■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[17ra釋鳥]■■■
崑崙と鳥について、儒教による大胆な転換の視点で書いてみたが、表層的な動きの"説明"で終えてしまったのが気になるので追加。

儒教が、どういう理由で、崑崙守護役である鳳凰を孔子の象徴とせざるを得なかったか、そして恐ろしき西王母を天子と親和性ある性情に変身させる必要があったか、という問題は結構本質的な問題とも言えるから、その辺りを補足しておきたい。・・・「山海經」の崑崙の扱いと、儒教の見方の違いには、哲学上の対立が存在しているが、同時に、生活上の実利から両者(巫 儒者)ともに混淆化も追求せざるを得なかったということで。

先ず、哲学上の対立を見ておこう。(後世に道教として確立していった呪術型土着信仰 v.s. あくまでも天子独裁体制ありきの宗族信仰[儒教])

土着信仰とは、トーテム部族毎に形成された雑多な巫術の集合体とも言える。部族連合的国家化に進めば、巫は緩いヒエラルキー的組織に納まることになろう。それが道教的組織の原型ということになろう。細かな違いはあるものの、宇宙の創造~は存在しないのが特徴で、現代的には唯物論に近い。ところが、最高~的な天帝が存在している。さらに、その周囲に分野別に様々神々が取り巻いており、相対的な地位が設定されることになる。神々との交流を取り仕切るのが神的存在でもあるトーテムということになり、部族は必要に応じて祭祀を行なうことで神々と交流することになる。但し、天帝は別格であるためその対象ではない。

一方、儒教でも、創造神感覚は全くなく、天帝が絶対的地位で君臨するだけ。そのメインの役割は地上の最高権力者を天子として承認あるいは否認すること。天子独裁社会の正当性の唯一の論拠でもあるから当然だが。従って、天帝は祭祀の対象とされてはこまることになる。

この様に描くと、両者のコンセプトは似ている様にも映るが、「死」の概念を入れると、全く異なる様相が出現する。

それを見るためには「山海經」の崑崙の記述の読み解きが不可欠。
と云っても簡単な話で、この箇所だけが数多くの巫が登場している点を確認するだけ。簡単に云えば、不可解そのものの記述になっているということ。
崑崙はこと細かく情景描がなされているが、それは大河の奥深い源流域であって、常人が到達不可能という状況説明以上ではないからだ。つまり、常人から情報を得る方法は皆無なので地誌を書ける訳がないのは明白。
しかし、訪問不可能なのは常人であって、"鳥"にとっては難しいことは何もない。
と云うことは、"鳥"に運ばれたヒトが存在していることを意味している。
言うまでもないが、そうしたヒトとは魂以外にあり得まい。つまり崑崙とは死霊の行先とされていたことになろう。
だからこそ、その地の都に、天帝が降臨する訳だ。
土着信仰では死後、ヒトの魂が鳥によって山に運ばれるという観念が普遍的に存在していたことを示唆しているともいえよう。

儒教の立場からすると、これは天子独裁体制の根拠を崩しかねないので、否定する必要があろう。これを認めてしまえば、ヒトの魂には、天帝と巫は関係するが、天子が関与する余地が無くなってしまうからだ。
宗族祖(魂)の存在世界がどこにあろうが、現世の宗族長が祭祀を通じて、祖の魂から命を受けるという観念こそが、儒教信仰の骨格である以上、こうした発想を潰すことに精力が注がれることになろう。
儒教からすれば、死後の地に関心がある訳ではなく、死後も現世の血脈継承者に祭祀を通じてその意思を伝えることができる体制確立ありきなのだから。

・・・このことは、天子コンセプトが確立され、フラグメントな部族社会が中華帝国化される過程で、部族トーテム偶像たる人面鳥信仰を、抽象的な宗族祖への信仰に置換する動きが急速に進む事を意味しよう。

もともと、部族トーテムは、その偶像自体は怪であるが、機能上は洗練されており、巫の活動に向いた存在。特に、近隣部族との類似性とIDとしての峻別性(部族外婚制には不可欠)を兼ね備えている点で持続性が担保されて来たと言えるだろう。
理念的な宗族祖絶対主義と、トーテム偶像信仰はその外見からすれば、相容れない信仰の対立を引き起こす様に見えるが、部族社会とは武力対立は当たり前であるからこそフラグメントな部族社会ができあがっていた訳で、そこでは部族長絶対権力制度しか機能しない訳で、理屈の上では、それを宗族長絶対権力に移行するだけのこととも言える。フラグメントなままの部族は、宗族の組織化されたヒエラルキー構造の国家に武力的に対抗できる訳もなく、絶滅を避けるなら転換を受け入れざるを得まい。

もちろん、こうした転換とは、巫を必要とする呪術的社会から天子独裁の宗族型統治への移行と同義であり、そんなことが一気に進むとは思えないから、相当な期間が必要だったと考えるべきだろう。
例えば、祭祀王朝である殷は、国家組織を形成していたものの、部族トーテムだるツバメ(玄鳥)やワシ/タカ崇拝を残していた訳で。ただ、甲骨占卜での甲骨文字体系を確立してしまったので、巫が官僚組織に組み込まれてしまい、脱トーテム路線が急加速されたと見ることもできよう。
  

     

 (C) 2025 RandDManagement.com  →HOME