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■■■ 日本語の語彙を探る [2015.4.1] ■■■
蝸牛考々

柳田國男:「蝸牛考」(1930)の青空文庫化は、残念ながら後回し状態のようだ。
まあ、余り読み易い本ではないから致し方ないか。と言うのは、小生はそこに微かな怒りを感じたからでもある。つまり、批判したいのは山々なれど、抑制せねばということで、"切れ"が今一歩になっているような気がする訳だ。

と言っても、仮説検証本として読むなら、気にすることは無いが。
WikiのRecapには、京都を中心とした同心円状分布から、時間的にどのように広がったかの想定が以下のように示されている。
 【近畿地方】デデムシ・・・最も新しい
 【中部地方・中国地方など】マイマイ・・・新しい
 【関東・四国】カタツムリ・・・中間
 【東北地方・九州】ツブリ・・・古い
 【東北地方の北部・九州の西部】ナメクジ・・・最も古い


ちなみに、柳田流は7分類。
 1 デデムシ・デンデンムシ
 2 マイマイツブロ
 3 カタツムリ
 4 ツブラ・ツグラメ
 5 蛞蝓/ナメクジ
 6 蜷/ミナ
 7 New (e.g. ツノダシ)

小生が気になったのは、現状では4つの言い方があるとの指摘。
地域で別れる論旨とは直接的に繋がらない話である。言い方は複数あってもおかしくないという解説がついているから、説明の流れからそんな話に至ったと言えないこともないが、ちょっと引っかかる。
言葉としてはこんな具合。
 【東京型】マイマイツブロ
 【京都型】デンデンムシ
 【梁塵秘抄】カタツムリ
 【先生語】カギュウ

この表記に、小生は柳田の微かな怒りを見つけた訳である。こんな解釈は流石にWikiではできかねるだろう。ご参考までに、・・・。
東京型とは、要するに辞書屋さんや、文芸評論稼業の方々が愛好する言葉。
語源を「舞い舞い」に求めたい人達である。陸棲巻貝発祥と考える堅物民俗学者の説など唾棄すべきと考えかねないかも。もちろん、世の中の主流派。確認してはいないが、"大"辞典では舞々説を肯定しているのではないか。そんなニュアンスを感じさせる文章である。
もちろん、舞々説には、それなりの典拠はあることは皆さんご存知の筈。(2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で取り上げられ、吉松隆作曲・初音ミク歌を聞いた方も多かろう。)
 舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば
 馬の子や牛の子に 蹴ゑさせてむ 踏み破らせてむ
 実に美しく 舞うたらば 華の園まで 遊ばせむ
 [梁塵秘抄#408]
常識で考えれば、舞うのは蝸牛だけということはなかろう。虫が舞うのを愛ずる時代だったというに過ぎまい。しかし、蝸牛を文芸的センスの単語と見なしたい筈で、その気持ちはよくわかる。なにせ、狂言「蝸牛[カギュウ]」でも、山伏は「でんでんむし」で舞い、太郎冠者・主人と共に乱稚気踊りにて退場となるのだから。

一方、知識人は倭語の語源にさっぱり興味を覚えず、漢語読みしたがる訳だ。
 惠子聞之而見戴晉人(賢者)
 戴晉人曰、有所謂
者、君知之乎。
 
(惠王)曰、然。
 有國於蝸之左角者、曰觸氏。
 有國於蝸之右角者、曰蠻氏。
 時相與爭地而戰、伏尸
(死体)數萬、
 逐北(敗走)旬有五日而後反。
 君曰、噫其虚言與。
 曰、臣請爲君實之。
 君以意在四方上下有窮乎。
 君曰、無窮。
 曰、
知遊心於無窮、而反在通達之國、若存若亡乎。  [荘子 則陽]
こちらの立場に立てば、「舞々」など唾棄すべき概念である。梁塵秘抄の"踏み破らせてむ"こそが注目すべき言葉。無常観を生む訳である。あくまでもカギュウとしたい訳で、マイマイとかデンデンというのはせいぜいが童謡語との見方。

まあ、そんなこともあり、この柳田論を再構成したくなる。
一つは、柳田が無視している「蝸牛」という言葉。これは結構意味深である。「牛」であり、ウミウシとよく似ていることをそれとなく語っている言葉。島嶼の人々からすれば、親しみ易い文字である。
実際、沖縄では「チンナン"モー"」という言い方もある。何故に、そんな言葉があるかと言えば、ウミウシの牛ではなく、肉を意味するから。蝸牛は食に供されていたのだと見る。

以下、語源をお示ししよう。もちろん、柳田分類とは視点が違うが、本質的な違いを提起している訳ではない。都合8種類である。大きく分ければ、海貝名、お遊び、ナメクジ類縁の3系統ということになる。

【シタダミ系】
食用系命名の流れの大元は、海産の、平べったくて小さくて美しい巻貝、「シタダミ」。(ニシキウズガイ科 喜佐古/キサゴ)模様は様々だが、ほぼ蝸牛形状。種は違うらしいが、矢鱈平べったいものや(扁螺貝)、模様から石畳/イシダタミと呼ばれる類縁もある。
もちろん、蓋付で、茹でれば身は楊枝で簡単に取り出せる。美味ではないが(小生の感覚で)、酒の摘みに登場する、ごくありふれた類の貝。食べた後の貝殻はオハジキ用なのか、お土産で売られている。(蝸牛は殻が外皮兼用だから身を取り出すと内臓が壊れると思う。)
シタダミ系の蝸牛方言は、先島(石垣、小浜、西表、波照間、与那国)と八丈島。
尚、正確な名称は、「山シタダミ」だったと思われる。
陸棲化した貝と見ていることになる。ナメクジはその貝殻を失った生物となろう。おそらく、こちらは食さない。

【カサ系】
類似の命名方法で生まれたのが、笠貝系の呼び名。螺旋状にならず、傘あるいは楕円形の皿のような形状である。シタダミの存在を知りながら、別の貝の名称をつけるのは不自然である。従って、この場合の蝸牛は、ナメクジに貝がのっかた形の種を指すと見るべき。非食用である。
例えば、伊豆半島はカーサンマイだが、ここには特別な蝸牛が目だっていたということだろう。

【ニナ系】
ニナという用語は、「蜷」であり、巻貝を意味する。「シタダミ」に縁遠い人達が見た陸棲の小さな巻貝ということになる。蜷虫、山蜷といった言い方になる筈だ。
つまり、海蜷(海棲)〜川蜷(淡水棲)〜山蜷(陸棲)という見方がされている。小さいし多量に集めるのは面倒だから、食材として扱っていないと思うが、可食と見なされていたと思われる。
ナメクジとは縁遠いことになる。

【ツブ系-接頭語カタ附】
ツムリとか、ツブリというのは大型も含む巻貝の一般名称に近い。海産の磯ツブ(バイ貝等)〜淡水産の田ツブ(大型タニシ)となる。
3cm程度の大きさの蝸牛が結構多かった頃の名称だと思われる。
「蜷」に倣えば、山ツブと呼びたくなるが、山の環境ではどうしても小粒で山蜷止まり。蝸牛はジメジメした森では生きていけないからである。ありえそうなのは「藪ツブ」。しかし、大型化しそうな地域名は実は自明なのである。"潟"だ。つまり「潟ツブ」である。これがカタツムリの発祥。
しかし、潟ツブが生まれれば、山ツブも使われることになる。それは大型のナメクジを指すことになろう。ただ、貝殻が無いので、概念的には余りに曖昧。従って、山ヒルと呼ばれてもおかしくない。

おわかりだろうか。倭語は海人系文化を基底としているから、基本はあくまでも海棲の貝の名前。
ただ、これに遊びが加わると、名称は変化する。

【巻貝遊び言葉】
典型は「巻々」から来たマイマイである。注目を浴びるような蝸牛が登場したことを意味している。つまり、かなり大型がそこここで見かけるようになったということ。
一種の囃し言葉であり、「"マイマイ"つぶり」のように、言葉がダブるのが特徴。当然ながら、巻々を舞々に掛け合わせることになろう。

【お家遊び言葉】
典型は「家担」や「家引」。イエヒキツブリという表現だった可能性もあろう。もっとも、この言葉はかなり新しい。貴族用語の場合は「家」を使うとは思えないからだ。
そう言えばおわかりだろう。殿(デン)や大楼(デエロ)である。おそらく、仏教説話が盛んな頃に、出家すれども、家を引きずる姿に自分を重ね合わせたのだろう。狂言のデンデン騒ぎは、そんな時代精神が裏にあるのだと思う。こちらも、殿々と出々と掛け合わせて面白がった筈。

【角遊び言葉】
「ツノ出せ、ヤリ出せ」という無粋な童謡の歌詞が示すように、不思議な動きを示す角に興味津々だったということ。生活に余裕がでてくれば、そんな俗称も生まれる。「ツノ出し」とか、「ツノ牛(べこ)」と呼ぶ人も出てきておかしくない。一種の流行語である。

【ナメクジ系】
蛞蝓の話も入れたが、海人文化から遠ざかってしまうと、蝸牛は巻貝より蛞蝓に近い気分になってもおかしくない。
柳田流の判断では、沖縄方言の「ユダヤームシ(涎虫)」から見て、"舐める"という意味で、ナメクジ v.s. 裸ナメクジという用語になっているという。(大陸での通称は、水蜒蚰とか鼻涕。)悩ましいのは、裸がナメクジでなく、カタツムリであること。逆転しているのだ。クジあるいはクジラは不明としているが、清少納言的発想からみて"口"だろう。本草和名では奈女久知だし。
 いみじうきたなき物、なめくぢ。
 ゑせいたじ きのはゝきのすゑ。殿上のがうし。
  [枕草子#244]

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