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■ 孤島国JAPAN ■ 2009.8.27 |
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日本語は最古言語かも…〜 日本語は、特殊な言語だ。 〜漢字文化圏なる構想がある。文化交流で摩擦を少しでも減らせないかといった取り組みの一種だろう。 → 「『漢字文化圏』時代は来るか」 (2009.8.3) 日本語は、漢字を多用するし、様々な概念も借用しているから、同じ文化圏だったのは事実だ。共産党という言葉にしても、日本語の翻訳言葉の可能性が高そうだし。 しかし、言語だけ見れば、両者は、仲間どころか、全くの異種。漢字が使われているというだけで、両者の似ている点など皆無に近い。実に不思議。 そこで、世界を見回すことになるが、日本語類似言語が無い訳ではないが、どれも帯に短し襷に長しで、同根と見てよいのか疑問が湧くものばかり。 日本語は、孤立した言語なのである。 過去はともかく、現在の日本語で目だつ特徴といえば、表記の複雑さだ。これは飛びぬけている。 世界の流れは表記の簡素化と標準化だと思うが、それには逆らい続けてきたようだ。そんなことをしていると、没落しそうなものだが、そうは問屋が卸さぬとばかり、頑張っているのである。たいしたものだ。 なにせ、右から左に進む縦書きと、それとは逆の横書きを、同じ頁に同居させたりするのだ。どうせ日本人以外は読めないから、どうしようと勝手だろうということか。そういえば、アメリカ人に、巻末に逆頁の索引がある右開きの本を見せて、日本ではリバーシブルブックと呼んで、裏表紙側からでも読めるのだぜと言って本気にされそうになったことがある。ご注意のほど。 よく考えると、大国から打ち寄せる文化の荒波を乗り越え、独自性を守り続けることができたのは、奇跡に近いのではないか。 幸運か、それとも、なにか秘訣でもあったのだろうか。 この感覚、なかなか伝わりにくいから、以下の解説から読み取って頂きたい。 〜 書き言葉の複雑性は、比類すべきもない。 〜 誰でもがわかる、日本語の特徴といえば、書き言葉の複雑性。 日本語を習う人にとってはさぞかし厄介なこと。治安がよい国なら、日本語でも習いに行くかという気がおこるかも知れぬが、文字を眺めたとたん、学ぶ気力を失うのではないか。 ともかく、記憶すべき量が膨大だ。それでも漢字のように、量だけならなんとかなりそうな気にもなろう。日本語はそうはいかない。文字が多岐にわたっており、どれも手を抜けないのだ。恐ろしい言語である。 そんなことを思うと、このような言語で、実質的に識字率100%の社会を作り上げてきたのは驚異的。好奇心旺盛で、勉強好きな国民性あってのこと。 普段、こんなことは気にも留めない。よい機会だから、日本語を学ぶ立場で、書き言葉を眺めてみよう。 ・ローマ字 I -文字自体は世界標準だ。 -子音文字の1つと、母音文字1つの組み合わせが基本単位。 -ベースの50音は簡単に覚えられる。 -だが、折角覚えても、日本語表記に使われていない。 ・ローマ字 II -文字はローマ字だが、英語の場合がある。 -文章に入るのは英語の場合が多い。 -企業名や、英単語そのもの。 -従って、英語かローマ字表記日本語か、判断が必要となる。 (Aだけなら、「ア」ではなく、「エー」と読むのは自明だが。) ・数字や記号 -数字は、ローマ数字だけではなく、書き手の好みで、様々なタイプが用いられる。 -記号や外国文字好きだと見えて、色々なものが登場する。自由自在。 -ケータイの絵文字は流石に一般に普及はしなかったが、どうなるかはわからぬ。 ・カタカナ -線文字に近いから、書き易く、和流のアルファベットといったところ。 -折角覚えても、文章での利用は意外と少ない。 -海外の単語や、擬音の表記には必ず使う。 -欧米人名や技術用語はカタカナ表記なので、覚える必要がある。 ・ひらがな -カタカナと一対一対応だが、重複して覚える必要がある。 -対応するカタカナの形とは無関係である。 -まるまっていて、書きづらい。 -文章は、漢字とひらがなで作るのが原則。 ・漢字 -数は結構多い。 -一応、標準化はされているが、考え方が統一されていないから厄介。 -漢字に送り仮名をつけた“和語”は複数できてしまう。 -漢字が連なると、非“和語”的発音になり、読み方も複数ある。 -字体は色々なものが使われている。(標準が通用するのは、指標である新聞。) -人名漢字は字体も読み方も錯綜しており、学ぶ対象ではない。 〜 話言葉は簡素そのもの。 〜 ところが、面白いことに、話言葉は書き言葉とは違い単純だ。例外はあるものの、「音」が少なく、すぐに修得できそうだ。 日本語の文章構造と同じ言語を話す人なら、短期修得間違いなし。モンゴル出身力士が流暢に操れて当然。 ・母音と子音 -5つと少ない。琉球語は本土語のeとoが無いが、こちらが原型かも。 -子音もカ行(k)からラ行(r)までが主体で少ない。 -発音の基本は、子音1つに母音1つの組み合わせ。 -濁音や撥音はそれほど頻繁にでてこない。 -要するに、五十音をいくつか集めるだけで基本単語は話せるということ。 -単語の語尾は母音。これに違和感なければ、話すのは簡単。 ・アクセントや高低 -中国語のように高低での表現はしない。 -単語の、前、中、後のどこを強く言うかで違う言葉になる。 -重視しなくてもなんとかなる。 ・文章構造 -「主語+目的語+述語」だが、柔軟性がある。 -主語述語対応変化のような煩雑なルールはない。 -冠詞の類は一切不要である。 -疑問文は最後に疑問詞をつけるだけ。 ざっと見るだけで、ずいぶん簡素な言語だなという印象を受けるのでは。 ところが、それは正しいともいえるし、間違いとも言える。ここが日本語の凄さ。 同じ内容でも、言い方が色々と用意されているのである。その典型が敬語の存在。これは日本人でも難しくなってきた位で、学ぶ方にとっては大いに苦しむところではないか。 〜 日本だけが、古代言語を守り続けてきたのかも。 〜 こんな特徴を眺めていると、日本語とは、文字のなかった時代の伝統を捨てずに、新潮流に合わせながら、細かな改良と、新しい機能(単語)をとんどん加えることで、発展させてきた、珍しい言語なのではと思えてくる。 どう見たのか、記載しておこう。 ・「主語+目的語+述語」との見方はピント外れ。 -英語や中国語の「主語+述語+目的語」との比較は無意味な感じがする。 曖昧な主語や、主語無しの方が自然な文章が多い。 -どれか一つでも意味は通じる。省略説は後付けの説明では。 伝えたいことを現す語ありき。 ・「説明語+主要語」といった簡素な骨格が好まれる。 -何時、どんな風に、何処へ、といった説明を重視する文章が多い。 -接続詞や関係代名詞でダラダラ続く文章は無い。 ・単語を増やすことで、表現を豊富化している。 -“和語”が難しい抽象的表現は、漢字表現を流用する。 -外来用語はどしどし使う。似た“和語”が追い出されても気にしない。 細かなことはどうでもよいが、なんとなく感じることがあろう。当たっているかわからぬが、小生は以下のように推測した。 ・文章を論理的に構築していく気はない。 ・伝えたいことを、一つの単語に託す。漢字とカナで書くと、これがわかり易くなる。 ・文章は、円滑なコミュニケーションのための補助的なもの。 ・重要な情感表現には、抽象的な単語を使わない。 (聞き手は、具体的な事物や状況から、情感を見抜くことを要求される。) ・一人称、二人称、三人称をはっきりさせることは好まない。 ・言葉を使う状況によって、伝えたいことは同じでも、表現が変わる。 コレ、自給自足型小集落内のコミュニケーションを彷彿させる。 「日照りやナー。」と言われても、インサイダーでないと、何を伝えたいのか、わからないということ。 国家統治の仕組み作りや、経典宗教の普及には、どう考えても、この類の言語は向かない。 おそらく、そんなことは百も承知で、言語の方向転換を拒否してきたのが日本なのでは。 古代型言語体系を死守するが、世界の流れから落伍しないために、覇権国の単語をどしどし受け入れたということだろう。無理を重ねてきたのである。 その代わり、インサイダーの情感表現スキルはどんどん深まる。まさに、心に沁みる表現が可能な言語という訳。そして、そんな表現ができることこそ愛国心と考えてきたのではないか。 「孤島国JAPAN」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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