者でしかないのだが、そちらを主導者に祀り上げたのである。

要するに、母性崇拝時代の存在を消し去りたかった訳である。すべてを伏羲の事績として、女を"正史"たる「史記」の増補版に登場させない手を狙ったに違いないが、流石に消し去るのは難しかったのであろう。実際、"正史"である、「漢書」や「後漢書」には女は出てこないし、以後もその方針は変えられることはなかった。

そのため、残っている事績が、共工[人面蛇身:北狄系]との争い位という変則的記述になっている。別称は"皇"なのだから、本来的には数々存在したに違いないのだが。

そこらも、字義を考えると見えてくる。
婚姻関係としては、かつてはこんな風に考えられていた筈。
 女♀⇔男♂
 _后⇔帝
 _妃⇔王
それが、本格的官僚国家が樹立されると、天帝あるいは天子という概念が導入され、一人以外はすべて役職名になってしまう。男性だけでなく、女性も階層構造的な地位の名称がつけられてしまうのである。・・・
 后─妃─嬪─

しかし、女だけはそうはいかなかったようだ。別称として、"皇"とされたりする位で。("皇帝"という用語は中国統一王朝が生まれた秦代に創られた用語ではないか。"皇"とは神を指していたと考えられるから、帝と合体を図ったのでは。鳳♂凰♀という文字を見ても、"皇"とはもともとは女神と考えるのが自然である。後継者が男の場合もあるが。)
 女神⇔男神
 _皇⇔帝
"女"信仰の時代、帝という概念は不要だったのである。伏羲を創出するために必要になったようなもの。
"吹き溜まり文化"の国では、そこら辺りの古層の精神を今に伝える。
天照大神命の系統が天皇に"なる"のである。一方、儒教の宗族優先主義では、系譜から帝を定義できない。天命で天子を仰せつかり、天帝の名代になるだけ。皇と帝は、女系と男系という以前に、そもそもが全く異なる概念なのだ。
従って、土着宗教の集合体たる道教では皇という概念は許容可能だが、儒教的社会秩序のなかでは帝に匹敵する概念は消えてもらうしかない。

「史記」唐代増補版はそういう観点で、どのような思想で創ったかが良く見える。

言うまでもないが、"女"に先だって、先ずは「天皇氏・地皇氏・人皇氏」時代が設定される。その後にくるのが、名前も年代も都も分からないとされる"氏"の時代。もちろん、渾沌も一部族名に落とし込められる。"地域"部族アイデンティティ=氏族の確立は"女"信仰時代の後と考えるべきと思うがそれではこまるのであろう。(五劉氏, 燧人氏, 大庭氏, 栢皇氏, 中央氏, 巻須氏, 栗陸氏, 驪連氏, 赫胥氏, 尊盧氏, 渾沌氏, 昊英氏, 有巣氏, 朱襄氏, 葛天氏, 陰康氏, 無懐氏)

ともあれ、「史記」唐代増補版では"女"は后の地位に押し込められたのである。その結果、男帝を継承するだけの、ほとんど事績なき女帝になる訳だ。読者としては、どうして、帝になれたのかはなはだ理解に苦しむ訳だが、それ以外に手がなかったのであろう。
 女♀⇔男♂
 女⇔伏羲/太昊 …一般的には兄妹婚。

婚姻関係とは、儒教の土台たる宗族主義に基づく家系社会が確立されてからの文字であり、それが生まれたのは後世の筈。
 婚⇔姻…女と男、それぞれの実家
 [媒妁]
もともと係累は女系で保たれていた訳で、氏族概念もそこから生まれたものなのは当たり前。それを何としても男系にしたかったのであろう。姓名とはもともとが女系を指すものだったのは明らかなのだから。
 姓⇔

しかし、国家が樹立されるようになっても、女系が出発点との記憶は消しようがなかったとみえる。古代国家の始祖物語りでは、"感性"懐妊が語られているからだ。
 殷(商)・・・有氏の長女簡狄が契を出産。
 周・・・姜が后稷を出産。
実態的には、男が誰だったかよくわからないということかも知れない。男女が契りを結んでからの第一出産での「蛭子流し」の風習もそこらと絡んでいるのかも。
言うまでもないが、伏羲が登場しない「大荒西経」[@「山海經」]では、女は処女生殖者である。
 女無し
 __
 ____[煉五色石:煉銅]
 __賻祖[養蚕神]
「古事記」の記述が参考になるが、単性生殖や遺体分化変態が当たり前だった訳である。

「楚辞」天問にも "女岐無合 夫焉取九"とある。
女岐は処女生殖の九子母であり、だからこそ多育神としての信仰が生まれたのであろう。日本の土偶時代を彷彿させる。

「山海經」には、他にも女神が続々登場。
 「大荒東経」女丑@海内…蟹が眷属 「大荒西経」太陽で焼き殺され山頂に屍体
 「海内経」后土…大地母
 「海内経」雷祖…黄帝と結ばれるようだ。

ところで、【三皇】と言えば、伏羲・女に、牛頭人身の炎帝神農氏(or 歴山氏)が加わる。ここでの炎帝という名称は事績からみて、何の意味もない。戦国時代に生まれたとも言われるが、それ以前から存在したと思われる陰陽ベースの五行思想(木・火・土・金・水)で王朝継承を説明する都合上付けただけのモノ。

一般的には、火を司るのは祝融。そのため、【三皇】として炎帝でなく、祝融をあてたりすることもあるらしいが、火官として仕えていると解釈することが多いようだ。「海外南経」[@「山海經」]では獣面人身の南の神であり、中華帝国としては、帝に仕えるメンバーとして是非とも編入しておきたかっただろう。「海内経」[@「山海經」]には、洪水を防いだ鯀を殺害したとも。

五行思想での名称に加え、その姓も設定されている。姜[羊+女]とされているが、女系の農耕部族名か。[姜姓:州、甫、甘、許、戲、露、齊、紀、怡、向、申、呂]
一方、伏羲・女は、中華帝国の祖たる黄帝の系譜的権威作りのために、後付けで風姓とされてしまう。

「史記」唐代増補版では"嫁娶制&儷皮礼"導入が伏羲とされ、その親の名称も存在しておりここらの氏姓は実に手が込んでいる。
華胥┐@雷澤
  伏羲[庖犧氏風姓号龍師]=太r(帝)
   (後裔:すべて風姓:任、宿、須句、臾)

炎帝の系譜も同様である。
女登/奔水氏少典氏

⇔炎帝歴山氏姜姓
┼┼└┐
__⇔帝
┼┼
┼┼└帝臨魁─帝承─帝明─帝直─帝釐─帝哀─帝楡罔
この辺りは、書籍毎に記述内容が大幅に異なる。なかには神農と炎帝を別扱いにする場合も。要するに、農業部族連合の時代を描いただけ。
"女"は象形文字で、いかにも神に仕える姿なのに対して、"男[田+力]"は生産活動者としての扱いな訳で、女系主導だったことは歴然としているが、ここでの記述の通りに、男系主導に替わったということであろう。

尚、女性が全く登場していない訳ではない。炎帝の素性は女性の単性生殖とされており、「北山経」[@「山海經」]では、こんな話も。
__⇔炎帝
┌─┘末娘
女娃…溺死@東海→精衛[填海活動の鳥]

もともとの「史記」冒頭の【五帝期】にも触れておこう。

ここは徹頭徹尾、中華帝国始祖としての天帝コンセプトで書かれていると言ってよいだろう。と言っても、黄帝が唯一無比の存在ではないから武力闘争で地位争奪が発生することになる。
 v.s. 蚩尤…嵐/洪水の呪術@「大荒北経」
 v.s. 形夭[形体夭残]@「海外西経」
 v.s. 炎帝[火]…姜姓
同時に、父居・婚姻(一夫一婦)が主流化していく様子も描かれている。「大荒北経」「大荒東経」でもそこらははっきりと示したかったようだ。娘がその社会制度の擁護者となることによって。
__⇔黄帝[雲]…風と旱魃+応龍
┌─┘
(女)

黄帝男系系譜を作り上げることが主眼なのである。漢代までの主要国の王をそのなかに入れ込むことになるだけで、どうということはない。

と言っても、あくまでもストーリーの主題は「舜−堯−禹」の帝位継承である。血筋では無く、儒教的理念を体現すると地位が当てられるということ。

従って、どのように繋がっていようと、たいした問題ではない。それよりは、中華帝国「黄金時代」として描き切ることが優先されていると見るべきだろう。

例えば、こんな具合にまとめることもできる。
母族附宝…父系は少典氏(炎帝神農氏の母系でもある。)

黄帝有熊氏,軒轅氏 or 帝鴻氏 姫姓 or 公孫姓
┼┼┼┼┼┼┼┼┼<臣下>(蒼頡)

│┌(昌意)高陽氏
││┼┼┼┼
││┼┼┼┼│┌・・・・─舜有虞氏/俊+(羲和,常羲)
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼[七孔欠損面六足重翼]
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼窮奇[ハリネズミの毛が生えた牛]
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼饕餮[人面牛身]=蚩尤の頭
││┼┼┼┼││┼┼┼┼┼[人面犬毛虎身]
││┼┼┼┼└┤
││┼┼┼┼┼┼┼┼┼(益/)<臣下>
││┼┼┼┼┼(鯀)(禹)()---@「夏」
││┼┼┼┼┼┼└→東夷
└┤
└玄/少昊─・─高辛氏
┼┼┼┼
┼┼┼┼│┌堯陶唐氏伊祁姓
┼┼┼┼│││┼┼┼┼┼┼<臣下>(羿+嫦娥)
┼┼┼┼││├(丹朱/驩兜)→南蠻
┼┼┼┼│││┼┼(三苗[渾沌+窮奇+饕餮])→西戎
┼┼┼┼││└<舜へ嫁下>(娥皇,女英)
┼┼┼┼└┤
┼┼┼┼┼(契)─・・・─(主癸)(湯/天乙)---@「殷/商」
┼┼┼┼┼(后稷)─・・・・・・---@「周」
┼┼┼┼┼├・・

主題だけで改めて系譜を創れば、例えば以下のようになる。その思想背景は、"内作色荒。外作禽荒。"[「尚書」"五子之歌"其二](内で女色に拘泥すると滅亡へ。外で猛獣が氾濫すると滅亡へ。)と見て間違いない。
【三皇期】無懐氏風姓
____
__⇔黄帝/姫姓 // 祖⇔黄帝…養蚕を奨励
__└────────┐
女枢/昌仆蜀山氏@若水⇔昌意…「海内経」では異なる.
___┌───────┘
__⇔頊高陽氏…華夏王朝始祖
___└───┐
羲和太陽母⇔帝/()俊
__┌────┘
__⇔窮蝉…舜の高祖
__
__⇔鯀
__└─┐
塗山氏⇔帝禹[九+虫:雌雄の竜] or …夏王朝始祖
__ │
封弧氏⇔啓
__
__⇔太康
__
__⇔少康

よく見ればお分かりになるように、どう考えても女時代の太陽母神が登場している。10個の太陽、つまり1年10ヶ月の暦の主である。当然ながら、月母神常羲もペアで帝にお輿入れとなる次第。群婚である。
__⇔堯
┌─┘
1.n.a.⇔帝舜 重華[氏姚姓]…虞国建国
2.娥皇[后]⇔〃
3.女英[妃]⇔〃
「海内北経」・・・
登比氏[前妻]⇔〃

「大荒南経」「海外東経」・・・
1.羲和[太陽母:10月]⇔帝/()俊
「大荒四経」・・・
2.常羲 or 嫦娥[月母:12月]⇔〃
3.娥皇⇔〃
4.__⇔〃

さらに圧巻は西王母の扱い。
「大荒西経」「海内北経」に登場するが、まさに恐ろしい魔物。眷属は凶暴そのもの。にもかかわらず、正史たる「漢書」では王朝を守護する役割とくる。土着信仰の道教が長生をかなえてくれる女神としていたからだろう。["必長生若此而不死兮,雖濟萬世不足以喜。"「史記」司馬相如列傳第五十七]しかし、その実態から言えば、西域に存在する国の王でしかなかった筈なのだ。ご都合主義的に重視することになった女神以上ではない。
["安息長老傳聞條枝有弱水、西王母,而未嘗見。"「史記」大宛列傳第六十三] ["繆王使造父御,西巡狩,見西王母,樂之忘歸。"「史記」趙世家第十三]

常識的には、西王母の黄帝支援話など後世のフィクションでしかないが、中華帝国で生きていこうと思うなら、そんな発言をする大馬鹿者はまずいない。出来上がっているストーリーを楽しむのが一番。

 (C) 2018 RandDManagement.com