↑ トップ頁へ

2008.9.16
 
 


酸模の話…


 すかんぼの 酸味を舌に 感じゐる
  春来て故郷を 思ひいづるとき

     前田夕暮 「烟れる田園」 “春”




  ← インドネシアのBatikの代表的な柄


 蓼についてウエブを眺めていた時、スカンボも同類であることを知った。「ポ」ではなく、濁音[゛]ということも。   → 「蓼」 (2008年7月22日)

 植物そのものを見たこともないし、名称を聞いたこともないから、致しかたないのだが、それにしては、北原白秋の童謡の冒頭の歌詞(1)だけは覚えているから不思議である。
 何時、どのように習ったかは忘却のかなただが、“土手のすかんぼ、 ジャワ更紗。”というところだけが妙に頭に残っている。残りの歌詞はわからないが、なにか尻切れトンボだった覚えはある。
 そこで歌詞を調べてみると、末尾は“夏が来た来た、ド,レ,ミ,ファ,ソ。”だ。子供の歌なのだから、“ラ,シ,ド”までつけたらよさそうに思うが、七七調にこだわったのかだろうか。
 それはともかく、“すかんぽ、すかんぽ、 川のふち。”と言うところを見ると、初夏の土手道の情景のようだ。だが、残念ながらスカンボを全く知らない小生には、イメージがさっぱりわかない。

 “土手のすかんぼ”の風景は小田原辺りらしいし、冒頭の前田夕暮の歌は秦野辺りで生まれたようだから、水辺なら、どこにでも生えていたようだが。
 おそらく、スカンボが生えている土地で育った人なら、たまたまそんな場所を通る機会があり、スカンボを見つけた途端、子供の時に、茎を手で契って口に含んだ酸っぱさが頭をよぎるということなのだろう。

 すでに、これらの歌ができた頃は、食用とはされていなかったようだが、「大和本草」[1708年]によれば、 羊蹄(ぎしぎし)に似ていて、食用とあるから、(2)故郷ではまだ料理として登場したりしており、子供には身近な植物だったのだろう。

 ただ、ウエブをみると、スカンボは地域によって違う植物のようで、2種類が併記されているものが多い。
   (1) スイバ(酸葉)
   (2) イタドリ(虎杖)

 北原白秋の童謡は「ジャワ更紗」[Batik]と詠んでいるから、花の色が茶褐色系のスイバと見てよいだろう。それに、前田夕暮の歌でわかるように、子供の頃の酸っぱさを思い起こして作ったに違いなく、「酸葉」と考えるのが自然である。

 どうも、この“酸っぱさ”は、えらく抒情感をさそうようで、宮澤賢治も寂しさの表現に使っている。(3)
   陽のなかで風が吹いて吹いて
   ひとはさびしく立ちつくす
   畔のすかんぼもゆれれば
   家ぐねの杉もひゅうひゅう鳴る

 こんなことがわかると、斉藤茂吉が「死にたまふ母」で、“すかんぼ”を選んだ理由も見えてくる。(4)
 畦や土手の道端に生えている、この地味な色の植物が、自分の子供時代を彷彿させるのだ。
 こぼれ落ちていく華を見た瞬間、酸っぱさと共に、在りし日の母が瞼に想い浮かんでくる。その情感が、スカンボを知る人の心にジーンと響くのである。
   葬り道 すかんぼの華 ほほけつつ
     葬り道べに 散りにけらずや

 --- 参照 ---
(1) 「酸模の咲く頃」北原白秋作詞 山田耕筰作曲 http://www.d-score.com/ar/A06011543.html
(2) 「大和本草」 http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/pdf/y09.pdf
(3) 宮澤賢治: 「まぶしくやつれて」  http://www.kokushikan.ac.jp/library/miyazawakenji/miyazawakenji07-37.htm
(4) 齋藤茂吉: 「死にたまふ母 其の二」 「赤光」  http://satobn.net/syoko/satomi/mokiti/syakko_syohan_uni.txt
(和歌の出典) “秦野の四季−前田夕暮 歌碑めぐり”  [村岡嘉子: 「前田夕暮 ふるさとのうた上」〜詩歌歳時記生い立ちの記〜] 
  http://www.geocities.jp/binreijp/maeda/mae04.htm
(Batikの写真) [Wikipedia] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Batik_Indonesia.jpg


 「食」の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2008 RandDManagement.com