■■■ 「說文解字」 卷十五【叙】 を眺める [8] ■■■
巻十五叙には巻毎の部首を並べることで、読者が字体を一瞥できるように配慮してある。(当該王朝の公定字体使用。この段階の字形では、画数という概念は適用できない。)
順にナンバーを振ってあるので、書末の付録としての、索引の様に思いがちだが、その様な便宜目的で記載された訳ではない。
あくまでも、文字世界の宇宙的秩序を実感させるための一覧表。卑近な言い方に変えれば、科挙合格レベルというか、支配階級に属すつもりの人(総人口の0.1%未満)は、これらの文字すべては配列と共に丸暗記して全体像を頭に叩き込んでおく必要があると指示しているようなもの。
従って、個々の漢字は、「說文解字」 に収録されていなくても、すべてがこの体系に繋げられることになる。

字義説明は余りに簡略で、実用性には乏しく見えるが、文字の字義や用法は経典類読みと同時に、儒者等から習うのであるから、なんの問題もない。

六書の解説で、この書は知られるが、もともと存在していた分類用語で、情緒的には極めて理解し易いが分類定義としては使える代物ではない。当然ながら、「說文解字」 でも、この用語で個々の文字について分類する気が無かったと見てよいだろう。

しかし、漢字を他言語の表記用に用いるとなると、こうした特徴はあり難い。翻訳的に用いる場合、現実には、時代性が色濃い使い方が主流であるから、文字は多義性の様相を示している。字形による文字宇宙秩序を感じるということは、字体から文字原義が想定できることを意味しており、単なる翻訳と違って、独自の文字を作り上げている様な感覚が生まれておかしくないからだ。
しかも、漢語では、一文字一固有音というドグマがあるから、音写文字としての選定でも、イメージ的に"一拍音"の代表として妥当か検討もできるし。(漢語の1文字単音は1母音の末尾型発音ではなく、子音を複数含むので、理屈から云えば利用不可能。)
        
📖「説文解字」の位置(@太安万侶:「漢倭辞典」)
  

叙 漢 太尉祭酒許愼記 

    

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