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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.2] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[8]

蜘蛛をタイトルにしている作品は「蜘蛛の糸」が有名すぎる。他が霞んでしまうというより、滅多に無いのだろう。
ただ、江戸期1846年に書き上げられた、漫筆自叙と称す、風俗雑事随筆の表題に用いられている。
「蜘蛛の糸巻」

自筆本が国会図書館に所蔵されているが、余り注目されてはいないようだ。

著者は78歳、ペンネームは山東京山。察しがつくと思うが、山東京伝の弟で家を引き継いだのである。
[本名]岩瀬百樹 [通称]利一郎 [字]鉄梅 [号]鉄筆堂, 覧山, (剃髪後)涼仙 [戒名]修崔院自点居士

ほとんどの人が読んだことがなさそうだが、"天ぷら[麩羅]のはじまり"という一文の存在だけがよく知られている。語源は外国語ではないですゾと書きたい人達が多いからだろう。

江戸は大都会だったから交流が広かったようで、"文墨の名家"という箇所には、こんな名前が並んでいる。・・・
天明を盛に歴々たる名家は,
 儒に金峨、曲山(北鵬の二家は少しおくる)、詩は西野(市川小左衛門、米庵の父)、
 和歌は千蔭、
 書家は親和、東江、其寧、淳信、
 画家は朱紫石(唐画)
 浮世絵に北尾重政(書もよし、暦の筆耕をも併せてよし)勝川春章、
 狂歌師に 四方赤良(後に蜀山人)、朱羅漢江、元の木阿弥、大屋裏住、鹿津部真顔、宿屋飯盛、銭屋金持角力に谷風、小野川、
 遊女に花扇、滝川、
 俳優に団十郎(白猿)、中村仲蔵、
右いづれもおのれ十五六歳の時見聞の名家なり、
文墨乃人々は亡兄の友なりし故、余も又咫尺にて容貌猶目にあり…


何故に、そのような書を「蜘蛛の糸巻」としたかは"叙言"に記載されている。・・・
 草稿だになさで心に思い出づれば筆随ふ。
 されば年序の前後、自他の語格もいと覚つかなし。
 此叙言も亦然なり。
 こは例のはかなき双子いそがれて作るひまをぬすみつゝ、

 心鬧しき黄昏の軒に
 あみ作るふるまひなれば
 蜘蛛の糸巻と題しむ。


  花の雲 ちらすをしみ 春の夢
   志ばしとゞむる 蜘の糸巻

    弘化三年丙牛更衣の日

別序にはこんな歌
  ゆくりなく よその軒にも つたえしは
   なか/\はつる 蛛の糸巻

    百樹翁 

【自筆本 本文終貼紙】にも。
百樹老人が天明の事跡しるして、蛛の糸まきと名つけたる一巻をよみて、
    一亭
  花になり あたに成にし 人の世を
   くり返しくる くものいとまき


(参照) 日本随筆大成 第II期第7巻:山東京山:「蜘蛛の糸巻」吉川弘文館

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