■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[10c釋丘]■■■
釋丘の記載の冒頭で"崑崙"が登場するので、ここでその意味に触れておこう。

崑崙については、情報は多いが、個々の情報が錯綜した性情のものだらけなので、分析結果を俯瞰的に眺めて整理することは難しい。(もともとの情報にすでに混沌分類観が組み込まれていて考え方が掴みづらい上に、尚古的通念に合わせた理屈をご都合主義的に絡ませるから、論理も紐解き難い。イメージ的概念、具体的な地名、言葉の発祥元、等々がゴチャ混ぜ。…論理性とは、天子が定めた公的ルールに沿って解釈することなので致し方ない。)

とは言え、現代人からすれば、わかり易い解釈は存在している。深淵幽谷的な地で、元始地母神が支配する、屹立する山岳名称ということ。
普通は、そんなところでお茶を濁すことになるが、「爾雅」と「說文解字」を読もうと考えるならそうもいくまい。
・・・この常識的感覚は、「詩経」ベースの文化とはかけ離れているからだ。

言うまでもないが、「詩経」は崑崙に対する関心など皆無。それどころか、南山や嶽は登場するものの、個別の山を題材として採り上げようという気風に欠けている。つまり、山は叙景対象ではない。信仰的な感興を起こす霊山的見方も存在していると言えるのか、はっきりしないのが実情。

しかし、「爾雅」は崑崙に触れているから、そういうことはなかろうと考えがちだが、はたしてそう言えるのだろうか。
冷静に眺めれば、書いてあることは、崑崙とは中華帝国周囲の地域の1つという点。ただ、帝国地誌の記述的には、黄河源流域という特別な地位にあるとは言えるが。「詩経」同様、特別扱いしていないことが特徴と見ることもできよう。

  西北美者 崑崙虚璆琳琅玕@釋地
  三成爲崑崙丘@釋丘
  河出崑崙虚色白━━河曲@釋水

・・・儒教国の王朝官僚にとっては、崑崙神話を大切にしている姿勢を示すことは鉄則ではあろうが、崑崙の元義などどうでもよい話ということになろう。天子差配の地のなかに、崑崙を位置付けること以上に関心が無いことになろう。要するに、統治になんの影響もないなら、どう解釈されようが結構というに過ぎず、流行語的扱いがなされていると言えなくもない。

【信仰(神話)
 <渾淪> 昆≒渾 侖≒淪[天之象]  ⇒"幽"(隱)
       ≪日≫昆:同 ≪亼≫侖:思
 <混沌> 元始体名転用
 <& @遠> 崑崙虛在其東 虛四方[「山海經」海外南經]
       最高天界大羅天対応山岳@道教
 <
 仙鄉
 <> 天帝下都
【地理】
 <黄河発源地> 「爾雅」釋水 ⇒漢武帝認定
 <積石山辺り@黄河[潛行地中流]> 大禹譚
 <祁連山[Kulun]> 匈奴命名"天"山
【部族用語】
 <漠然的西戎@西海之通称> 織皮產玉域山岳民
 <K[喀喇]> 胡語(崑崙山人之膚色K) [漢代渡来黒人の可能性大]
 <ziggurat> 宗教的建造物名@メソポタミア
  

     

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