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2004.3.25 |
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ふるさと食の危うさ…「ふるさとの食」と言うと、歴史があって、健康そのものという気になる。おかげで、田舎の食べ物は結構人気がある。グリーンツーリズムの人気も少しづつ高まってきたようで、郷土食がウリの時代になってきた。 お蔭で、今までは、なにもない町と語っていた人達が、なにげない食べ物こそ素晴らしいことに気付き始めたようだ。 その通りだと思う。 しかし、この魅力を活かして、経済的に発展するには、この魅力のエッセンスである「商品コンセプト」が必要である。料理技術なのか、特産品なのか、はたまた全体の生活スタイルなのか、はっきりさせることが求められている。 ところが、コンセプトなき動きが多い。 というより、極端な二分化が進んでいるように見える。 一つの流れは、「文化」を重視する流れだ。一見、当然の動きに映るが、話しをよく聞くと、反「商品」運動の思想が底流にあるようだ。食は商品にしてはならない、と考えている人が多いのである。 この発想では、産業振興などできまい。食品や料理を販売しないなら、文化をウリにして、何か他のモノ(サービス)を販売するしかない。商品化は不可欠なのである。これを否定するなら、郷土の活力を高めるどころか、逆方向へ進むことになろう。 もう一つは、清新な地域イメージを、産品の特徴にしてしまおうとの流れだ。儲かるものなら何でもよいという安直な発想が根底にあるようで、この流れが急速に強まってきた。 この流れの一番の問題は、田舎の食材/食品が素晴らしいというドグマ的な主張だ。実証的な論拠なしに、「郷土品」というイメージに頼って売上増をはかる訳だ。魅力といっても、イメージだけである。作られたイメージほど怖いものはない。崩壊すると、一気に市場は霧消しかねないと思う。 後者の典型は、茸である。特産品と言うが、生産方法は工業製品とたいして変わらないものも多い。なかには、輸入種を育てるだけのものが、郷土品として売られていたりする。伝統食である証拠もなければ、健康に寄与する食材と断言もできない状態である。危うい商売である。 → 「知られざるシイタケ栽培技術発祥元」 (2003年7月6日) そこで、昔、茸がどう食されていたか見てみた。 「なめこ」を調べて、驚いた。 「料理書原典研究会」を主宰されていた川上行蔵氏(1898〜1994年)によれば、「なめこ」は戦後の言葉(1955年発行の「広辞苑」が初出)だという。戦前の辞書には全く登場していないのだ。(1) 文献調査結果からは、似た産品として、1822年(文政5年)に「榎茸」「なめたけ」が登場するそうだが、100年以上消えているのだ。しかも、文政の茸が現在の「なめこ」と同じものとは限らない。 この研究が正しいなら、どう見ても、「なめこ」は新しい食品なのである。 おそらく、「なめこ」は郷土食ではない。ところが、誰も、この辺りの経緯をつまびらかにしない。 ・・・これこそ、日本の伝統的風習なのかもしれない。 そもそも、食は、伝統といっても、相当変わるのである。 江戸時代の嗜好と現代とは違う。郷土食と言ったところで、変わる方が当たり前なのである。 江戸食の研究者として著名な松下幸子氏によれば、「現在と江戸時代では、魚の位付けが随分違う」そうだ。高級魚と見なされている鮪も、「江戸時代はイワシと同じ下の位とされていた」という。「トロなんて、脂分が嫌われたようで全然人気がなかった」という。(2) 脂がのって、一本数百万円もするような鮪を釣り上がる漁業など考えられなかったのである。 要するに、生活スタイルで食の魅力ポイントは大きく変わるのである。 「ふるさとの食」を魅力的なものにするためには、イメージではなく、食材が優れている証拠を具体的に示すか、食を生み出す生活スタイルの素晴らしさを明確にする必要があろう。 --- 参照 --- (1) 川上行蔵著「つれづれ日本食物史 第一巻」東京美術 1992年 (2) http://www2.athome.co.jp/academy/culture/cul17.html 「食」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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