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2013.6.24
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国家観では、アメリカ合衆国とは水と油…

バーナンキ発言から見ると、米国経済は復調路線に乗った模様。任期後のことなのに、量的金融緩和終了の時期を示したようで、お陰で株価に大きく影響した訳である。
米国経済に頼った成長モデルはとっくに終わったものの、未だに米国市場依存度は小さなものではないから、ヨカッタ、ヨカッタと一安心の方が多いだろう。まあ、それで一息つく間に、雑多な文化で政治的にも多様な東南アジア諸国と一緒になって経済成長を図るのが自然な流れ。
ただ、その場合、軍事覇権国である米国にこの辺りの軍事的安定を担保してもらう必要がある。それを、「今迄通り」というお気軽気分でいると、タダ乗り許さずということで、しっぺ返しがあるかも。かと言って、独自に動ける訳でもないから綱渡りである。しかも、中華思想一色に染まる独裁政権が海洋大国化への道を模索中とくるから厄介極まる。

もともと、日米同盟の概念は、両国で違いがありそう。にもかかわらず、曖昧のままにすることで、両者ともに上手く切り抜けてきた訳である。それが一番実践的だったからだ。しかし、これからは、そうは問屋が卸さずだ。そんなことは頭ではわかっていても、現実の行動にはなかなか反映されない。そのために、両国関係に齟齬をきたすことがないか心配になる。
そう感じたのは、小さなニュースを見て。
邦銀が経済制裁を行っている国に対し違法な送金をしたとして当局に和解金を支払って解決したというのだ。おそらく、邦銀だけではなかろうが、それならよかろうと軽視しない方がよいのでは。経済制裁とは、直接的な戦火を交えない戦争であり、儲かるなら敵国を利するような国とみなされたらたまったものではなかろう。
例外的事象と見なされるならよいが、ズルくて狡猾な民族であり、いつもこんな仕業をすると見なされないとも限るまい。

そんな素地があることに、十分注意する必要があろう。
と言うことで、前置きが長くなったが、今回は、そこら辺りについて。

誰でも知っていることだが、米国は「自由」を重視する。しかし、その精神風土を理解していないのではないかと思われる。
なにかと言うと、一神教の人達は、多神教の世界がわからないからなどと言う人が多いからでもある。要するに、一神教の合理主義が受け入れられる社会と違って、日本は古いアニミズムの精神を引き継ぐ社会であると自ら規定することで、両者の間には溝があるとするわけだが、コレ、屁理屈に聞こえる可能性が高い。・・・経典があり、「原則」がはっきりしている手の宗教を否定的に見ていると解釈されかねないからだ。無原則で、その場その場で恣意的に決める風土をこよなく愛す人達と見なされるということ。

従って、そんな人達の国家は信用しかねるとなりかねない。わざわざ誤解を招きそうな言い方は避けるべきだろう。なんの普遍的な価値観もない政治が好まれることになり、政府は、ただただ多数の利益になるように動くだけ。にもかかわらず、様々な屁理屈を並べて本心を隠すという、まさに「ズル」そのものと決め付けられる訳である。

米国は、清教徒が建国したこともあって、信仰の「自由」を保証する国だ。実際、宗教的に見ても、様々な宗派が存在しているし、移民の国である上、改宗も少なくないようで、変化も激しい。黒人教会、カソリック、原理主義が伸びてきたのは間違いない。おそらく、無宗教もかなりの数にのぼろう。しかし、無宗教者も含め、プロテスタントが持ち出した価値観を共有している点に注意を払うべきだろう。それは「自由」な社会を維持するということ。
換言すれば、この「自由」を犯そうとする勢力は「敵」と見なし、一丸となって殲滅まで戦い抜くということ。日本も「自由」が実現していると思ってしまうが、このような精神とは無縁では。つまり、両者の感覚には相当な隔たりがあるということ。
米国的感覚なら、自由の為に戦うに違いない無心論者は宗教的には異端者だが、明らかに仲間である。戦列に加われない絶対非戦論者も、本質的には価値観を共有している人達とみなされる。しかし、「自由」をないがしろにしかねない、無原則な人達に対しては用心することになる。少なくとも仲間ではない。ひょっとしたら、敵かも知れぬと考えながらつきあうしかないのだ。これは、多神教という話とは全く関係ない。

移民の国を、一つにまとめているのは、この「自由」であり、これを失ってしまえばバラバラになりかねないのだから、当然の話。あくまでも、United Statesなのである。
そして、その「自由」を担保することこそが、大統領と政府の仕事。プロテスタント流に考えるなら、神が正しいと思う政治制度を実現し、人をより自由にすることこそが、課せられた命題ということ。

日本の政治には、このような空気は皆無ではなかろうか。
ソリャ、国によって政治風土は千差万別ではあるが、同盟関係を結んでいる国と全く違うという状態は危うさを秘めているということ。間違ったイメージを与えてしまうと取り返しがつかない。
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