→表紙
2013.7.11
 

「イマジネーションベース日本通史」作りのお勧め…

世界史の本をたいして知らぬが、日本人の著作に出会ったことはない。欧州の本は、東アジアの記述部分が過少なので不満。ただ、通読しなくても、成る程、そう見るのかと考えさせられる点は少なくない。全体シナリオがあるからだ。
一方、日本通史の類は日本人の著作。ところが、こちらは読み続けること自体がえらくつらいものが多い。バラバラに作られた小冊子をバインダーでとめた感じがするからである。網羅的に政治機構と社会経済、宗教と芸術文化などが記載されているものが多いが、その相互関連の記載はせいぜいが「影響を与えて」という曖昧表現止まり。どういうことかさっぱりイメージが湧かずストレスを覚えたり。
そういう読者は稀なのだろうか。

小生は、日本の歴史通史本の一大特徴とは、西洋的に言えばDescriptive志向だと思う。論文評価にこの言葉が使われたら、あなたは学者不向きと言われたに等しい言葉。それが、どうも日本では通用しないようなのだ。
思うに、歴史の分野でも、データを豊富に抱え、職人芸的に細かな評価ができる人を「凄い」と考える社会なのだろう。
もっとも、それは、ドグマで固まる人達を嫌って染み付いてしまった体質の可能性もある。この分野に限らないが、「比喩的」に現代政治や社会の腐敗を批判する文章を埋め込む学者は少なくないのである。意見が異なるから不快ということもないが、なにを言いたいのか論理がよくわからず閉口する。思想を共有する方々に予算を割いて頂こうという算段なのだろうか。毛沢東語録を手に持ち、群れて歩くのが嬉しくてしかたのなかった反知識人の人達の姿と重なってしまう。

こんなことをつい書いてしまったのは、先日、あるお話を、物知りの方から教えてもらったから。
著名な学者の方が、その昔、縄文時代に稲作ありというシンポジウムに出席されたとのこと。プラントオパールなどわからなかった頃。その場で、素人を珍説で惑わすのは考えものと一喝したそうである。発表の質が悪かった可能性もなきにしもあらずだが、公衆の面前で平然と「権威主義的」な発言をしたらしい。ようするに、くだらん仮説の論議に時間を使うなと叫んだ訳。
まあ、どこにでもこの手の人はいるもの、しかし、普通はそういう人は進歩の妨げになるから、指導的地位につけさせないもの。ところが日本は逆らしい。

おわかりだろうか。
日本通史となると、余りに広く、独自の「データ収集」と「細かな分析」ができにくい。どうしても、専門分野の学者がまとめたデータを使って新しい視点で全体像を描くことになろう。そうなると、狭い分野の専門家から、「素人を珍説で惑わすな」という叫びがあがり葬り去られる可能性大ということ。
結局のところ、権威ある方が執筆するとなれば、個別分野の専門家のまとめたものを継ぎ貼りしたものにするしかない。そこには統一視点がある筈もない。しかも、分野とはすでにできあがった分類だし、流行廃りもあるから、本での記載では重点が自動的に決まるし、時代区分も成り行きまかせ。その辺りに手が入ることは無い。
ただ、バラバラ感を消すため、記載の粒度というか、説明の細かさや、表現の仕方をできる限り統一することになる。だが、細かい解説をしているのは、その分野ではそれが重要だと考えるからで、読み手にココが肝だと理解して欲しいと思うから。編集に注力しても、整理された記述で軽く読めるようにはなるだろうが、肝心な点について読者が考えることはなくなる訳だからプラスになるとは言い難かろう。

以前にも書いたが、日本の時代区分はナンダカネの世界。史書がある範囲では、時の権力者の所在地というルールはありそうだが。必ずしも、地域の違いが重要という訳でもなさそうだから、いかにも、地域土着民が好みそうな記述と言えよう。ただ、首都東京が決まってしまうと、そうはいかなくなる。とはいえ、書けない訳でもない。このように、・・・。
   岩宿のような遺跡 (先土器)
   三内丸山のような遺跡 (縄文式土器)
   登呂や吉野ケ里のような遺跡 (弥生式土器)
   大型古墳 (埴輪/須恵器)
   飛鳥地区内裏
   奈良内裏 (平城京)
   山城内裏 (平安京)
   鎌倉幕府
   京都朝廷-吉野朝廷 (南北朝)
   京都室町幕府
   安土城・伏見[桃山]城
   江戸城
   東京千代田皇居 (明治)
    U
   第一生命ビル (GHQ)
   霞ヶ関・永田町
これで通史の全体観が生まれるものかネ。

どう着目して、どう分類したのか説明できないとしたら、誰が作ったのかわからないものの単なる暗記でしかなかろう。でも、残念ながら、それが嬉しい人が大多数のようだ。
この状態で、新しい発想を要求したところで、より細かな分析で新しいことを見つけるのが関の山。なにせ、土器分類が余りに多岐に渡るので、覚え易くするために、大分類が必要と皮肉でなくマジで主張する大御所がいらしたそうだから唖然。
新しい発見とは、先ずはイマジネーション。権力者が存在する地名でなく、違う視点で眺め、再整理してみることをお勧めしたい。当たり前だが、新しい視点で区分するのだから為政者の組織が発足した年が切れ目にならなくなる。

そんな頭の使い方を、一度はしてみるべきだと思うが、どうかナ。そうでもしないと、歴史からの学びはできないかも。

(当サイト過去記載)
 ・方針なき時代区分の命名 →(20100304)
 ・土器の形態による時代区分にどんな意味があるのだろう →(20100723)
 歴史から学ぶの目次へ>>>    表紙へ>>>
 
    (C) 1999-2013 RandDManagement.com