■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[10a釋丘]■■■
「爾雅」に釋山があるのは当たり前の分類だが、あたかも、そこから独立させて特別に記載しているかの如くに映る、釋丘を別途設けた理由は判然としない。
しかし、それで放り投げて先に進むのも面白くないので、推理を試みた。正直なところ、当たっているとは思えないものの。

その糸口として設定したのは"虎丘"。虎が棲んでいたとはとうてい思えないし、虎的地形でもない地。
ココは、蘇東坡の宣伝詩で知られ、傾いた佛塔見物が人気の蘇州観光の目玉たる場所。
歴史的には、春秋時代、越に敗れた呉の闔閭王@[在位]前515-496年の行宮の地。しかし、有名になったのは、伝でしかないが、十萬軍民が施工した寶劍副葬の遺體埋葬地という点から。…葬三日、白虎出現ということで號されたとの話が人々の琴線に触れたのだろう。(もともとは、海涌流輝の平疇山丘とされていた地らしい。島成る神話の地と言う事。仏教寺院伽藍化した唐代は山號が武丘。)

ここに、≪丘≫文字に拘る理由が凝縮されている様に思えて来る。("虎丘"が後から挿入されていない点は特筆モノ。と言うか、有名5丘の存在を指摘しながら、その名称を全く記載しないというチグハグ性を考慮した訳だが。)

・・・そう感じてしまうのは、「古事記」が拘る、天皇代=遷宮先の地名ルール(地名⇒基本呼称)が気になるから。
箱庭の様な倭国の地勢らしさ芬々の風習だとそうなるが、大陸では、おそらく、王城の地は丘上。"虎丘"は御陵名なので、行宮の王城名があった筈だが、捨てられてしまったことになる。
しかし、一般には、王城の地を埋葬地化させる道理などなく、丘墟化しても、その地名はそのまま使われ続けることの方が多いだろう。
小生は、それが、「爾雅」が≪丘≫文字に熱心になる理由と見た。

要するに、こういった(地誌的)文字群の記載に努めたことになる。・・・
≪古地名≫
 @山東省曹縣
  @山東省菏澤市巨野縣
 @山東省菏澤市定陶区
 @山東省淄博市臨淄区斎都鎮
 @山西省太原市南晋源鎮
 @河南省周口市淮陽区
 @河南省商丘市虞城縣
 @河南省永城市太丘鎮
 @河南省濮陽市濮陽縣
≪「詩経」等≫
 坎其擊缶 之道[国風 陳風 宛丘]
 之葛兮 何誕之節兮[国風 邶風 旄丘]
 送子渉淇 至於[国風 衛風 氓]
 n.a.[小雅 南有嘉魚之什 ]
 緜蠻黃鳥 止于[小雅 魚藻之什 緜蠻]
 揚園之道 猗于[小雅 巷伯]
 因堀穴而處焉[「墨子」節用中]
おそらく、上記は、由来不詳が多いに違いない。換言すれば、"虎丘"的な號だらけ。しかし、丘墟化すれば、一般的な地勢的用語か、王城固有名かの峻別も難しくなるのは必然。
【参考-1:都城地名
伏羲[+女媧]@陳 → 炎帝/神農(姜姓)@魯 → 帝臨魁 → 帝承 → 帝明 → 帝直 → 帝来 → 帝哀 →
黃帝/有熊(姫姓)@軒轅 → (太昊/庖羲(風姓)@宛丘) → [黃帝子昌意系]顓頊@高陽&帝丘 → [黃帝子玄囂(帝少昊@窮桑)系]帝嚳/高辛@帝丘&西亳 → 帝摯/青陽@清化 → 帝堯/陶唐@平陽 → [顓頊系]帝舜/有虞@蒲阪 → (鯀@大夏&崇) → [顓頊系]帝禹@陽城 → 啟 →
帝太康@斟鄩 → [啟子]帝中康 → 帝相@帝丘 → (羿@鉏&窮石 → 寒浞) → 帝少康@綸&夏邑 → 帝杼@老丘 → 槐 → 芒 → 泄 → 不降 → [泄子]帝扃 → 帝廑@西河 → [泄子]孔甲 → 皋 → 帝發 → 帝桀/履癸@斟鄩&河南 →
嚳 → 契@亳&蕃 → 昭明@泜石&商 → 相土@商丘&泰山下 → 昌若 → 曹圉 → 冥 → 王亥@殷 → [冥子]王恆 → 上甲微@鄴 → 報乙 → 報丙 → 報丁 → 主壬 → 主癸 → 湯/天乙@亳 → 太丁→ [湯子]外丙 → 中壬 → [太丁子]太甲 → 沃丁 → [太甲子]太庚@斟鄩 → 小甲 → [太庚子]太戊 → [太庚子]雍己 → [太戊子]中丁@隞 → [太戊子]外壬 → [太戊子]河亶甲@相 → 祖乙@庇&邢 → 祖辛 → [祖乙子]沃甲 → [祖辛子]祖丁 → [沃甲子]南庚@奄 → [祖丁子]陽甲 → [祖丁子]盤庚 → [祖丁子]小辛 → [祖丁子]小乙 → 武丁 → 祖庚 → [武丁子]祖甲 → 廩辛 → [祖甲子]庚丁 → 武乙 → 文丁 → 帝乙 → 帝辛@殷&朝歌

・・・中華帝国の歴史とは帝から始まり、後は、その系譜ありき。帝には地名がついてまわる以上、いかに超人的に描かれていようと、当該人物がその地に存在したと考えるべき。異体化されたり、神的な超人扱いになっていることも多いが、作為と云うより印象に基づく表現に過ぎまい。どうあれ、古代の帝譚には、良くも悪くも、儒教的宗族社会の規範が示されていると言ってよく、宇宙創造という哲学的な話とは全く無縁の地平。
つまり、中華帝国では、≪神話≫とは程遠い、現実に存在した帝がその地位を継承して行く≪伝承譚≫が全ての出発点。要するに、伝説はいくらでもあるが、神話は皆無。その連綿と続く帝の体制こそが全宇宙像との、確固たる観念があるともいえよう。信仰形態としては、中華帝国の祖同様に、自ら属す宗族祖への尊崇を核とした、その現世代表者への絶対的忠誠いうことになろう。(時に、打算的に異教信仰を被せてグローバル対応を図ることもあるのでわかり難いが、朝鮮半島を含め、4000年以上、この信仰は廃れるどころか強化され続けて来た。・・・宗族型信仰がグローバルに通用するとは思えないが、全人民の精神をコントロールする仕組みでもあるから、巨大帝国化に邁進する原動力になるのは間違いない。)
ちなみに倭国だが、「古事記」を読めばわかるように、帝の姿も形も無き原始世界が歴史の出発点。そこに非人格~が登場してくる。この手の宇宙創造譚こそが神話。中華帝国では早くに抹消させられたと見るのが順当なところでは。

【参考-2:「詩經」
【咸丘】卦名
【臨丘】卦名
【旄丘】
  旄丘之葛兮 何誕之節兮 叔兮伯兮 何多日也
     [「詩經」國風 邶風 旄丘]
【陵丘】⇔丘陵
【阿丘】
  陟彼阿丘 言采其蝱 女子善懷 亦各有行 許人尤之 衆穉且狂
     [「詩經」國風 鄘風 載馳]
【宛丘】
  子之湯兮 宛丘之上兮 洵有情兮 而無望兮
     [「詩經」國風 陳風 宛丘]
【others】
  匪來貿絲 來即我謀 送子涉淇 至于頓丘
     [「詩經」國風 衞風 氓]
  楊園之道 猗于畝丘
     [「詩經」小雅 節南山之什 巷伯]
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     [「詩經」小雅 南有嘉魚之什 崇丘]
  

     

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