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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.10] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[16]

蜘蛛合戦が年中行事として執り行われている地は限定的だが、黒潮沿岸の漁村ではどこでもあった遊びだったとも。ただ、低緯度の西日本が盛んだったようである。

外見は誰が見ても遊びであるが、その発祥は天候や漁獲・漁場占いと見る人も少ないないそうだ。と言うのは、蜘蛛が漁業の神でもあったらしいから。[日高旺:「黒潮の文化誌」南方新社 2005年]

実際、地域によっては「大漁蜘蛛」信仰があるらしく、沖縄では阿麻和利が屋良村の蜘蛛の巣から漁網網を思いついたという勝連城の伝承があるという。
["阿麻和利と漁網"・・・徳元英隆:「沖縄の由来ばなし その1」]沖縄文化社 2014年]

実は、小生、この話は地方権力を握った由縁話に、中国古代書の話を取り入れただけだろうと見た。沖縄は中国文化が色濃いからである。・・・
 “太昊(伏羲)師蜘蛛而結網[葛洪:「抱朴子」内篇卷三對俗]
 "古者庖犧氏之王天下也,
   做結繩而為網罟,亦佃亦漁。
"[「易」繋辭傳下]

しかし、パプア・ニューギニア棲息の蜘蛛に、巨大な網を架けてそれを漁網用に使う種があることを知って、考えを改めた。
もちろん、実際の蜘蛛の活動がヒントとなって、魚網を思いついたと信じている訳ではないが、いかにも海人らしさを示す話だからだ。

ヒトなど、たいした能力がある訳ではないというのが海人の基本スタンスである。日々、自然脅威と向き合って漁猟に励む訳で、危険と隣り合わせの生活であり、大陸とは考え方が相当違う。

蜘蛛の知恵の凄さを賞賛する体質は海人ならではかも知れない。家の建築なら蜂の巣の緻密な設計施行能力にはとてもかなわないという風なモノの見方をしている筈。
虫も自分達も、同列の存在。お互い大切にしてい生きて行こうとの姿勢。

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