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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.12] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[18]

東大寺と言えば大仏だが、それは「華厳経」の毘盧遮那仏。
ただ、一番大切にされている仏像はどう見ても三月堂の不空羂索観音菩薩Amogha-p āśa

1面3目8臂で剣先形光背は装飾的であり、周縁部には唐草模様がつけられている。コブラ頭型板ではない。
狩猟用捕縛縄を持ち肩に鹿皮を付けているのが特徴の仏様だが、この像だけは全体のフォルムが独特である上に、宝石類がふんだんに使われている。それもあって、一種独特な雰囲気を醸し出している。そう見ない人もいそうではあるが。
[王靜芬:「不空羂索觀音新探」敦煌吐魯番研究 15, 2015]

そんなこともあって、小生は、なんとなくだが、この像は蜘蛛神にしつらえてあるような気がする。
そう思ってしまうのは、華厳経に蜘蛛網が登場するから。しかもそれは、どう見ても宇宙観を示すために記載されているのだ。

奈良の都での大仏開眼の頃は、「華厳経」一色と言っても過言ではなさそう。仏教による鎮護国家化を目指した熱気で溢れていた筈。従って、蜘蛛の網的世界観が語られなかった筈はなかろう。仏像表現に影響があってもおかしくないと思うのだが。

と言っても、蜘蛛網と不空羂索観音は全く無関係。関係するのは、脇に控える帝釈天の方。ありていに言えば天帝。

唐代の書「酉陽雑俎」を眺めたお蔭で、無知から脱し、ようやくその辺りがわかってきた。と言っても、ほんの僅かでしかないが。・・・
「華厳経」時代の宇宙観の根幹と言うか、世界の中心とは須弥山世界と考えてよいだろう。
その頂上には帝釈天[因陀羅/インドラ]の宮殿が聳えている。これだけではわかりにくいが、要するに正方形でギンギンギラギラの都城があり、その外には輝く林と遊浴池が造成されている構造。
その庭は平地であり、池は宝石入煉瓦造りの階段付で四角形。日本の庭園感覚とは180度異なり心地よい設計とは言い難い。そもそも、大和の都には城壁はなく堤程度の境界だった訳で、えらく違和感を覚える宮殿だったのは間違いなかろう。そこらを、当時の人々はどう考えたのだろうか。
[外村中:「帝繹天の善見城とその園林」日本庭園学会誌20, 2009]

それはともかく、華厳経によれば、周囲に宝網が張り巡らされているのである。
【二者因陀羅網境界門(此約譬説)】
如梵網經。即取梵宮羅網為喩。今言因陀羅網者。即以帝釋殿網為喩。帝釋殿網為喩者。須先識此帝網之相。以何為相。猶如衆鏡相照衆鏡之。影見一鏡中。如是影中復現衆影。一一影中復現衆影。即重重現影成其。無盡復無盡也。 [華嚴一乘十玄門]

その様子は、こんな風に解釈されている。・・・
「ごらん、そら、インドラの網を。」
私は空を見ました。
いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互たがいに交錯し光って顫えて燃えました。

[宮澤賢治:「インドラの網」@青空文庫]

要するに、網の結び目に宝石を縫い込んであり、それぞれの宝石は他の石を映すというように出来ているのだ。それこそが宇宙観なのである。
[釋天藍:「透過因陀羅網與互聯網看華藏世界的一體性 」華嚴專宗學院研究所第二十二届畢業生畢業論文 2017年]

つまり、日本にも、蜘蛛の網的世界観が人々の心をとらえていた時期があったのである。

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