■■■ 小篆文字検討@「說文解字」「爾雅」[鹿]■■■
日本列島の古代出土品から見る限り、当時の関心対象はもっぱらイノシシでシカではない。しかし、「古事記」に登場する天迦久神は状況から見て鹿児だろうし、火神の名称 迦具土も関係性を示唆していそうだから、鹿信仰が存在していた様に見受けられる。
大陸では、それは甲骨文字時代に相当する訳で、小篆の時代はそこから脱却済と云うことになろう。
ところが、秦王朝から漢王朝に至る迄、鹿の造形には並々ならぬ精力が注ぎこまれており、角に対する執着心はとてつもないレベルと見て間違いない。
鹿は、薬効(精力増強)で垂涎の眼で見られる、食用獸と化していたのは間違いないが、それだけではなさそう。
・・・それと小篆字体に何の関係があるのかということになるが。
  #372≪鹿≫【鹿/𮭱】🅱🆂 [象頭角四足之形 鳥鹿足相似 匕]

甲骨は見ての通りで、極めて写生的。
甲骨同様、頭角四足にするのは当たり前だが、足を"比"にされると解釈は厄介なのはよくわかる。

それでも、甲骨→小篆変遷をなんとしても描いてみせる、というのが、普通に採用される解釈の流儀。上手く説明はできなくても、それで満足するしかないのである。

しかし、甲骨など全く参考にしていないと考えることもできない訳では無かろう。
つまり、甲骨では全く表現されていない鹿崇拝思想を小篆創出に持ち込んだと考えることになる。

そんなことを考えることになったのは、"广"使用のせい。
これは庇という文字で知られる部首。鹿の甲骨字体の延長上で使う必然性は皆無としか思えないからだ。無理矢理に解釈すれば、せいぜいが鹿角合戦で横向きになった姿とでもするしかなさそう。しかし、それでは甲骨の姿とは無縁になってしまう。

異なる思想が持ち込まれたとすれば、あり得そうなのは鹿石で知られるスキタイ系(歴史上初登場の騎馬遊牧民族)鹿崇拝。
その鹿図は、現代で云えば、サンタクロースの載る橇を引く空飛ぶトナカイそのもの。角は頭から背上に一列模様で描かれている。"广"はこの図案のコンセプトの模倣ではあるまいか。毎年落角し復活するという吉祥観を、どうしても入れ込みたかったということ。

尚、小篆が甲骨をママ引き継がないのは、重疊文字でも見られる。
  #373≪麤≫【𱋁/麤】🅱🆂 [行超遠]

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