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「新風土論」
2015年8月3日

沙漠話にトコトン拘りたい理由

新風土論なるもったいぶった名前をつけたシリーズで記載を始めようと思い立ったのは、和辻哲郎の著作権が失効したから。青空文庫化間近と想定した訳。しかし、残念ながら、未だに"校正待ち(点検前) 2014-04-22"。入力取り消しにならねばよいが。

但し、小生は、和辻の見方が「正しい」と見ている訳ではない。雑談的に使うことは多いとはいえ。
少なくとも砂漠の思想は「沙漠」の概念が違うと感じている。そこらを書き始めたのだが、尻切れトンボ状態。結構、まとめるのが難しいと感じたからである。
「沙漠の民の信仰について」[2015年3月4日] 「沙漠もイロイロ」[2015年3月7日]

と言うのは、高度な文明を支える思想の発祥地は、西アジア〜中央アジア〜中原へと連なる地域と見ているから。ココこそが乾燥地帯生活革命を生み出した本命ということ。簡単に言えば、自然発生的集団の部族が集まり、部族国家へと変わる端緒を生み出した可能性を感じさせるからだ。これこそ文明の曙。
但し、そんな説があるのか否かは知らぬまま書いているので、そのおつもりで。

もちろんここらは、地理的にはユーラシア大陸の内陸サバク地帯。しかし、北アフリカ〜中東〜ペルシア/印度境界のガレ場的情景が多い沙漠地帯とは全く異なる。・・・雨量僅少だが、山からの伏流水の川が流れ、川筋はさっぱり安定しないが、川自体は"定常的"に存在してきた。そんな川が少ないゴビにしても、突然の雨で大草原化する砂漠である。シルクロード上に点在する、山からの細々とした湧き水しかないようなタクラマカン砂漠をこの内陸乾燥気候ベルト地帯の典型とはしない点にご注意あれ。("失われた湖"のロプヌール湖があるとはいえ。)

この辺りを書いていこうと考えていたが、そう簡単ではないことに気付いた。

頭の中に、すでにできあがったシルクロードという概念があるからだ。内陸沙漠の話になると、どうしてもそれに抱合されがち。
これは大いにこまるのである。
古代の道はシルクロードより北の草の道。そこは、文字化嫌悪・恒久的建造物無用の移動生活者達の活動地帯という論旨が伝わらないからだ。

イメージとしてはこんなところ。・・・
毎年変化する川の流れに合わせ、始終住居を移動する必要がある地域である点が特徴。
そこでの経済最適を考えると、農耕作業とその周囲の沙漠に繋がる草原での半牧畜のミックス化となろう。当たれば、大繁栄だから、即、王国樹立の筈。そして、移動生活者間の揉め事回避が不可欠だから、王国連合へと繋がったに違いない。それは、世界最初の、部族を越えた共通祭祀発生を意味しよう。
その場合、各王国の生活域から離れた、山が臨める水場に祭祀場が必要となる訳で、半恒久的なものだったろう。この見方が正しければ、そのうち出土するのでは。
これこそ、文明の初源。
その後、インダス川、チグリス・ユーフラテス川、ナイル川での定住革命が始まったと見る訳である。
砂漠の"経典"宗教が忌み嫌う「蛇」とは、内陸乾燥地帯のアンチ文字文化を貫く移住民のトーテムだった可能性もあろう。(イスラム教は、まごうかたなき経典信仰だが、テキスト無しでの吟唱を重視する。それはアンチ文字文化と親和性が高い。)

この辺りは、いい加減な想像ではあるが、ポイントは、シルクロード的な「沙漠の道」に注目せず、先ずは「草原の道」を第一義的に考えるべしということ。素人感覚からすれば、交通路として、後者の方が圧倒的優位と見るからでもある。
この移動民は、自然を過酷でヒトに対立的なものと見なす道理がない。荒れることもあるが、恵みをもたらすものでもあるからだ。おそらく、星の宗教を生み出したのはここら辺りの人々である。
乾燥地域の晴れ渡った天空を見上げていれば、物語を考えたくもなろう。

こんな風に、ついつい思い巡らすのは、「風土」を読み返したりするから。
そして、そんな一行を書いてしまうのは、こんな問題意識を持っているせい。・・・知識として、丸暗記して嬉しがる時代はもう終わり。直観力を高め、斬新な仮説を創出することに喜びを感じる人が増えてくれねば。
そういう意味で、「風土」をご推奨する訳である。なんといっても、学際的な記述なので読み易いから、考えるためのテキストとして最適。

ついでながら、もう一つあげておこう。
江上波夫 :「騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ」 中公新書 1967年。
こちらは、題名からして、素人から見ても無理筋に映るが、お読みになっていない方は、ご一読をお勧めしたい。(何回も読む本ではない。)ただ、新書であっても、東洋史学者の著作的雰囲気濃厚で、教科書的。余り面白い本ではない。

注意すべきは、読み方。
結論やそれに至る理屈に拘らないこと。社会的変化の見方を知ることが重要。
と言うか、この本が、何を示唆しているかは自明。・・・通説に黙々と従い、それが正しいとの主張を裏付けるために。狭い視野で精緻な分析に勢力を注ぐのはいい加減止めたらということ。それにどれだけの価値があるのかと問題提起した書と言えよう。新しい概念を創造し、どのようなシナリオにまとめあげることこそが創造的な仕事とわきまえヨという主張が見え隠れする。
日本を考えるなら、視点を世界に向け、俯瞰的にながめなければアカンということ。コレ簡単なようで、結構難しい。


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