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■ 分類の考え方 2014.11.28 ■


納豆の見方
[2:中尾論の真髄は概念的分類]

くどいが、納豆食文化は、中尾「照葉樹林文化」論を補強するような事象とは思えない。
  1:中尾佐助論との関係 [2014.11.25]

樹林帯という植生で「文化圏」を規定しているが、気候帯で考えるなら、大豆栽培が繋がる必然性は極めて薄いと言わざるを得ないからだ。
大豆醗酵なら、その主流は味噌。納豆は無塩ということで特別視するが、食する時はママではなく、塩や醤を加えるのが普通。無塩にそれほど重要な意味があるとは思えまい。にもかかわらず、そこにハイライトを当てようとするのはいかにも恣意的。

繰り返すが、「照葉樹林文化」域内の大豆無塩醗酵食品は菌種もバラバラ。日本の糸引納豆は藁で繁殖している枯草菌だが、雲南からネパールにかけてそのようなものを使っているという訳ではない。それぞれの地で選ばれた葉を用いている筈だ。おそらく、南ならバナナの葉だろう。食物を包んで処理する時に使うなら、先ずはバナナの葉になるからだ。しかし、バナナは照葉樹林帯の植物ではない。

こうした醗酵食品の意義は誰が見てもアミノ酸生成。鈴木梅太郎博士が生み出した「旨味」という概念そのもの。それは、干昆布のグルタミン酸ソーダだが、魚醤にも通じる。どちらにしても、海洋民の食文化である。味噌はその発展系と考えることもできよう。
納豆も同じこと。これは照葉樹林文化の核と見なすなら、どのような食文化か定義する必要があろう。納豆だけ取り出して、表面的に似ているからというだけで取り出し、同一文化との主張は余りに強引。
ついでながら、「文化」的に同一というなら、言語や人的交流があってしかるべきだろう。・・・日本と雲南にそのようなものを直接措定するのは極めて難しかろう。
例えば、魚醤は、芋食地帯の沿岸部や島嶼部で広がるのは当たり前。蛋白質が必要だから漁撈活動は必然。そうなれば、干魚介と醗酵魚介が生まれることになる。
穀類栽培地域にしても、根粒菌を持つ上に蛋白質リッチな豆と共栽培になるのは自然な流れ。一般に生豆は毒であり、熱処理後はやはり乾燥処理か醗酵処理することになろう。魚醤が知られているなら、味噌は生まれて当然の食品。有塩か無塩かは、醗酵コントロールの容易さと、塩の入手し易さだけの話では。
それにしても、稲と大豆の組み合わせが、どうして「照葉樹林文化」になるのだろうか。大豆は夏緑落葉樹林の地の作物では。

照葉樹林文化を議論するなら、先ずは大豆食ではなく、照葉樹林帯の樹木利用から始めるのが正論だと思うが。

しかるに、日本の「漆」も、「茶」も、どうみても「照葉樹林文化」の本家たる雲南辺りやゴールデントライアングル地域とは無関係に発展してきたもの。

まあ、それはそれとして、今回の題材はその話ではない。
「納豆」とか、「茶」というような、末梢的な事例で文化圏を規定するのではなく、本質的なレベルで、考えてみる必要があるということで、そこらに迫ってみたい。

と言うのは、「照葉樹林文化」の指摘は画期的と考えるからである。
それは、コペルニクス的転回と言ってもよいかも。

簡単に言えば、こういうこと。・・・
多くの日本人は、金科玉条の如くに、世界に冠たる「稲作文化」という見方を続けているが、農耕文化論から考えると、それは派生的なものでしかないヨと看破したのである。
折角だから、新書の文章を引用しておこうか。
 「イネはただ湿地に生じるだけで
  農耕文化の基本複合のタイプとしては
  他の雑穀と同じカテゴリーに入るものだ。
  イネは夏作の雑穀類の一つということになって
  他の雑穀からイネを基本複合として
  はっきり区別する理由はない。
  つまり「稲作文化」などという、
  日本からインドまでにひろがる複合は存在しない。
  そこにあるものは
  根栽文化複合の影響とうけた
  サバンナ農耕文化の複合である。


これこそが、照葉樹林帯の農耕の本質をついたものの見方。中尾論では、納豆の位置付けなどどうでもよいのである。
大豆も、醗酵技術も、どうせ他の文化の派生的なものであり、それを究極にまで進化させたということ。もともと樹林帯であり、そこに狭い「野原」を真似して作った訳で、醗酵も同じようなもの。そんな主張を表立って書いてはいないが、そう読み取るしかなかろう。

つまり、ユーラシア-アフリカ圏では、農耕の基本パターンを3種に明確に分類した訳である。そこには卓越した目がある。

小生の解釈で描けばこういうこと。

先ず最初に定義される農耕圏は、
 根栽文化地帯---熱帯多雨の年間湿潤地域(島嶼を含む東南アジア)
ここでの栽培は原則栄養繁殖。要するに、「芋(ヤム&タロ)+バナナ(株分け多年草)」食の世界。豆類は皆無なので、農作物から蛋白質は得られない。従って、半農耕半漁撈社会にならざるを得ない。(多雨森の状況から考えれば、獣狩猟の効率は悪そう。)
もちろん、ヤシやパンノキも加わるタイプも。(キャッサバ伝来で生産性は向上したが、芋食の伝統は簡単に切れまい。)

一方、種籾を用いる農耕地域は、森ではなく、野原である。こちらは、湿潤な気候帯ではなく、乾燥地域である。つまり、雨季があるということ。
当然ながら、雨季で2つに分かれる。夏雨と冬雨。
前者は、
 夏雨サバンナ穀豆栽培地帯---西アフリカ〜アナトリア高原
ここは雑穀農耕と呼ばれる。基本はシコクビエだが、トウジンビエやモロコシもありえる。いずれにしても、小さな種をつけるイネ科植物。
後者は、
 冬雨ステップ穀豆栽培地帯---中東肥沃な三日月地帯
こちらは、ご存知の麦(大麦、小麦)である。

両者ともに、実が穀類より圧倒的に大きい豆を同時に栽培する。アフリカではもっぱらササゲ。地中海系ではエンドウとなる。間違いなく、根粒菌による生産性向上を知ってのこと。(肥料技術普及前は、穀類と豆類を共通の土地で混栽していたのは間違いなかろう。)
もう一つ重要なのは、穀類食は、脱穀と幾分かの精白技術が必要なのと、豆も同じだが、生食できないから、直火可能な土器か、焼石を入れることが可能な容器が不可欠なこと。この技術がどのようにしてどこで生まれたのかは、残念ながら想像がつかない。

ともあれ、中尾論では、アフリカ-ユーラシアではこの3タイプしかないのである。

亜熱帯モンスーン地域は独立した「稲作文化圏」とは見なさないのである。しかも、根栽文化圏の隣に位置する照葉樹林帯は、その影響下で独自に稲作へと進んだとは考えず、夏雨の稲-大豆栽培地帯と見て、夏雨サバンナ穀豆栽培地帯の亜種と見なす。
ある意味、それは当然かも。
栄養繁殖栽培から、種子栽培への突然転換は考えにくいからだ。
それに、照葉樹林帯が文明を切り拓くというのも考えにくい。樹林帯とはいうものの、食料源という点ではステップヤサバンナより過酷ではなかろうか。年に一度の、果実と堅果(団栗)以外は摂るものに欠く世界であり、(山菜はほとんど無く、夏緑落葉樹林と違って茸は危険だ。)密集する森での狩猟も労力とリスクの割に得るものは乏しい。
要するに、樹木を伐採するか焼き払い、非照葉樹林の場をつくって、始めて生活が豊かになっていく訳である。

理由は定かではないが、野原とはほど遠い環境の樹林帯で生活を送るべく、サバンナ型の穀豆栽培を始めた人達がいた訳である。知恵でなんとかなると踏んだのだろう。無謀な挑戦という訳ではなく、一丸となっての組織的な苦労は必ず実るものとの信念があったのだろう。それこそが、照葉樹林文化の根底にある哲学かも。

要するに、サバンナやステップにおける灌木/草地の焼畑化と同じ手法を、樹林帯に持ち込んだ訳である。乾燥地域から、降水量が多いモンスーン地域に変わっただけで、本質は夏雨穀豆栽培地域という点ではなんら変わりがない。違うのは、穀類が粉食でなく粒食である点と、食感として粘りを好む点くらいか。このテーストは根栽文化地帯の芋食の影響と見なすことができそうだ。
「糸引き納豆」も同じことが言えるのではなかろうか。

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