■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[はじめに]■■■
「古事記」はただならぬ書と言うか、太安万侶の凄さに感服。これが、小生の正直な感想。

冷静に見れば、それは、ユーラシア大陸東端の隔絶的列島の文化の吹き溜まりから生まれた、かなりの後世に成立した書に過ぎないものの、極めてユニークな思想的営為の結晶であることは間違いないからだ。

この書が成立したお蔭で、現代迄、日本列島は独自な風土を保ち続けることができた訳で、そんなことは歴史的に見て奇跡に近い。実際、地理的には真近な朝鮮半島を見れば、すぐにそのことに気付かされる。
どうやら漢語圏から脱することには成功したものの、日本の歴史から言えば鎌倉期迄を徹底的に焚書化。その後は、もっぱら創作歴史を掲げることで満足する小中華思想で固まってしまった。

要するに、「古事記」の特筆モノは、いかにも雑種そのものという風情で貫かれている点。そもそも、序文が中華帝国公用書体の漢文なのに、本文は全面漢字文であるにもかかわらず、漢文とは似て非なる文章というモノ凄さ。・・・正確に言えば、この性情は、融合させたハイブリッドではなく雑炊仕様。

それと、「說文解字」に、ましてや超古文と思しき「爾雅」に、なんの係りがあるのだと言うなかれ。
この両書なかりせば、「古事記」は生まれなかったと確信しているからだ。

おそらく、太安万侶は稗田阿礼の優れた会話(口誦倭語)を通じて、倭語に文法があることを発見したのである。おそらく、大感激。(言うまでも無いが、インターナショナルなセンスの持ち主でなければ、こんなことに気付くことは無い。帰朝仏僧とのサロン的交流があったと見るべき。)

換言すれば、日本国公式文書化が進む漢文には、暗記が不可欠な五月蠅い取り決めが数々あるものの、文法と呼べる普遍的な規則などほとんど無いと認識済みだったことを意味する。(漢字は、王朝官僚が制定した、極めて柔軟な言葉の表示用記号でしかなく、文字に意味付けすることで文字を見た瞬間に意味が頭に浮かび、それを得ている知識で語彙に変換する仕掛けであることを理解したということに他ならない。)

このことで、倭語を漢字表記できると、確信し、一気に口誦語であった倭語の文字化を仕上げることが可能になったと云えよう。
このお蔭で、日本語確立の動きが始まったと云っても言い過ぎとは思えない。「古事記」なかりせば、消失していて、おかしくないのである。

つまり、インターナショナルなセンスでここらをスキーム表示すればこういうことになる。・・・
 Pāṇini:「アシュターディヤーイー」@紀元前4〜5世紀頃
  著者不詳:「爾雅」@成立期不詳許慎:「說文解字」@100年
   太安万侶(& 稗田阿礼)「古事記」@712年
(サンスクリット文法体系:3,959の形態論的規則:語根→語幹→複合語の派生と分類方法+品詞分別[…空海が修得していたのは明らか。])
つまり、太安万侶はこれをご存じだった訳である。
従って、全面的漢字使用の「古事記」を読むなら、「爾雅」と「說文解字」に触れ、その文法無き文法感覚を知っておく必要があると思われる。

太安万侶は因果律についても理解していることが本文記述から伺われ、漢語にはそうした"論理"を一切欠くことを実感していた筈。そこらの視点で眺めることも忘れずに。
尚、論理学(Logic音訳は邏輯。)は日本語の創成語彙であり(諸子百家の所論がLogic相当と見なしてのこと。)、漢語にはこの類の言葉は皆無。(一般には、"墨辨"が中国論理学を代表しているとされているが、現代の後付け解釈。)

もちろん、叙事詩としての内容から言えば、現代人感覚では以下の様にならざるを得ないが、それぞれの思想基盤は全く違う。・・・
 ホメロス:「イーリアス & オデュッセイア」@紀元前8世紀末
  「マハーバーラタ & ラーマーヤナ」、
   「山海經」、
    「古事記」。
  

     

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