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魚の話 2009年4月3日 |
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ごぼうら貝の話…護宝螺に 命をかけて 大旅行 古代人は荒波をものともせず大海を渡ったようだ。 なにが彼らを突き動かしたのだろうか。 一方、現代の日本の若者は、国内で安寧に暮らしたいのだそうだ。 今や、冒険精神は風前の灯火なのかも。 尤も、古代でも、果敢な挑戦をしたのはもっぱら北九州人だとか。 沖縄人は出不精で、待っていただけとの説もあるようだ。 出かけていったのは、貝交易不調打破交渉が必要になってから。 そんな伝統は破られるにこしたことはなさそうだが。 法螺[ホラ]貝について興味を持ったので簡単に書いてみたが、その時、特別な螺貝の存在に気付いた。小生にとっては初耳だったが、知る人ぞ知る貝。そう、護宝螺[ゴボウラ]貝である。 → 「ほら貝」 (2009年3月13日) サンゴ礁の砂地に棲む貝で、伊江島が歴史観光の目玉にすべく奮闘しているそうだ。(1)だが、西表島辺りではすでに個体数が少なくなっているようだから、(2)なにか工夫が必要な感じがする。 もっとも、観光事業とはそんなもので十分なのかも。下関市豊北町だけが、この貝に特別な関係があったとは思えないが、土井ヶ浜遺跡人類ミュージアムの外に、ゴボウラ貝の巨大モニュメントが飾ってあるからだ。(3)大規模投資を敢行することで、耳目を集めようとの算段だろうか。こうした歴史観光の動きは全国至るところで見られる。似たりよったりの競争だから、そのうち飽きられ、閑古鳥状態にならなければよいが。 ただ、古代ロマン大好き人間には、こうした展示はことのほか嬉しいようだ。古代、“主に九州でこの貝を原料とする腕輪が装飾品として生産され、出土範囲は畿内に及ぶ”(4)というのだから、是非にも、じっくり眺めてみたいという人は少なくなさそうだし。 実際、精緻な腕輪で、加工技術もかなりのものだったようである。(5)南洋の貝には、特別な力があると信じられていた訳である。 そういえば、スイジ貝は家用の魔除けとして、沖縄では今も使われているが、ゴボウラ貝の方は、どうして使われなくなったのだろうか。 → 「すいじ貝」 (2007年4月27日) まあ、一般人には敷居が高かったということか。と言うのは、権力者用の装身具としては使われず、もっぱら、特定の役割を担う人々の腕輪だったから。(6)常識的には、呪術師用だったということ。 しかし、北九州地域からヤマトに権力が移ると、為政者も喜んで使うようになったという。馬具にまでつけたらしい。お守りとして普及したのだろうか。 そこまで人気が出たのにもかかわらず、律令国家へと転換した途端、全く使われなくなったと言うから、実にご都合主義。 それにしても、不思議な歴史を持つ貝である。 --- 参照 --- (1) 「活性化の願い込め 巻き貝ゴホウラの碑除幕 伊江村」 [2007年4月25日] http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23273-storytopic-5.html (2) 「砂地の貝」 西表島貝類館 [民宿カンピラ荘] http://www.kanpira.com/iriomote_museum/shell/sandy_area.htm (3) 土井ヶ浜遺跡人類ミュージアム バーチャルツアー http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_06.html (4) 「ゴホウラ」 琉球新報 [2003年3月1日] http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-41419-storytopic-121.html (5) 神田涼(琉球大学平成8年度卒業生): 「南海産貝輪製作工程の復元」 http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/kiyou/kouko/arti-1.html (6) 木下尚子: 「貝交易の語る琉球史─発掘調査でわかったこと─」第146回沖縄問題研究会 http://homepage3.nifty.com/okinawakyoukai/kennkyuukai/146kai/146kai-1.htm (元の白地図) (C) Sankakukei, InoueKeisuke http://www.freemap.jp/ 「魚」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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