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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.6] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[12]

欧州では、小アジアを通して渡来した絹織物の素晴らしさと、美しい細糸を紡ぐ生物としての蜘蛛のイメージが重なっている訳だが、蚕が古くから存在していた日本ではその手の感覚が余りに薄そうな気がする。

しかし、どうもそういうことではなさそうである。

藤原道綱母:「蜻蛉日記」@975年
 《巻末歌集》
 七月七日
 たなばたに けさひくいとの つゆをおもみ
  たわむけしきを みでややみなん

  [大納言道綱]

ママで内容を書けばこうなるだろう。・・・
  七夕祭のために
  今朝 引き渡した祈願糸が
  露を付けた重みで
  たわんでいる状態ですが
  (あなたも同じご様子でしょうか)
  それを見ず仕舞になってしまうのでしょうか。

その意味はこうも読み取れるのでは。・・・
 七夕の今朝、外を眺めてみると、
 なんと蜘蛛の糸が露の重さでたわんでいるではないか。
 このままでは、
 その重さに耐えかねて、糸が切れてしまいかねまい。
 そんな情景は見ないでおくことにしよう。

七月七日の朝、起きたら蜘蛛の網を眺める習慣があったのは明らか。
おそらく綺麗な蜘蛛の網が出来上がっているなら、それは願いがかなう証拠とされていたのだろう。
この歌の場合、網はたわんではいるものの、立派にできあがっていてよかったよかったということになる。でも、この状態では糸が切れるのは時間の問題のような気もする。とても見てはおれぬというのだろう。

七夕と言えば、今は、笹の葉に短冊と相場が決まっているが、この時代は全く違っていたことがわかる。

と言うか、実は、正倉院に、乞巧奠の宮中儀式用品一式が所蔵されているのだ。"女性が裁縫の上達を願い、この針に(五色の)色糸を通したとされる"品々である。
 銀針2本
 銅針1本
 鉄針2本
 緑麻紙針裏
 赤色縷
 白色縷
 黄色縷

  [第67回正倉院展出展]  →"銅針 第2号"(C)宮内庁

七夕は、織女としての素晴らしい能力を得るための祈願の日だったのである。
そして、それに伴って、蜘蛛で縁起占いを行っていたのであろう。
朝、美しい蜘蛛の網が出来上がっているの見つけると、この日の儀式を浮き浮きとして愉しく過ごせた訳だ。

と言うか、式典は星空を見てのことだから、蜘蛛の糸占いは本来的には夜の庭で行うべきものだと思うが。
「乞巧奠」 寂蓮法師[1139-1202年]@六百番歌合 秋部#324[1194年]
 七夕の 逢ふ夜の庭に 置く琴の
  辺りに響くは 細蟹の糸

七夕(棚機)の夜にはお庭で琴の演奏と決まっていたようで、弾くと蜘蛛が糸を引くのだろう。当然ながら、それは技芸上達を約束してくれる吉兆現象ということだが、それは逢引の糸でもあったろう。尚、七夕であるから、細蟹は笹蟹と書くべき。

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