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2007.10.23
 
 


里芋の話…

蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なるものは 芋の葉にあらし
  長忌寸意吉麻呂 [万葉集16巻3826]

 自然薯は日本に古来から存在する芋。同じヤムイモだが、長芋の方は大陸から渡来したらしい。
  → 「山芋の話 」 (2007年9月4日)

 一方、タロイモ系の里芋も渡来モノ。こちらは東南アジアから。(1)
 縄文時代にはすでに食べられていたというから、古い作物である。

 山のイモは水はけの良い山の斜面に育ち収穫は年に1回。効率的とは言い難い。
 これに対し、里のイモは湿地で茎を刺しておくだけですぐに育ち、年中採れる。小人数でも気楽に栽培可能だ。そのかわり、貯蔵は難しい。
 里のイモの問題は、栽培地が稲作と競合する点にある。
 稲作の生産性の良さはわかった筈だが、あくまでもイモに拘った人達は、大きな組織を作れないから、大国化できずに終わる。日本人は、湿地の稲作を主流にしたから、国として大きく発展することができたとも言えよう。

 しかし、日本人は、里のイモを放棄はしなかった。
 日本は熱帯性作物栽培では北限ぎりぎりだし、里芋は交雑しにくくて、品種改良も厄介なのに、(2)食の伝統を大切に守り続けてきた。
 なにせ、今でも、“収穫祭”にはなくてはならない作物だし、「八頭」のように正月(御節)料理に使われたりする。

 と言うと、祭礼用食材に聞こえてしまうが、極く普通の惣菜として頻繁に使われる。里芋が好物の人が多いということだろう。
 欧米では、タロイモ料理は見かけ無いから、縄文の頃からの里芋好みが未だに続いているということではないか。

 もっとも、独特なぬめり感から定番品になっている楕円形の「土垂」や衣被(きぬかつぎ)に向く球形の「石川早生」は、垢抜けした品種なのかも知れない。
 大昔の芋は、南の島々で栽培されている「田芋(水芋)」のようなものが主流だったと思う。
 この芋、沖縄では“ターンム”と言われ、観光客には、コロッケ風天麩羅“ドゥル天”でよく知られている。伝統料理“ドゥルワカシー”(3)の揚げ物料理のようだ。
 このような料理が人気を呼ぶのは、沖縄の魅力だけでなく、タロイモの郷愁を誘うからではないかと思う。

 そう思ってしまうのは、定番品種以外にも、様々な品種が店頭に並んでいるからだ。
  ・いかにも熱帯にありそうな「筍芋(京芋)」
  ・京野菜の「海老芋(唐芋)」
  ・インドネシアから導入した「セレベス(赤芽大吉)」
  ・古い種らしいが。丈夫な「えぐ芋」
  ・芋茎(ずいき)、こと「蓮(葉)芋」

 それに、園芸店には、巨大な「食わず芋」(4)の鉢植えが並んでいたりする。
 里芋の大きな葉を眺めるだけで癒しの気分になるということではないか。

 --- 参照 ---
(1) 橋本征治: 「海を渡ったタロイモ―オセアニア・南西諸島の農耕文化論」関西大学出版部 2002年
   http://www.kansai-u.ac.jp/Syppan/product/detail_product.php?control=5&tbl_product_autono=318
(2) http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/9306/01/095_0013_0019.PDF
(3) http://traddb.pref.okinawa.jp/dentou/showRecipeGuest.do?action=action_Show&recipeid=taimo01
(4) http://www.kuwazuimo.com/
(和歌の出典) 「訓読万葉集」 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok16.html
(里芋のイラスト) (C) Hitoshi Nomura “NOM's FOODS iLLUSTRATED” http://homepage1.nifty.com/NOM/index.htm


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