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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.9] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[15]

藤原氏の栄華を、後宮の視点で仮名文によって描いた、約200年間の編年体歴史物語がある。
作者不詳:「栄花物語」だ。

御堂関白道長62歳の臨終場面の巻までが、もともとの編纂部分と見られている。その末巻[巻第三十 鶴の林]は釈尊入滅の葬儀に模された作品に仕上がっている。(釈尊入滅時に白化した沙羅双樹の林という意味のタイトル.)・・・
 何ごともあはれに悲しかりつるに、
 忠命
[986-1064年]内供といふ人こそ鳥辺野にておぼえけれ。
 後にも聞こえたりし、

  煙絶え 雪降りしける 鳥辺野は
   鶴の林の 心地こそすれ>

 となんありける。
 かの沙羅林のほどを詠みたるなるべし。
 長谷の入道殿は聞き給ひて、
 「薪尽きと云はまほしき」とぞ宣ひける。

  [「後拾遺集」巻十哀傷所収#544:"薪尽き〜"]

追加の編纂は31〜40巻だが、35巻には、同じように臨終の場面が描かれているが、そのタイトルに蜘蛛が登場する。「巻第三十五 蛛のふるまひ」

道長の子であるため早くから朝政の第一人者として権勢を誇った藤原頼通は83歳と長寿を全うした。しかし、その庶長子(正室に男系無し。)藤原通房は1044年4月に突然の病で20歳の若さで死去。父は関白であり、すでに右大将権大納言という破格の地位にあった。・・・
 世の中いと騒がしう心のどかならぬに、
 関白殿
[頼通]春より久しう悩み渡らせ給ふに、
 四月になりては少しよろしうならせ給ふに、
 大将殿
[通房]世の中の心地煩わづらはせ給ひけり。
 七日と言ふに失せさせ給ひぬ。
 浅ましなども世の常なる事をこそ。
 今年ぞ二十にならせ給ひける。


そして、御葬送の場面になると、細蟹の歌が登場してくる。恋路の話での仮想ではなく、部屋のなかに網を架けている実在の蜘蛛をとりあげている。
もう亡くなってしまって来てはくれぬのに、何故に蜘蛛はあのお方のところに網を張ったりするのかと、悲しみがつのる訳である。
 (藤原通房大将殿の)御葬送の夜、
 物思えず惑ひ合ひたる心にも、賢しらに、
 上
[臣籍降下 源師房(その後右大臣)の娘…通房の室]
  空蝉の からを頼むに あらねども
    またこはいかに 別れはつらん

 と、いみじう思し惑はる。
 そのおはしましける御帳の内に
蜘蛛の巣を掻きたりければ、
  別れにし 人は来べくも あらなくに
   いかに振舞ふ
細蟹ぞこは  [「後拾遺」所収]
 御返し、宰相の君、
  君くべき ふるまひならぬ 細蟹
   掻きのみたゆる 心地こそすれ

来訪を予告してくれる訳でもない、単なる蜘蛛の巣造りを見てしまうと、音沙汰がなくなってしまったことが実感として襲ってきたのであろう。恋する人を失った悲しみを共有した訳である。

・・・貴族が恐れている末法元年(1052年)に近付きつつあり、社会は堕落・衰滅していくとの不安が満ち満ちていた頃のこと。「細蟹挽歌」とはいえまいか。武士の時代が見えてきて、ついには恋路における蜘蛛の役割も終わるのである。

換言すれば、公家の通い婚の象徴たる蜘蛛イメージが遠景に押しやられ、大量殺戮者としての蜘蛛の力への信奉の流れが強まったということ。
想像にすぎぬが、宮中だけで修される鎮護国家の「大元帥御修法」のご本尊たる大元帥明王の存在がある意味結節点と言えるかも。正式な像は秋篠寺収蔵の一面六臂ニ足型だが、このお寺が関係する理由は、このお寺の香水井の水が呪術に不可欠だから。

弱者を襲って喰らいつく大量殺戮者たる林野棲息鬼神が、釈迦の説法により仏教に帰依し守護神に変じた。
中国[梁]に渡来すると、尊格としての地位が確立し、護国除難の役割が与えられるようになったようだ。もちろん修法が加わる。
宮中には、空海の弟子 常暁が青龍寺から840年に持ち込んだとのこと。一般信仰の対象としては許されておらず、東寺でのみ「後七日御修法」として行われているそうだ。

6本の手で矢、戟、刀等の武具を持ち、2本の足ですっくと立つ姿は、8脚の蜘蛛を彷彿させる。
孔雀、コブラ、大蛇的な姿の明王が存在するのだ。こちらは毒大蜘蛛では。
日本に入り、成敗した土豪達の怨念が籠る土蜘蛛の霊と習合した可能性も。天神様同様に、抜群の威力を誇るとされた筈だ。

「平家物語」[横田河原合戦]には、安祥寺実玄阿闍梨が大元帥法で平氏調伏を注進したと記載されている。公家v.s.武家の対立は根深いものがあり、公家文化としての蜘蛛概念もその流れに翻弄されたのである。

(参照) 新編日本古典文学全集(33)「栄花物語(3)」小学館 1998年
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