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2005.8.2
 
 


食糧危機の考え方…

 食糧は過剰生産状況にあると語ったらご意見を頂戴した。
 余剰を大げさに語ることは止めるべきとの主旨のようだ。農業は、他産業と同じように需給の視点で語るべき分野ではないらしい。
  → 「飢餓キャンペーンへの異議 」 (2005年7月26日)

 理解しがたい主張である。

 現実を直視すべきだろう。

 世界の農産物市場を動かしているのは「国」ではない。欧米の巨大流通企業である。(1)私企業であるから、内部収益率のハードルレート以上が実現できそうにない事業は切り捨てるし、さらなる収益拡大を狙ったM&Aも発生する。他の産業となんらかわらない。
 国家といえども、この巨大市場をコントロールできる力はない。
 従って、欧米の政府は農家の所得保証位しかできないのである。(2)

 どんな産業にも、特殊事情はある。農業だけを特別視したところで問題解決になるどころか、問題を複雑化させたり、腐敗の温床となるだけのことだ。

 但し、注意を要するのは、現在生産過剰だからといって、この状態が永劫に続くことなどありえないという点である。農地を徹底的に使いきる農業で高い生産性を実現しているということは、土地が疲弊することでもあるからだ。いつか、生産手段が機能しなくなる時が来る。
 食糧危機の到来である。

 とはいえ、科学的根拠が揃っている訳ではない。歴史からの類推にすぎない。
 しかし、そこには信じるに足る論理があるから、危機到来を確信できるのだ。

 古代文明が栄え、そして滅びてしまった理由を考えればわかる筈である。
 食糧/エネルギーの生産能力の飛躍的向上を実現し、都は大いに栄えた。しかしこの効率的生産体制が環境を破壊し没落の引き金になったのである。

 現代文明も同じことが言えよう。

 古代文明没落への歩みを、単純化すると分かり易い。

 先ずは、木材をエネルギー源としながら生活し、周囲の森林を開墾し、農地を拡大する。当然ながら生産能力は飛躍的に伸びる。
 しかし、森林の過伐採が進めば、気候が変わってくる。過農耕が進むと、土地も痩せてくる。要するに乾燥化である。
 その結果、農地は次第に草地に変わり、放牧業化する。食糧生産余力があるうちは、都市住民向けの牧畜業が盛んになり、生活は豊かになる訳だから、合理的な流れに映るかもしれない。(3)
 ところが、これも過放牧になるから草が減ってくる。こうなると、遊牧形態に突入せざるを得ない。草は食べつくされ、生産できない土地になってしまう。
 要するに、土地が砂漠化する訳だ。

 これをどう読むか。

 古代文明の繁栄を支えたのは農業の生産性向上技術と見るとよい。栄華から崩壊に至る背景が自然に見えてくる。

 肥沃な大河の水を使う仕組み、先端農機具開発と暦に合わせた仕事の進め方、組織的労働のマネジメント体制、土地と気候にあった品種選定、が一気に進むことが繁栄につながった。
 いずれも、現代でも通用する優れた技術である。但し、この技術体系は温暖な大河地帯での生産を前提としている。ここがポイントである。この前提が崩れると成り立たない。
 この技術を磨いていくと、生産性はいつまでも向上し続けるかに見える。ところが、生産性を上げていくと、周囲の環境が変わってしまうのである。つまり、長期的には生産基盤崩壊の道を歩んでいることになる。
 短期的には好循環だが、長期的には悪循環の技術体系なのだ。

 現代文明も同じことが言えそうだ。

 但し、古代文明とは、大前提が少し違う。
 温暖な大河地帯ではなく、寒い地帯に変わったのである。だから、欧米主導の文明社会が実現したとも言える。

 一見、寒いから農業にはマイナスと考えがちだが、夏は日照時間は長いし、病虫害も少ないからプラスも大きいのである。土壌を流す強烈な雨は滅多に降らないし、冬は霜や雪で覆われ、土壌悪化や乾燥化は緩やかにしか進まない。気象条件にあう品種があれば、農業生産の条件は結構良好なのだ。このことに気付き、革新的な農業技術を開発したのが現代文明である。
 大規模灌漑、農業機械、肥料/農薬、品種改良、などの分野で技術開発が一気に進んだのである。

 歴史のアナロジーからいえば、この現代文明も長期的な悪循環構造を避けることはできない。
 農地の生産性を極限まで高める過農耕が土壌悪化を引き起こすからだ。現代文明も、長期的にみれば農地は減り砂漠化が進む。ただ、ゆっくり進んでいるから気付かないだけの話である。従って、これを克服する技術が登場しない限り、何時かはわからぬが、食糧危機に直面することになろう。

 熱帯地帯の貧困問題はこうした歴史を見ていれば、どこが問題かわかる筈だ。

 暑い気候に合う大量生産できる品種がなければ農業立国はお勧めではない。
 いくら安価な労働力があっても、小麦、米、コーンといった主要作物で、寒い地域の生産効率に太刀打ちできるとは思えないからだ。しかも、もし上手くいっても、生産性を高めれば、熱帯だから、砂漠化は急速に進む。寒い地域で市場性がある穀物の生産は止めた方がよい。
 そのため、主要作物での競争を避け、熱帯向きの換金作物に注力せざるを得なくなる。ところが、この市場は小さい。経営は難しいのだ。それに、国民が食べていけるか疑問である。
 こうした作物生産に農地を割くということは、自国民向けの食糧生産が減ることを意味する。下手をすれば、食糧輸入国になってしまう。そんな貿易構造で経済が成り立つとは思えまい。
 行き着く先は見えている。

 食糧援助に頼ることになる。
 言い換えれば、農業国でありながら、先進国の過剰生産農産物を輸入し続けるのである。

 --- 註 ---
(1) 例えば、米系のCargill[+Continental Grain旧穀物事業], Archer Daniels Midland(ADM)
  欧系のLouis Dreyfus, Bunge and Born, Andre Garnac
(2) 日本政府だけは農家の収入保証はせず、農業振興名目の建設土木工事に莫大なお金を落とす「農業」政策を続けている。
(3) 小麦を主食とすると必須アミノ酸が摂取できないから家畜なしでは生活が成り立たない。


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