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2013.6.6
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農耕民族論はそろそろ止めたら…

 日本人は農耕民族の体質を持っているという言い方はそろそろ止めるべきだろう。
 勤勉だとか、平和共存とか、人によって色々な特質をあげるが、それは農耕民族的体質な訳ではない。日本の国が、農耕中心の社会だったことは間違いないが、異端的な体質と考えるべきだと思う。
 言うまでもないが、これと対比するように、西洋は戦争ばかりしているが、それは狩猟民族体質が抜けないからだなどという理屈にもならない見方を披瀝するのも、よした方がよかろう。

 自分の頭で少し考えてみれば、おかしな見方であることにすぐ気付く筈。

 農耕技術のお陰で生産力が飛躍的に伸びれば、社会制度が生まれ、支配の仕組みが出来上がるのは、自然な流れ。古代国家は人々の幻想で成立していた訳ではなく、この仕組みそのものと言える。生産力をあげるには、森を切り開き、灌漑施設を作り、農作業に従事する数多くの人を組織的に動かす必要があるから当然のこと。ただ、黙っていても自然にそうなる訳ではなく、力量がある支配者が登場した結果である。特に数多くの農奴は不可欠だから、その反乱を防ぎ、命令に従わせるためには、それなりの武力が必要となる。それこそが切り札。
 そんな状況で、農奴が勤勉に働くことは考えにくかろう。宗教以外に、勤労に注力する目的はあり得ないのでは。宗教国家でないなら、農耕民族国家に勤勉さが定着することは考えにくいということ。
 平和共存に至っては、およそありえそうにない。農耕民族国家が、さらなる生産力向上を目指せば、土地・水・農奴を増やす以外に手はなく、隣接の同様な国と摩擦が生まれるのはほぼ必然。戦乱勃発は時間の問題でしかなかろう。
 農耕民族と強大な軍隊組織は切っても切れぬ関係なのだ。

 中国の歴史を見れば、そんなことは自明。
 被支配層にしてみれば、同じ民族による支配者より、異民族支配者の方がましということで、そちらを選択したりするのである。ご存知、元は蒙古族だし、清は満州族。民族国家という概念を、農民が持ち合わせている訳がないのである。その民族国家を口では否定しながら、現実には漢民族国家を樹立したのが、貧農を組織化して黄帝の地位に上り詰めた毛沢東だったというのも皮肉なもの。
 そうそう、毛沢東の貧農の共同体構想も呆れるほど馬鹿げたものだった。農民の為に、農民が働く人民公社組織ができあがった訳だが、嘘の成果報告だらけ。皆、喜んでサボる一方だったのである。これが、農耕社会の普通の姿だろう。奴隷的状況は辛いものだが、一端その境遇に陥ると、諾々と命令に従っていると食べていけるなら、そりゃ楽だとなりがちなのである。

 そうそう、狩猟民族とか、肉食人種と呼んで揶揄する対象にしても、たいていは農耕民族の一派にすぎない。澱粉質が主食の食生活を送っているのだから間違いない。例えば、牧畜はミルク生産業態であり、食肉生産をしていた訳ではなく、肉を求める狩猟体質とはほど遠い。従って、被支配層の体質は中国と五十歩百歩だろう。違うのは、宗教観。原罪のお陰で労働せざるを得ないという感覚なのだから、勤勉でなくて当たり前。

 日本の場合はこうはならない。
 大陸と違い、地域毎に気候や地質がえらく違うし、滝のような川だらけだで、治水も一筋縄ではいかないからだ。これらに対応できる技術が十二分に発達しない限り、地域社会毎に独自に動かないと成果が生まれず、中央集権的にはなりにくいのである。異端の農耕文化が生まれる土壌がもともと存在している訳である。
 とは言え、先進的と思えば、大陸文化を喜んで取り入れるから、中央集権的な国家が樹立されているようには見える。ただ、内実はえらく違う。奴隷にしても、天皇家だけはそれなりに制度化され、御陵守、召使、農奴が存在したようだが、あとは私的なもので、地域毎に状況に応じた制度止まり。従って、建前上、身分は奴隷だが、西洋的には自由人扱いの層も生まれてしまう。大陸のような、厚い農奴層は形成できなかったのである。それは、収量増大のためには、農作業者個々の知恵と、膨大な手間が必要だったから。単純作業者としての農奴を増やすのは得策でなかったということ。
 あまりにも"日本的"な農耕だったから、勤勉な体質が身についたと見るべきだろう。国家観も他の農耕民族とは違って当然。・・・みかけは中央集権容認だが、実質は真逆であり、皆で、淡き幻想というか、情緒的な共同体感覚を共有すると言ったところか。その辺りが日本の宗教そのものと言えなくもない。日本では、経典はあり得ないのである。

 このように考えれば、平和共存と勤勉な体質は、どちらかと言えば、狩猟・採取民族が持つもので、農耕民族の体質とは違うことに気付く筈。日本は、古代の精神を未だに受け継いでいるのだ。こんなこと、日本ならではかも。

  狩猟・採取の成果は、ほぼいきあたりばったり。しかし、生半可な取り組みでは生きていけないから、矢鱈に密度が濃い労働時間と、そうでない時間があるのが特徴の社会といえよう。しかも、集団は必要だが、集団でいくら努力したところで報われるものでもないから、個人個人が知恵と知識を磨くしかない。すべての領域で優れた人材が存在する筈もないし、助力してもらわなければ、成果に結びつかないから、互いに尊重し合う社会にならざるを得まい。明らかに、奴隷を作ることは得策ではない。
 しかも、知識を広げるのはそう簡単ではないから、自分達のテリトリーから外に出なくて済むならそれにこしたことはない。周囲との平和共存を旨とした社会が出来上がり易いのは間違いあるまい。
 従って、これを、階級なき原始共産制として薔薇色社会に描く人々がいる訳である。だが、これは極めて過酷な社会である。人々を養うだけの生産力があるうちは平穏だが、バランスが崩れれば、人減らしを社会内で実行するしかないからだ。他所で受け入れられるだけの能力がある人材だけが流れ出るが、子供を中心に多くの人は命を絶たれることになる。農耕社会では奴隷は価値を生み出す根源だから、命を奪うのは得策ではないが、狩猟・採取社会では人は食糧を消費する根源なので、パイの余裕がなければ躊躇なく命を奪うことになる。俗に言う、間引きである。
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