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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.14] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[20]

蜘蛛の妖怪民話は少なくないが、ヒトを喰うというような"恐ろしさ"を秘めていることが多いので、そこらが蜘蛛嫌いの発祥元のように思ってしまう。
しかし、それほど単純ではなかろう。

その辺りに気付いたのは、食生態学者の西丸震哉[1923-2012年]の本を読んだから。
間違えてもらってはこまるが、民話とか蜘蛛嫌い体質発祥についてのコメントを読んだ訳ではない。

沢山の本を著した方だが、そのなかの「山の動物誌」実業之日本社 1983年(文庫本化)という本を読んだからである。
題名でご想像がつくように、動植物と地形的自然についての解説本。よくは覚えていないが、生物分類名付で、いかにも山歩き用ガイドブック的風情を醸し出していた。ただ、それは小生の印象であり、作りは一般エッセイ。

実は、この目次が大変面白い。

動物の大分類がふるっているのである。・・・
ママではないが、山岳野獣、山鳥、蛙&蛇、渓流の魚、山の昆虫。
ここまではわかるが、最後におまけ。

突然、「気持の悪い生き物」とくるからビックリ。
普通は、コリャなんなんだ、となろう。

おそらく、西丸震哉本をお読みの方なら、誰でもそう思うだろう。センセーにそんな生物がいるのか?、と。
なにせ、"土人"にもらった珍奇な食べ物は大切に味わって喜ぶべしとくどいほど指摘してきた人なのだから。(ことわればその暖かい歓迎の心を傷つけることになる。その結果、下手をするとどちらかが命を失うこともママ有りうる、とおっしゃる。)
ところが、それはたいした生物ではない。蜘蛛、沢蟹、微塵子、等々。
お得意の冗談半分の可能性もあるが、マ、それぞれ嫌う生物は違うのだゾというご意見を吐いておられるのだろう。

ただ、このように並べると、山歩きが好きな人だとその気分がわかる気がしてくる。嫌いな本当の理由を言わないだけで。
小生も蜘蛛の網は不快。家蜘蛛なら実害無しなら、我慢もできようが、藪漕ぎ的になるとそうもいかない。通行人が少ない径では、網の数は半端ではなく、身体にまとわりついてくるからだ。しかも、目に入れてはいけないそうだから厄介極まる。
それを考えると、古代における熊野詣はさぞかし大変だったろうと思う。長い道のり、先鋒隊長に任命でもされたら、以後、蜘蛛を敵視するに違いない。蜘蛛野郎、いつか仕返ししてやるゾとなっておかしくない。

沢蟹はすぐ隠れる生物だからどうということはないと言えなくもないが、時には、どうした訳か靴で踏んだりすることになる。コレ、滑るので危険この上ない。転倒して岩に頭でもぶつけたら、還ってこれなくなりかねないからだ。しかも山行では食用にはならないとくる。ジストマを殺すため、長時間加熱が必要だからだ。

微塵子は坂田明さんが聞いたら怒りそう。しかし、山では気味悪いのは確か。顕微鏡で覗く訳ではないからだ。
西丸震哉本では、溜まり水に棲んでいる的な話だが、小生の経験では、八ヶ岳の細い渓流の"清水"をコップにとったらウヨウヨ。専門家に飲めるゾと言われたところで、こればかりは気持ち悪しダ。そうとは知らずに飲まされた御仁の話が収載されている。

こんなことを書いているのは、小生は、蜘蛛の妖怪話にはこのような「嫌悪感」からの創作が多いと睨んでいるから。

古代の山道歩きは、蜘蛛の巣を払っていくようなものであり、嫌われて当然である。伊勢物語の主人公のように、24時間恋にあこがれ、表街道をお伴を連れて歩いていくご身分だとわからないだろうが。
生活のため一人で命を賭けて旅行する人達にとっては、蜘蛛の網は難儀なことこの上なしだった筈。

従って、蜘蛛の妖怪話は、ある程度交通の便がよくなって、そんな体験を持つ人が増えて始まった可能性が高い。

妖怪話に関係する人々がすべて旅人的だから、そう考えるしかなかろう。
一番接触が多そうなのが、小間物行商人や旅職人で、次が旅芸人か。そして座頭のような人物も。
要するに、けしからん"糸"ということで、三味線や琵琶を弾く人間に化けた蜘蛛が登場する訳である。
様々な旅人が各地で、積極的にそんな馬鹿話をしたお蔭で、様々な変種が生まれているにすぎまい。

皆、アハハと聞いていたのだろうが、ヨクモワルクモ、滞在した旅人の影響力が大きかった地では、そんな話がまことしやかに語られ続けることになる。恐ろしき話と言うよりは、蜘蛛君大暴れの図といったところだろう。
それが、次第に、ストーリーが一人歩きするようになっただけと見る。
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