■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[17raa釋鳥]■■■
古代信仰での"祖先崇拝"は、概念的に極めて曖昧。その内実を検討しておく必要がありそう。

"祖"と簡単に云うが、何代前を指すのかの概略でさえはっきりしていない。そもそも血脈を辿れそうな記憶の範囲はせいぜいが数世代でしかないのだし。
「古事記」の初代天皇以前の系譜にしても、3〜4代で十分な訳で。換言すれば、それ以前は、血脈としての記憶は不要ということになる。ただ、系譜は不明であってもIDは必要なので、地名あるいは祖としてのトーテムがその役割を担っていた筈。いずれにしても、それは神的な意味を有していたので、その手の解釈が別名となろう。
一方、出雲の如く、王朝(国家)が樹立されれば、人格神が当該王朝の祖として設定される。そこから、何代にも渡る系譜が確立されることになる。
・・・ここらを頭のなかで整理していないと、トーテム信仰は非科学的な古代人の"怪"観念として片付けがち。それは、あくまでも思い入れができるIDとしての偶像であり、現代人の発想となんら変わるところは無い。そこには、"お守り"的気分が載っているのも、古代人がトーテムに神聖性を感じ取っていたのとたいして変わらない。

これを、論理的に整理すれば、トーテム部族祖崇拝の根源も見えてくる。
と言うか、宇宙の絶対唯一神(但し、世界を創造したGodではない。)の存在を前提にしていたと考えればよいだけのこと。

この最高~の周囲に様々な神や靈が存在していることになる。ヒトが物理的には見ることはできないものの、心象風景としては存在している異界の地での状況である。ところが、この神霊は、ヒトが接することが可能な、現実の物理的世界と直接繋がっており、ヒトの世界に存在していることもある。
従って、ヒトが生きていく上では、この"神や靈"と上手に交流する必要がある。(それぞれの神霊はテリトリーを保有しており、ヒトはそうした様々なテリトリーに関与して生きていく訳で、神霊の怒りを招かないように工夫して生活することになる。)
それが祭祀というイベントとして設定されていると考えるとスッキリと描ける。(周囲に存在することがない絶対神とは直接的交流は不可能。本来的には祭祀は意味が無い。)
そのスキームを「爾雅」的視点で描けばこうなるだろう。・・・

 唯一絶対神(天帝)
 │└───圏属"異"生物(鳳皇)
┌┴┐
│ ❶神霊
│ │
│ │ ┌─自然(⑧天 ⑨地 ⑩丘 ⑪山 ⑫水)
│ │┌┤
│ ││└─生物(⑬草 ⑭木 ⑮蟲 ⑯魚 ⑰鳥 ⑱獣)
│ └┤
│  │          ┌─屋敷(⑤宮)
│  └──部族生活上の行為┤
│             └─祭祀(⑥器 ⑦楽)

❷祖霊部族トーテム@祠⇒廟   …"怪"@「山海經」
      │
      │
部族長    │(④親)
│     │
│     │
│ ┌───❸死霊@"黄泉"=墓
┌┤
│└───(遺骸)
└┤
 └────

└──────畜(⑲畜)

「古事記」からすれば、"黄泉"とは、物理的には単なる墓を意味する。観念的には死後生活を支配する大神が存在する異界でもある。
崩 薨 無 祿 卒 徂 落 殪…【死】
遷 運…【徙】@釋詁
  殯:死在棺 將遷葬柩 賓遇之
      夏后殯於阼階 殷人殯於兩楹之 周人殯於賓階
  祧:遷廟
  迻:遷徙

【補足】上記のスキームは、土着的な観念を想定したものだが、その後に道教として宗教として整えられると大きく変貌する。・・・仏教との対比でその本質を考えるとわかり易いが、信仰上の目標は、あくまでも主体性確立(自我)を通じて精神的自由を獲得すること。仏教は、人生上の苦悩を超越するための輪廻離脱指向だが、道教は、生死という現象にとらわれずにその流転を愉しむ自己を形成することを目標とするという違いがある。ただ、中華帝国国教化を目指す以上(官僚組織に組み込まれている。)、その"自由"という特徴が前面に出ることはない。
一方、儒教は、こうした精神的自由こそが、社会安寧を揺るがすと見ており、王朝規定ルールに従って、身分相応の模範的"人"になることを人生の究極的目標として掲げることになる。当然ながら、天子独裁-官僚統治体制が大前提。そこを捨象してしまうと、人間学に基づいた一般に通用する道徳律の主張に映りかねないが、絶対神が下した精神性を遵守する宗教である。その精神性は孔子の規定という絶対性があることも一大特徴。従って、精神的自由を追求する仏教・道教とは対立的にならざるを得ない。
儒教的に読み解けば、死とはそうした"お務め"が不要となる時点を意味する以上ではない。このことは、死は当人の問題ではなく、周囲の人々の問題ということになろう。
換言すれば、死とは、生きている人々の相互関係性を再設定するだけのこと。死者の精神性を残った生者が受け継いで最高の模範像となるよう努力することが求められることになる。当然ながら、儒者は死後の世界について関心が薄くなるが、この関係性を固める必要があるから、葬儀禮は重要視されることになる。
  

     

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