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「新風土論」
2015年8月23日

朝鮮半島はツングース文化

「草原の道」族を考える際の決め手は、朝鮮半島をどう見るかが鍵を握っているともいえよう、と書いたので、(朝鮮語の古層はツングース/満洲系民族語。日本語も似ているが、基層が違うとの主旨。[→]) そこらについての素人論攷。

朝鮮半島の最古王朝は殷の箕子が樹立したようだ。初期王朝の時代から大陸の帝国の従属国だったのは間違いなさそう。(但し、済州島は南島系。最南部は山東からの渡来の「韓」系の可能性が高い。)近代に入っても、モンゴル族(元)-漢族(明)-ツングース・満洲族(金、遼、清)の支配下が長い。
ハングル以前の文献はほとんど残っていないし、支配層は日常的に中華帝国言語を利用していたと思われ、どのように文化が混じってきたのか理解するのは至難。にもかかわらず、中国の文献と齟齬を来たすような、お話朝鮮史をしばしば見かける。どう考えても、これは創作以外のなにものでもなかろう。そんな状態での発掘品調査結果を参考にするのは考えモノ。

現代に残る風習から、その由来を推定する方がましである。ユーラシア全体を俯瞰的に眺め、頭を働かせる以外に手はなかろう。

そのような観点に立つと、食文化を眺める手は、朝鮮半島文化の基層を知るのに実に好都合。
ちょっと考えてみたい。

食事にナイフ、フォーク、スプーンを使うと言えば、西洋文化とされ、箸と蓮華が東アジア、南アジアが手食となる。実に、ステレオタイプなものの見方。
文化を考える上では、この区分から出発すると基層は全く見えなくなる。ご存知のように、西洋がカトラリーを使い始めたのは近代になってからで。それまでは手づかみ食。つまり、現代西洋文化は東から来た文化をついに取り入れたというにすぎない。

しかし、箸食の中国にしても、「食指」という言葉が残っているから、もともとは手食であったのは間違いない。箸の出土は古いが、それは儀式用だった可能性もあり、極く一般的に食事に使われるようになったのは、どうも漢王朝が始まった辺りのようだ。
日本も同様な経緯をたどっている。魏志倭人伝で箸無し手食と指摘されている通り。日本の場合は神との共食文化濃厚。古くから竹製ピンセット型取り箸が存在していた訳で、それを用いて、めいめいが葉皿に取り手指で食す仕組み。場合によっては、そこいらの枝を使うこともあったろう。従って、先進文化に合わせて箸を使うとなれば、めいめいの専用箸となる。表面上は似ていても、中国の箸文化とは異なるのである。
   「日本の独特な食文化」[2009.11.5]

こんな話を取り上げるのは、箸の使用が東アジアの基本という見方が余りに雑だから。

中国の箸は、ご飯を食べるのに使うが、朝鮮半島の箸はそのようには使わない。摘まめるものを取るにすぎず、基本は匙(蓮華)食だからだ。
湯(ループ)に穀類を入れる料理が主体だから、そうなるので、とるに足らない話と言うなかれ。

それがわかるのが、「草原の民」の東部側の慣習。今や、風前の灯ではあるものの、本来はナイフと箸なのだ。しかも、セットで個々人が携帯するのである。日本のめいめい箸の習慣と似ているが、それとは概念が違うと思われる。自分の分の肉を切って、箸で取る用途であるのは明らか。
そうそう、モンゴル族もツングース族も昔からスプーンは必需品。それは、食事に際し、脂を取るためになくてはならないものだからだ。(尚、乳ベースの液体モノは、椀に口をつけて飲むのが普通。)

どう見ても、朝鮮半島の現代の匙(蓮華)主体+箸の組み合わせの原点はココ。
おそらく、古代はこの方式だったのだろう。実際、「化粧箸」という形で、ナイフと箸の個人専用セットが残っているというし。モンゴル・ツングース系食文化の民族とされると、吸収されかねないので、食のシーンから消されただけで、その習慣は捨てるに捨てられなかったということだろう。
そうそう、このナイフ箸だが、古代遊牧文化を感じさせるチベットにも、刃箸が存在しているそうだ。

尚、古くは、中国でも、刀子として使われていたようだ。しかし、それは残らなかった。
キルギス人が、西へ移動した人達は肉食で、東は魚食という話は結構ポイントをついており、魚にはナイフより箸が便利。中国は肉食大好きにもかかわらず、暗殺に使われかねないナイフは食卓から排除されたとも言えよう。それは、粘りのある米食主導になったからでもあろう。箸は主食を食べる用具になった訳である。移動民と定住民の文化の違いがはっきり出てしまった訳である。
言うまでもないが、米は中国、朝鮮半島、日本列島のどこでも好かれているが、箸で食べるのは中国と日本。朝鮮半島は粥でもないのに、必ず匙である。

それだけではない。
朝鮮半島の食器は金属製であるのも、「草原の民」の伝統に倣っているのは間違いない。
古代から、「草原の道」の民は、マトリョーシカ型の重ね入れ子式の金属食器を用いていたからだ。携帯箸と共に、それこそが誇りでもあった訳である。
日本にも、そのような食器が伝来している筈だが、誰も使いたくなかったのである。当たり前だが、炊き立てご飯が冷め易い碗や、熱くてとても持てない汁モノの椀をわざわざ使う訳がない。両者ともに、手でお茶碗を持つのが不作法とされており、日本とは全く習慣が違う訳である。

(Source) 高倉洋彰:「刀箸考」 西南学院大学国際文化論集第21巻第2号27−48頁2007年2月

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