[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.8] ■■■ 蜘蛛をこよなく愛した人々[14] "細蟹/笹蟹"と"遊糸"が和歌で用いられている様子は眺めたが、前者を使いながらも、直接的な表現である蜘蛛という言葉に拘っていたりもするようだ。 そんな作品を補遺的に取り上げておこう。 一夫多妻で通い婚だった時代の、超上流階級の夫婦生活体験談と言うか、恋心という意味での心の機微を描いている、藤原道綱母:「蜻蛉日記」@975年前後である。 息子("大夫"と記載)の恋について記載した部分に蜘蛛を出汁にした男女の和歌のやりとりが掲載されているのだ。[下巻] 浮気性である夫の藤原兼家にはさんざ掻き回され、翻弄されつくしたかのような日々を送ってきたので、はてさて息子の首尾は如何といったところ。・・・ 大夫、例の所に文やる。 先々の返りごとども、みづからのとは見えざりければ、恨みなどして、 夕されの 閨のつまづま ながむれば 手づからのみぞ 蜘蛛もかきける とあるを、いかゞ思ひけむ、 白い紙にものの先にして書きたり。 蜘蛛のかく 糸ぞあやしき 風吹けば 空に乱るゝ ものと知る知る たちかへり、 つゆにても 命賭けたる 蜘蛛の網[い]に 荒き風をば 誰か防がむ。 「暗し」とて、返りごとなし。 又の日、昨日の白紙思ひ出てにやあらむ、かく言ふめり。 但馬のや 鵠[くゝひ]の跡を 今日みれば 雪の白浜 白くては見し とてやりたるを、「物へなむ」とて返りごとなし。 もちろん、この先、この手のやり取りが続いて行く。 上記は内容的にはこんなところか。・・・ 大夫(息子)が (件の)大和の女性のところに手紙を送りました。 今迄の返書が、その女性の自筆には見えなかったので、 それを恨んだりして、歌を詠んだのです。 夕方になって、寝所の隅々を眺めながら 将来の妻となるべきあなたとのことを考えています。 蜘蛛も自分から巣を架けているというのに ご自分で手紙を書いてくれないのですね。 そんな風に書いたのですが、どう思っているのでしょうか。 すると、白い紙にモノの先っぽを使って書いてよこしました。 蜘蛛は不思議なことに糸を張るのです。 風が吹けば散らされてしまうというのに。 それを私はよくよく知っているのです。 (私の手紙を撒き散らすような あなた様の行状をよく知っておりますから、 とてもお返事を書く気になれませぬ。) と言うことで、折り返しの歌を詠んだのです。 蜘蛛は命賭けで巣を造ります。 そんな強風を防いでくれる人がどこにいるでしょう。 (私が、あなたからの手紙を散らすことなどあり得ません。 大事にしたいのです。) しかし、「暗くなってしまいましたので」と伝えてきただけ。 返事はくれませんでした。 次の日のことです。 昨日の手紙が白紙だったのを思い出し、歌を送りました。 雪が降った但馬の白浜に鵠が舞い降りると 足跡はつきますが、 それと同じような、一面真っ白な手紙では読めません。 (なんとしても、あなた自筆のお手紙を拝見したいのです。) そんな文を送ったのですが 「所用で外出」とのことで、返書は無かったのです。 通い婚と、女系的子育ての時代は、蜘蛛は恋路を占う極めて近しい生き物だった訳だ。それは古事記に記載されているような、恋する帝の来訪を待つ女性心を慰める糧でもあったろう。結婚にまで行き着くか、はたまた結婚生活が上手く続くかという不安な気分のなかでの一寸した占いは、日々の当たり前の行動でもあったろう。 そんな習慣は、男系家庭生活となり、通い婚になればもろくも消え去ってしまう。蜘蛛占いをする女性は、男系を壊しかねないということで、敵視される時代へと大転換が図られたたのであろう。 ここに至り、蜘蛛は、男をたぶらかし、家を崩壊させる魔物的女性の象徴とされるようになったのだと思われる。女性は、蜘蛛嫌いであることを公言せざるを得ない状況に追い込まれたと見てよかろう。 尚、「蜻蛉日記」で有名な歌は、藤原道綱母20才頃の作品か。夫の兼家=細蟹が通わなくなったようですので、ご同情申し上げますということ。 【上巻より】 子供あまたありと聞く所にもむげに絶えぬと聞く。あはれ、ましていかばかりと思ひて、とぶらふ。九月ばかりのことなりけり。「あはれ」など、しげく書きて 吹く風に つけてもとはむ 細蟹の 通ひし道は 空に絶ゆとも [「新古今和歌集」所収] 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |