[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.15] ■■■ 蜘蛛をこよなく愛した人々[21] 民話に、拾い物分配動物譚というジャンルがあるそうだ。 分配をめぐって、動物が揉めるのだが、結局、知恵者が結論を出すというだけのたわいもないストーリー。 世界的にそのような話はあるそうだが、日本で登場するのは、兎、猿、狐、狸、貉[ムジナ]、獺[カワウソ]といった面々。 たいていは分配した時点では、一同納得だが、結局、貰った価値無しどころか、酷い目にあう。そこで采配者に抗議することになるが、そこは巧者。 同じような目にあっていると言い包め納得させるという筋。 どう見ても、社会の仕組みが末端まで整ってきてから生まれた話であり、発祥が古そうに見えるように作出したのだと思う。目的はよくわからないが。 ともあれ単純極まりない話で、鳥獣戯画的伝統を踏まえた民話と言えなくもないが、思想臭を感じさせる仕上がり。 ところが、同様な動物譚ではあるものの、登場するのが虫の場合も。 「拾う」という行動パターンからすればこちらの方が自然かも。 ただ、知恵発揮動物に仕立てるには少々無理がありそう。 そんな話に登場するのは、決まって蜂、蟻、蜘蛛。 蜘蛛は単独生活種だが、他は社会的生活を営んでおり、拾得物をどうするかという話にピッタリなのであろう。 内容的には、ほとんど駄洒落。そのシーンも参詣の途中とパターンが決まっているから、おそらくお伊勢さん詣り流行の頃に語られたのだと思う。 おカネを拾って、 蜂は八文 蜘蛛は九文 残りは、有り限で蟻。 この読み替えバージョンは、余り知れれてはいないが、 鷺は三文 鳩は八文 残りは、根こそぎで猫。 蜘蛛・蜂・蟻は田原本町@奈良磯城郡に伝わるお伽噺だそうだが、他地域でも語られているようだ。 ついでながら、これには、蟻へのリベンジらしき続編がある。 鰊を拾って、 二四は八。 飴玉を拾って、 蜘蛛は雨の魁。 イヤイヤ、本当は漁村を歩いていたので、蟻の一人勝ちだったとの話もある。 鯛を拾って、 有り難いで蟻。 この手の駄洒落なら、いくらでもできそうなものだが、この話だけ人気が高かったから残っているにすぎまい。蜂・蟻・蜘蛛それぞれが滑稽な役どころを演じており、いかにも人間的な感じがする。そこが話ていて愉しいのであろう。 従って、蜘蛛に対して、嫌悪感とか、恐ろしい妖怪との畏怖感があるとはとうてい思えまい。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |