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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.4] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[10]

時代を代表する漢詩人の作品を引用しよう。・・・
「和漢朗詠集上巻《春興》二三
 林中花錦時開落
 天外遊糸或有無

   上寺聖聚楽 田達音 (菅原道真の師 島田忠臣[828-892年])
  花咲き乱れる林の中は錦を織ったよう。
  開花する一方で、散っていく花も。
  天空には糸が舞い遊んでいる。
  有るようにも見えるし、無いようにも。


心がうらうらと落ち着かない様の描写なのであろう。"遊糸"は訓読みで"かげろう"。
"かげろう"と言えば、一般的には"陽炎"か、"蜉蝣/蜻蛉"だ。従って、この漢詩では前者のこととされている。
 【陽炎】大気中の光学的現象
 【蜉蝣/蜻蛉】昆虫のトンボ
 【遊糸】蜘蛛の子が出糸し風に乗って飛んでいく様


"陽炎"は、春先の暖かくなった頃に出現するから、季節感を詠んでいると考えれば至極妥当な解釈ということになるのだろう。
しかし、"陽炎"現象が発生する原因は、空気が急激に熱せられて上昇気流が発生するため。普通、それに気付くのは、人家の屋根瓦がある場所か、広い砂地。林のなかで見つけることはまずなかろう。そうなると、全く無関係の情景が2つ並んでいることになりかねず、極めて不自然である。
従って、実際に子蜘蛛の飛航シーンを詠んでいると解釈した方がよさそうに思うが。

ただ、その場合、蜘蛛が孵化して卵嚢内で脱皮してから出てくる時期に問題が生じる。一番ありそうな季節は秋とされがちだから。
それは、"雪迎え@置賜(南陽+長井+米沢)"という言葉があるから。盆地なので稲刈跡が急激に温まるからだと思われる。
しかし、その一方で、"雪送り"という言い方があるように、初春の場合も少なくない。上昇気流発生確率から言えば初春の方が高そうだし、子蜘蛛移動後の餌獲得を考えれば圧倒的に有利な時期でもあるから、本来的にはこちらの方が多いと考えるべきだろう。
そもそも、"遊糸"は大陸からの渡来語。
「賦得鶴送史司馬赴崔相公幕」 李白
 崢エ丞相府,清切鳳凰池。
 羨爾瑤臺鶴,高棲瓊樹枝。
 歸飛晴日好,吟弄惠風吹。
 正有乘軒樂,初當學舞時。
 珍禽在羅網,微命若
游絲
 願托周周羽,相銜漢水


「八詠詩 會圃臨春風」 南朝 梁 沉約
 臨春風。
 春風起春樹。
 
遊絲曖如網。
 落花雰似霧。
 先泛天淵池。
 還過細柳枝。
 蝶逢飛搖揚。
 燕羽參池。
 揚桂旆。
 動芝蓋。
 開燕裾。
 吹趙帶。
 趙帶飛參差。
 燕裾合且離。
 回簪復轉黛。
 顧歩惜容儀。
 容儀已照灼。
 春風復回薄。
 氛桃李花。
 青含素萼。
 既為風所開。
 復為風所落。
 搖堺。
 抗紫莖。
 舞春雪。
 雜流鶯。
 曲房開兮金鋪響。
 金鋪響兮妾思驚。
 梧臺未陰。
 淇川始碧。
 迎行雨於高唐。
 送歸鴻於碣石。
 經洞房。
 響素。
 感幽閨。
 思幃
 想芳園兮可以遊。
 念蘭翹兮漸堪摘。
 拂明鏡之冬塵。
 解羅衣之秋襞。
 既鏗鏘以動佩。
 又而流射。
 始搖蕩以入閨。
 終徘徊而縁隙。
 鳴珠簾於戸。
 散芳塵於綺席。
 是時悵思婦。
 安能久行役。
 佳人不在茲。
 春風為誰惜。


先ずは、蜘蛛飛航の言葉と解釈した筈。

ただ、季節感を大事にする日本の風土だと、晩秋と初春両方に発生する現象ではこまる。そこで初春とした訳で、上昇気流発生現象という点では"陽炎"と全く同じなので異語として扱うに至ったと考えるのが自然だ。
つまり、初春の季語として、どうしても使いたくなるほど、"遊糸"には情緒感が溢れていたということ。
言うまでもないが、糸で上昇気流に乗って凧のように飛航するのは、子蜘蛛だけであり、そこには暖かい視線があったに違いない。

ところが、その一方で"蜘蛛の子"は逃げるだけの生き物というイメージが形作られているから不思議だ。
多くの子が卵嚢を破り出で、四方八方に散らばって行く様子を、新天地への挑戦のシーンとはみなさず、大勢の者がただただ四方八方に逃げまどう状況を指す比喩的表現と化したのである。

こちらは、"遊糸"とは違って俗語だと思われるが、初出は歴史書のようだ。都の戦乱で、蜘蛛の巣だらけの廃墟が増えてしまい、"遊糸"を楽しむ余裕などなくなって、兵が来たら命からがら逃げ惑う時代に入ったのであろう。・・・
 慈円:「愚管抄」第六巻[後鳥羽〜順徳期]@1220年。
(源実朝が鶴岡八幡宮で公暁に暗殺されたシーンの描写。
 不用心な非常識さを指摘している。)

…下がさねの尻の上にのぼりて。
 かしらを一ノ刀には切て たふれければ。
 頸を うちをとして 取てけり。
 :
 大方用心せず さ云ばかりなし。
 皆 蛛の子を散らすが如くに。
 公卿も何も逃げにげり。
 かしこく光盛は これへはこで
 鳥居にまうけて有ければ。わが毛車ニに乗て帰りにけり。…


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