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2009.10.8
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唯一無二のハンコ社会…

〜 ハンコの習慣はガラパゴスどころではないと大憤慨する人もいる。 〜
 とある検索で、“池田信夫blog”の一ページに出会った。
 吹き出しそうな話。せっかくだから引用しておこう。・・・“あるウェブマガジンに依頼された原稿を送ったら、「申告書」がEメールに添付されて、「銀行口座を書いて署名・捺印して郵送せよ。それまで原稿は掲載しない」と”(1)言われたそうである。
 その後の対応はご想像がつくから、これだけでよいだろう。
 余程腹に据えかねたらしく、ついでに元号や縦書きも槍玉に。そして、“日本がガラパゴスを通り越して「北朝鮮化」”というところまで筆が進んでいる。

 ハハハ。
 そんなことはビジネスマンなら、大昔から感じていること。知らん顔をしているだけのこと。
 なにせ、紙幣には日本銀行「総裁印」が印刷されている。ご丁寧なことに、反対側は「発券局長」の朱印だ。こんな国があるかね。

〜 ハンコは日本の組織文化とつながっている。 〜
 お札が象徴しているのは、日本人の統制志向だと思う。役職名や組織名のハンコがあって、始めて全員が動き始めるのだ。
 自分達で選んだリーダーで、職掌によって権限が与えられても、サインだけで済まされると、個人の一存で動いている印象が生まれてしまう。それにこだわったりすれば、許しがたき独裁者と言われかねないのである。
 この文化を理解していないと、組織を動かすのにえらく骨が折れる。

 そんなことを、大企業の役員に教えて頂いたのは20代のころ。これは実に有難かった。

 ご存知のように、企業には稟議書があるが、その方は、時によっては、逆向きに押印するという。反対意見だが、トップがGOと決めたなら従うという意味だという。ただ、こんなことができる会社は稀だから、口外するなと言われた。
 たいていの組織は、印鑑が押された「辞令」があるが、なくても済む大会社は少ない位なのだから、こんなことをしている会社と思われると大損なのだからというのである。
 特に、美しく心を込めて捺印しないと、日本ではビジネスを失うことさえあるのだから、よく覚えておくようにと諭された。まあ、役員に対して、若造がズケヅケ言うこと自体、密室だからできることで、その調子で外で動くなとご注意をうけたのである。
 それから、ずいぶん年月はたったが、日本企業の風土は変わっただろうか。

〜 ハンコシステムのお陰で利益を得ている人達は少なくない。 〜
 まあ、出勤簿に判を押すとか、色々な書類への捺印がないと仕事も始められない組織も少なくないのだから、企業だけを見ていてもしかたがないか。
 これを見て、合理的に考えて、止めたらよさそうと言う人がいるが、勘違いしているのではないか。これは、「不正」を見逃すためには最適な仕組みなのであり、合理的なのである。なにせ、ハンコを忘れても、100円払えばあとは上手く処理してくれる仕組みが完備しているのが普通。誰も、それを正すべき「不正」とは感じまい。これこそが、日本の組織文化の本質である。

 組織のルールとはあくまでも形式。そこには必ず、抜け道が用意されている。ハンコを使ったルール破りはやりたければご随意にということ。チェックしているのだから、問題がおきたら、責任は当該個人で組織ではないと言い張れるから、便利そのもの。
 抜け道を知らない部外者は、ルールに縛られてしまうので、動きがとれないようにしたとも言えるかも。まあ、それをわざわざ新入りにご指南する御仁も少なくはないが。
 おわかりだと思うが、もともとは、抜け道を上手く活用し、柔軟に動いて、成果を上げて欲しいということ。腐敗の温床になりかねないが、仕組みを変えるのは大変だから適当にいこうという発想だ。

 ハンコ問題とは関係ないが、報道機関が行ってきた経費の水増し請求(2)など、その手の感覚から始まった可能性が濃厚だ。
 従って、千葉県の公金横領に対して、“なぜ見過ごしてきたのか”(3)と見てしまうと、一歩も進まないかも。

 以前、企業の代理で顧客サービスを請け負う事業者にお会いしたことがある。ハンコを山のようにかかえていた。サインは不正と見なされるかねないから、致し方ないらしい。企業側の担当者からの指示でハンコを買い揃えたという。日本の実像はそんなところかも。

〜 訳のわからぬ印鑑証明の仕組みは多分この先も続く。 〜
 ちょっとハンコから話がとんだが、要は、日本の仕組みは社会の大きな変化が発生しないように用心深く作られており、それは既得権益が維持できるようになっているということ。その頂点が、印鑑証明かも。素人にはなにがなんだか理解できないもの。心理的なハードルを高くすることが狙いだと思われる。

 この制度の面白いのは、証明にカードが必要となるという点。わざわざ不正が発生し易いように作った仕組みかと思ってしまうような、不思議なコンセプトである。この仕組みが有難い人達が考えたに違いない。
 呆れることに、そのカードたるや、どこにでもあるような物だ。何枚だろうが簡単に発行できるような仕様。しかも、材質からして、生分解性プラスチックだ。強度も弱いし、壊れ易い筈。実にユニーク。
 そんなシステムが違和感なく運用されているのだから、この先も廃れることはなさそうである。
 それに土地所有の契約書や、組織の出自を示す書類には、印章を残したいと考える人は少なくないし。

 中国共産党も、中華思想を基盤にしているから、公的なものには印を残すかも知れぬが、それ以外はすべて撤廃していくだろうから、ハンコの習慣を残すのは日本だけになるのではないか。(周辺国に印鑑を贈る中華儀式の残滓は残りそうな気がする。)

〜 電子化されてもハンコは残ると思われる。 〜
 間違ってはこまるが、印鑑証明が残るということと、電子化が進まないということはイコールではない。思想性なき混交なのだが、そこが、又、日本らしさでもある。
 時間はかかるが、おそらく電子化に反対する既得権益層を上手くとりこんで、不可思議なものができていく可能性が高い。
  → 「電子政府に対する最大の抵抗勢力とは」(2004.7.20)

 そう思うのは、昔、「電子印鑑」話を聞いたから。
 インターネットで登録して、ソフトで印章イメージをワードに貼り付けると、文書が改竄できなくなるというコンセプト。そこまでは当たり前だ。
 驚いたのは、その先。登録されたら、実物の印鑑を別途書留で送るというのだ。象牙ライクか黒檀ライクにしたらよいとの声もあがっていた。
 う〜む。これは、一体なんなんだ。
 印章イメージのコピーなど簡単だから、偽造印刷などだれでもできる。光硬化プラスチックを使えば、素人でも偽造印鑑が作成もできる。そんな時代に、わざわざ印鑑を提供するというのだ。

 まあ、ハンコのニーズはあることは確かだから、ビジネスとしてはありそうな感じはしたが。
 例えば、IT化が進んでいないなら、申請-承認プロセスでは、サインよりデート印の方が後でチェックし易いのである。どうせ、緊急の場合は、サインで済ますから、特別扱い書類ということもはっきりするし。(ただし、代理捺印がされないという前提が必要だが。)
 外資系企業で、捺印欄がいくつも並ぶ出張費用精算書を見たことがある位で、改革は大変な労力を要するから、適度なところで進めるのが成功のコツなのである。
 日本には古いタイプの企業が多いのだから、仕方ない。

〜 一言で言えば、日本だけが、ハンコ社会を愛し続けているということ。 〜
 だらだら書いてきたが、ハンコ社会を続けたいと思っている人がいるから、それを無視して動くことはできないということ。
 説明は難しいので、引用で代えさせて頂こう。・・・
 “もしわが国ではんこを使わなくなると、古代オリエント世界で生み出された、最古の所有、管理を記録する手段である印章が地上から消え去ることになる。そうであるならば、印章という文化を継承するという意味で「はんこ社会」はもう少し続いた方がよいようにも思う。”(4)
 言うまでもないが、古代オリエントというのは、世界最古の文明シュメール(5)のこと。

 --- 参照 ---
(1) 「ハンコ・元号・縦書きをやめよう」 池田信夫blog [2008-12-16]
  http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ab7a17b40d389dcd899691841c24261b
(2) 「カラ出張、経費水増し 朝日新聞社が4億円所得隠し」 産経新聞 [2009.2.23]
  http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090223/crm0902231920020-n1.htm
(3) 「【主張】千葉県不正 なぜ見過ごしてきたのか」 産経新聞 [2009.9.11]
  http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090911/crm0909110229007-n1.htm
(4) 小林登志子: 「シュメル−人類最古の文明」 84頁 中公新書 2005年
(5) 「すめらみこと」を「シュメラミコト」とする俗説があるそうだ。
  それを避けるためには、長音記号を取り、「シュメル」と記載するとよいらしい。(同上書はしがき)


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