→INDEX

■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.14] ■■■
[14] 裸國と黒齒國

侏儒国が黒潮源流域のルソン島とすれば、倭関連の記載はそこで官僚してもよいのだがオマケがある。

 又 有裸國 黒齒國復在 其東南船行一年可

この記載は漢の時代の認識をママ受け継いだだけで、体裁上虫できないので一応記載したということか。
 自女王國南四千餘里至朱儒國人長三四尺
 自朱儒東南行船一年 至裸國 K齒國 使驛所傳 極於此矣

   [「後漢書」卷八十五 東夷列傳第七十五]
この情報源は「山海経」。得体のしれぬキメラが大勢登場する荒唐無稽な地誌だが、古代の世界観の表出と考えるべき書。

尚、「山海経」海内北経には倭が登場している。他の生物相の記載が無いからなにもわからずの地だったのだろう。
 蓋國在鉅燕南 倭北
 倭屬燕
 朝鮮在列陽東 海北山南
 列陽屬燕

しかし、ここでの倭は、海の彼方の列島扱いではなく明らかに大陸の住民である。おそらく、多島海沿岸域の住民で、島々は取るに足らぬ広さなので、あくまでも大陸側の人々との認識だったのだろう。

先ず、裸國だが、台湾の原住民は日中は裸の生活をしていたことが知られており、古代には特段珍しい風俗ではなかった筈。気温から考え、呉越濮と呼ばれた地の原住部族民も裸であったに違いないのである。
文字が通用する時代になると、そのような人々が居る地はとんでもない遠隔地との観念が出来上がってしまう訳だ。
それはある意味正しい。"人工的"身分が持ち込まれると、その表彰としての衣冠が不可欠となるからだ。
一方、実力でリーダーが自然に決まっていく小規模な社会では、様々なリーダーが存在するため身分の規格化は難しい。標準化した標章は作りにくいから、衣類にたいした意味を与えられない。そんなこともあって、裸で生活していたのはもっぱら太平洋南島語族系土着民とされてしまう。

K齒國だが、倭国東南方の海人にお歯黒風習ありという意味だろう。最後まで残ったのは日本列島と台湾と言われる。
  →"インドシナのK齒國"(「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.22)
 海外東經【K齒國】  [→]
  人K 食稻啖蛇一赤青
 大荒東経【K齒之國】  [→]
  帝俊生K齒 姜姓 黍食 使四

ここの記述が面白いのは、インドシナ辺りの風習と思われるのに、倭人の項目に入っていること。中華帝国的視点(「三国志」3書)では、「その他 海の果ての人」との扱い。
┌魏
┤├烏丸
│├鮮卑
│└東夷
扶余
高句麗
東沃沮



└倭人…海人
┼┼黒潮系
┼┼├倭國
┼┼├狗奴國…熊襲
┼┼ (倭種の國)…佐渡
┼┼├─侏儒國…ルソン島
┼┼インド系
┼┼└──裸國 K齒國…東南アジア島嶼域
├蜀
└呉

南越までは情報があったが、隋・唐の時代以前は東南アジアについての情報は余り入って来なかったと見える。扶南国@メコンデルタ1〜7世紀はインド(ヒンドゥー教)文化圏に属していたとみられ、無文字だがサンスクリット語が通用していた。扶南の祖は島嶼人とされており、モンゴロイドやオーストラロイドではなく、オーストロネシアであろう。
(港湾運河型のÓc Eo/glass canal遺跡から高床水上住居が出土している。)
モンゴロイド主体の黒潮文化圏とは違うが、大陸側とはいえ海路で繋がっている文化圏が、交易をしていない筈はなかろう。音楽は伝わっているにもかかわらず、扶南の名前は梁書に登場するだけで、呉の書には登場しないのである。

 (C) 2019 RandDManagement.com    →HOME