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■ 分類の考え方 2014.11.25 ■


納豆の見方
[1:中尾佐助論との関係]

納豆本を読んだばかりだが、[→] 約1年前にも、納豆をとりあげたことがある。照葉樹林納豆センター存在説を批判的にとりあげたにすぎないが。・・・
  中尾納豆文化論は納得しかねる[2013.10.29]
  中尾型食文化論の欠点[2013.10.31]

その再論という訳ではないが、納豆を分類してみたくなった。納豆そのものに興味がある訳ではなく、概念形成の妙を考えるために。

日本で「納豆」と言えば、俗に言う「糸引納豆」。
もともとは、藁に付着している枯草菌を利用した無塩の煮大豆発酵生産品。現在は、工業製品となっている納豆菌を蒸煮大豆に塗し、ケース(プラスチックパッケージ、藁苞、経木包)に入れ、醗酵させる方式になっているようだが。
スーパーで売られている商品としては、砕いた大豆を用いた「碾き割り納豆」と丸大豆の「粒納豆」の2種類。あとは、原料大豆の粒の大きさや色でさらなる分類がなされている。製造した地名もウリになるようだが、こちらは一種のブランドだろうか。

納豆という名称は、多分、納屋で作ったことから来ているのだろうが、そういう点では、特別な納屋の製品群も存在している。「寺町納豆」である。基本有塩であり、中国留学の禅僧が持ち帰った大豆発酵製品なので、「唐納豆」と呼ばれたりもするらしが、時代から言えば、宋納豆である。現代の製品としては、大福寺@"浜"松、"大徳寺"、天竜寺、一休寺、等の名物伝統納豆がそれに当たる。
これらは、中華の黒大豆発酵調味料「豆[トウチ]」となんらかわるものではなかろう。両者には、歴史上の登場時間にズレがあるから、作り方は多少違っているとはいえ。

これらは有塩大豆醗酵製品だから、麹を用いる「大豆味噌」に分類したくなるが、それよりは乾燥度が高いため、豆の原形を留めることが可能。そのため、納豆と呼びたくなるのではあるまいか。
尚、有塩醗酵納豆としては、禅寺での伝承品は違う系統の、納豆に塩と麹を添加するタイプもある。「塩辛納豆」と呼ばれているそうだが、日本の食文化から考えると、食べ方という点では塩辛はドンピシャの命名。但し、一般には「五斗納豆」@山形、あるいは「塩納豆」@酒田という名称で通っているようだ。
見方によっては、納豆のさらなる醗酵食品と言うよりは、麹等とのプレミックス惣菜と言えるのかも。その手のものとしては、所謂、金山寺味噌の納豆版である「金山寺納豆」@福岡糸島,熊本菊陽や鹿本があげられよう。

現代は、家庭には冷蔵庫があり、チルド生鮮流通網も完備しているので、「糸引納豆」のシェルライフは結構長いが、かつては持ちがわるかった訳で、有塩にして保存期間を延ばした製品群ということであろう。

もちろん、シェルライフ延長を狙うなら、無塩のままで超乾燥品に仕上げてもよい訳だ。ただ、それにはえらく手がかかって、簡単ではない。当然、例外的存在ということになろう。
現代版なら、差し詰め「フリーズドライ納豆」。

ながながと書いてきたが、どう見ても日本の「納豆」は中世以降の食。
それでは、それ以前はどうなっていたのかといっても、定かではないが、明らかに味噌や醤とは違う、"無塩"の大豆発酵食品は存在していたようである。
もちろん、枯草菌系統ではなく、麹菌利用。
従って、これを「古代納豆」と呼べないこともないが、系譜として繋がっていないのだから誤解を生むことになろう。

それに、「塩」の有無での分類としての「納豆」にどれだけ意味があるか、はなはだ疑問。
大豆発酵製品である以上、技術の伝来という系統感覚から分類するなら、最初の大分類は塩の有無ではなく菌種でしかありえまい。菌が違ってしまえば、製造プロセスを真似たところで、醗酵ではなく、腐敗になりかねないからだ。見かけ似ていたところで、技術が伝承されている訳がないということ。全く系譜が違うが、似ているものを同類としないのが、分類の大原則であり、明らかにこれに反している。・・・枯草菌[納豆菌],クモノス黴菌[テンペ菌],アカパン黴菌[オンチョム菌],ケ黴菌,乳酸菌,麹菌[数種],と様々。
塩は製品の保存性と醗酵最適化を考えて添加するものであり、有塩か無塩かはたいした問題ではなかろう。現に、無塩である納豆にしても、食する際には「醤」を加えるのが普通で、無塩のママということはおよそ考えられない訳だし。

そのように考えれば、納豆分類は保存技術の視点で行うべきとなろう。

そうなると、日本の「糸引納豆」は、照葉樹林帯でも見られる同様な食品とは全く異なることになる。理屈から言えば、極めてプリミティブな技術完成度が低い食品との位置付けにならざるを得ない。
と言うのは、長期保存を狙っていないから、これは"半製品"と見なすしかないからだ。
しかし、現実の、和食における納豆とは"完成製品"。しかも、細かな製造プロセス管理が詰め込まれた技術の粋とくる。それは、おそらく、工業化以前からの慣わしである。単なる醗酵品ではなく、旨みを最大限に発揮させるべく製造条件の最適化が図られている加工食品なのである。かなり矛盾した存在と言えよう。

つまり、「糸引納豆」の系譜を考えるなら、先ずは、大豆の栽培植物としての位置付けから考えないと、よくわからないということ。
この論理は、わかりにくいかも知れぬが。

現代文明を支える基幹農作物は言うまでもなく、主食になる穀類。
基本は、小さい種が沢山実るイネ科植物である。毒性は無いが、ヒトが食するためには、脱穀して糠分も多少は除去した上で、加熱処理を行うことになる。そして、重要なのは、栽培農業化にあたっては、「豆」がその「ペア」的存在だったという点。栄養学的に言えば、穀類が炭水化物源で、豆が蛋白質源ということだし、栽培上では、マメ科植物が窒素固定化による富栄養化の役割を担っていることとなる。

東南アジアの種籾無しの栄養繁殖根栽文化とは全く異なる系譜ということ。当然ながら豆栽培もありえないから、半農耕半漁撈社会にならざるを得ない訳だ。
半農耕半漁撈社会と対照をなすのが、内陸部での半農耕半狩猟と考えることができる。しかし、両者ともに、発展性では限界がある訳だ。
そこを突き抜けたのが、穀類のペアとしての「豆」栽培と、家畜化。
アフリカ・ユーラシアでは、前者にウエイトが置かれて発展を遂げたのが灌漑農業で、後者は遊牧といえよう。

この灌漑農業は、2つのタイプに分かれる。
一つは、中東ステップ発祥の冬栽培麦農業。もう一つは、アフリカサバンナ発祥の夏栽培雑穀農業。「豆」で見れば、前者は地中海作物のエンドウで、後者はササゲ。
つまり、稲作農業とは夏栽培雑穀型にあたり、乾燥サバンナ農業を湿潤モンスーン地域に拡張した、派生形にすぎないことになる。言い換えれば、「稲作文化圏は定義できない」訳だ。・・・こうした見方こそが中尾「照葉樹林文化論」の真髄だと思う。
長くなるので、この辺りの話は別途。

つまり「糸引納豆」とは、雑穀としての粘りのあるジャポニカ種の粳稲の副食としての大豆加工食品というに過ぎまい。
粘りを感じさせる芋を魚介醗酵食品の旨みで食べる熱帯多雨林島嶼地域の食文化を、稲と大豆の「ペア」で類似的に復活させた喜びが表れているとは言えまいか。
芋文化の影響にどっぷり浸っているという点では、熱帯多雨林の周辺域の食文化と言えよう。そこに独自の納豆文化センターがあるとの主張は飛躍のしすぎでは。

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