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2009.9.10
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日本語は最古言語かも[続]…

〜 日本語の単語は外来語だらけ。 〜
 素人感覚では、日本語は、他の言語とかなりかけ離れているように映る。ただ、最古言語などと言うと、誰でもがトンデモ論と感じるだろう。
 しかし、それはマインドセットされているからかも。
 一度、ご自分の頭でお考えになることをお勧めしたい。想像を働かせれば、なんとなく日本語のルーツは見えてくると思うが。

 言語学を学んだことはないから、学問の現状は全くわからないが、今もって、日本語をどの語族に入れればよいかの定説は無いようだ。
 だが、そんなこと、当然では。

 今回は、その理由の一つを、素人の観点から、指摘しておこう。
(尚、同じような主張を記載した本は、多分、至るところにある。小生がこう考えるのも、様々な本からの知識の寄せ集めなのは間違いないが、出典がよくわからなかったので、申し訳ないが割愛させて頂いた。)

 よくある素人論は、他の言語の単語の音と比較して、似ているから同根だと決めつけるもの。学者は流石に、そんなことはしないだろうが、こと日本語に関しては、五十歩百歩。日本語と外国語の単語の音の単純比較は必ず間違う。
 と言うのは、日本には、単語を喜んで輸入する体質が脈々と受け継がれているからだ。
 現代の日常会話が、外来語だらけなのを知らない人はいまい。しかも、面白いのは、英単語を日本語化してしまうこと。単語をどんどん使うが、英語で話すつもりなど全くない。それどころか、このことが、かえって英語の修得を難しくしていたりする。
 漢字にしても、時代の変遷に従って、呉、漢、唐/宋と、全く違う読み方を輸入してきた。しかし、どの音もそのまま使用。
 こんなことは中国では有り得まい。それぞれ違う方言として残るのが普通。統一されるのだ。ところが、日本は、すべて同居。その上、和語もある。
 お蔭で、同じ漢字でも読み方は何通りもあり厄介そのもの。こんな、とんでもない言語が他にあるのだろうか。

 この体質を考えると、和語と見なされていても、実は、外来語だったりするのかも。しかし、そんな融通無碍な状態でも、古代から守ってきたルールらしきものもある。
 言語学ではどのように見るのか知らないが、現代日本語を眺めれば、そんなことは誰でもが気付いていること。

〜 2文字で単語をつくる習慣が続いてきた。 〜
 例えば、日本人が歴史的に好きそうな情景を想い浮かべて、現代の単語を並べれば、唸らざるを得まい。
海 うみ
浜 はま
砂 すな
山 やま
森 もり
岩 いわ
川 かわ
石 いし
土 つち
空 そら
雲 くも
 
夜 よる
月 つき
星 ほし
雨 あめ
霧 きり
 
魚 うお
貝 かい
塩 しお
草 くさ
花 はな
 
牛 うし
鳥 とり
犬 いぬ 

 意図的に主張に合わない単語を避けて選んでいるとはいえ、どれもこれも、ひらがな2文字。(言語学の用語で言えば、2音節だったか。)
 身近な、体にかかわる単語でも同じようなもの。
 まず、正統派の2文字単語を並べてみよう。
鼻 御“はな”
足 御“あし”
尻 御“しり”
舌 “した”
腹 “はら”

 一方、非正統派で存在感を示すのが、1文字の単語。ところが、この単語に「御」を付けると、重ね文字になり、2文字単語と化す。思わず、なんでそこまでこだわるのと言いたくならないか。
目 御“め”々
手 御“て”々
背 “せ”
歯 “は”

 ただ、重ね語は、幼児語の可能性もある。貴族の幼児語が残っているくらいだから、「チチ、ハハ」は大人の言葉ではないかも。
 英語でも、重ね言葉があり、そんな感覚は万国共通の可能性もある。
父 御“ち々”上
母 御“は々”上
御父様 御“もう”様
御母様 御“たあ”様
Papa “パ々”
Mama “マ々”

 なかには、混乱した表現を避けたいのか、はなから重ね文字だけにした単語もある。
耳 御“み々”

 ついでながら、英語も、2文字化される。イヤホンでわかるように、“イアー”ではなく、“イヤ”なのである。目は“アイ”で、髪は“ヘア”。

 「毛」は1文字言葉だが、身体の部位名の場合は、他の言葉と一緒に使う言葉。抽象的な意味の単語だから、他の言葉より新しい感じがする。ただ、「目毛」という言葉はなく、それに該当する別な単語が使われている。こちらの単語が古いということだろう。つまり、目は“ま”なのだ。「目」と「眼」は違う単語だが、後者は“まなこ”という言い回しだ。これは、「“ま[な]”コ」ということか。“ま[な]”が、2文字か1文字かは、素人にはよくわからないが。
眉毛 “ま[ゆ]”ゲ
睫毛 “ま[つ]”ゲ
髪毛 “かみ”のケ
鼻毛 “はな[_]”ゲ
胸毛 “むね[な]”ゲ
脛毛 “すね[_]”ゲ
髭 “ひゲ”
 
 
陰毛 イン・モウ
 
 

〜 2文字単語があれば、それだけで文章になるのが日本語である。 〜
 この2文字単語の存在こそ、古代から続いてきた“愛すべき”日本語の基本パターンでは。文字の数を矢鱈気にする民族なのだ。五七五・七七が好かれるのも、テンポ感だ。
 動詞になると、3文字以上も多いが、基本的なものは、2文字単語が目立つ。
見 みる
聞 きく
言 いう
読 よむ
書 かく
塗 ぬる
来 くる
行 いく
在 ある
噛 かむ
飲 のむ
喰 くう

 そして、文章にするのは実に簡単。テニヲハ等の1字の助けを借りさえすれば、意志は通じるのである。(互いに状況認識が一致しているとの前提が崩れると、さっぱり会話にならないということでもある。)
   「あれ」は?。
   「それ」を、「ここ」に。
   「どこ」へ、「行く」の?
 どれにしても、主語などなくて当然と言う感じの話言葉。要するに、仲間どうしの会話なら、自明な述語さえ省くのだ。誰が見ても、欧州の主流言語群や、中国語とは全く違う。

〜 2文字単語以外は外来語なのかも。 〜
 ここまで2文字単語にこだわるとしたら、1文字単語から始まり、次第に語数が増えていくとの流れで現代の単語を眺めると間違うかも。
 古代の1文字単語は早くから2文字になり、1文字として使われているものは、外来語なのかも。両者は併用されていたが、外来語が優勢になってしまったという可能性がある。(文字がなかった時代だから、この辺りの経緯はまったくわからない。)
 そんなことを感じてしまうのは、日本語全般で見ると、濁音使用は少ないのに、身体表現用語に濁音が入っているから。これらは2文字単語だが、和語ではなく、輸入品かも。和語が駆逐された可能性は否定できまい。
顎 アゴ
首 クビ
指 ユビ
腕 ウデ

 これが、さらに、3文字となれば、またまた違うところからの輸入単語ということになりそうだ。なんとなく、そんな感じがしないか。
額 ヒタイ
頭 アタマ
項 ウナジ
仏 ホトケ
煙 ケムリ
林 ハヤシ


〜 文字輸入以前も、単語の輸入は盛んだったのでは。 〜
 間違ってはこまるが、上記の点を検討したいのではない。おそらく、かなり間違った見方もあろう。そんなことは、どうでもよい話。
 言いたいことは、日本は、外国語の単語をドシドシ取り入れてきたのではないかという点。
 その場合、2文字だとしっくりきたが、それ以外はしかたなく、そのまま導入したのではないか。この見方があっているなら、輸入単語は、3種類の“漢語”+“欧語”以外に沢山あることになる。一見、“和語”に見えても、2文字でないものや、2文字でも濁音が入っている単語は、外国語の可能性が高いと見た方がよいということ。

 すでに呼び方があろうとなかろうと、外国語の単語が必要だと思えば、躊躇なく導入してきたのである。標準化の思想とは無縁。
 誰が見ても、コミュニケーションとしては労ばかり多く、損なやり方だ。しかし、それこそが日本人の体質なのかも。
(これができるのは、名詞の変化がなく、動詞の変化の例外も少ないからだ。昔、「銀座」の語尾変化にはまいったことがあり、この違いは大きい。)

 この体質、古代の自給自足時代のコミュニケーションを彷彿させる。小集団が並存して生きていれば。お隣の集団とは言葉が違って当たり前。両者を一体化させる必要が生じたら、共通言語をどうすべきかが問題となる。標準化の議論などできる訳がないから、普通は力がある方に従うことになるが、戦乱無しにそんなことができるとは思えまい。
 戦乱を避けたいなら、両方の語彙をそのままにして、適当に合体していくのが一番。日本では、その方式で、言葉を統一していったのではなかろうか。無手勝流といったところ。

 古代は、日本に限らず、どこでもそんなやり方だったのではないか。だだ、それは長くは続かなかったのである。
 文法がしっかりした言語が登場したからである。アジアでは、中国語があたる。言うまでもないが、そんな言語が必要なのは、大国ということ。
 当然ながら、どの民族も、この影響をまともにくらった。各言語は、それなりに合理的な構造へと、少しづつ変わった筈である。
 ところが、それを全く受け付けなかったのが日本語。全面的な単語輸入は行ったが、構造に関しては知らん顔を決め込んだのである。頑固なこと、岩の如し。
 どうしてこんなことができたかと言えば、中国が繁栄する以前に、すでに他の地域から単語輸入を積極的に行っていたからだ。

〜 日本人とは日本語を話す人達のこと。 〜
 従来からの姿勢を堅持したのは、よく考えれば、当然の話。
 日本人は、海外から様々な民族の血を入れてきた混血種だからだ。混血にもかかわらず、民族的な一体感を保つには、このやり方しかなかったのである。
 様々な外来単語が錯綜する言葉は、完全に習得するには大変な労力を必要とする。しかし、その一方で、どんな単語を使っても、なんとか通じる柔軟性を持っているから、新参者にとっては修得しやすいのだ。
 ところが、それならすぐに日本語会話に習熟できるかと言えば、そうはならないのだ。ここが肝。
 言葉に慣れてくると、その融通無碍な表現が次第にわかってくる。相手の状況を推測しながら話さないと、本格的なコミュニケーションが成り立たないことに気付くのだ。従って、そのスキルを磨かざるを得ない。そんなことを始めると、自動的に日本人化してしまうのである。
 単語はどしどし輸入するが、言語の基本骨格を頑固に守り続けてきたことが、日本人としての一体感を醸成することに繋がったということ。

 この見方が妥当なら、日本語は、中国語発祥以前の、古いアジアの言語骨格を、今もそのまま受け継いでいる可能性が高い。
 このことは、日本語の単語には、中国王朝より昔に繁栄していた、アジアの他王朝の単語も沢山混じっているということになる。
 単語比較結果から、様々な言語との繋がりを指摘する人がいるが、当然である。それをもって、日本語のルーツを議論しても意味は薄いということ。

【前回】  「日本語は最古言語かも」 (2009.8.27)


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