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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.18] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[24]

"蜘蛛の恩返し"[報恩譚]、あるいは"蜘蛛女房"[異類婚譚]と呼ばれる旅(桶)職人が広げた作り話をとり上げたが、同じ分類にせざるを得ない話についても見ておこう。両者にはなんの繋がりもない。

こちらはシリアスな古い事象が発祥。と言っても、土着ストーリーはではなさそうで、比較的新しいものである可能性も。

広く知られている訳ではないが、「日本昔話」としてTVで紹介されたのでご存知の方もいらっしゃるだろう。

と言うことで、先ずは、柳田國男[「日本の伝説」機織り御前@青空文庫]の文章を引用させて頂こう。("機織り御前"という分類名は本質が分かり易い。)・・・
 野州の那須では那須絹の元祖として、
 綾織池
(@大田原北滝御亭山)のかたわらに綾織神社を祭っております。
 大昔、館野の長者という人が娘の綾姫の為に、
 綾織大明神を迎えに来たというのが、今の歴史…
 もとは有名な大池…
 池の主が美しい女に化けて、都に上ってある人の妻となり、
 綾を織って追い追いに家富み、後には立派な長者になった。
 ある時この女房が昼寝をしているのを、
 夫が来て見ると大きなる蜘蛛であった。
 それを騒いだので一首の歌を残して、
 蜘蛛の女房は逃げて帰った。
 そうしてこんな歌を残して行ったというのであります。

  恋しくば たづねて来れ 下野の
   那須のことや
(御亭)の 綾織りのいけ(池)
   【下野風土記@栃木県那須郡黒羽町北滝字御手谷】

地元の伝承話はこれとは少々違っていて、焙烙売りの男が都方面に出向いた時、琵琶湖で溺れていた蜘蛛を助けたのが発端とされている。琵琶湖と下野の池が繋がっているかのように読め、重要な記述だが、残念ながら柳田國男はそこらは収録できなかったようだ。
(さらに、現代化バージョンだと、最後の場面がラマチックに仕立て上げられる。男は妻が恋しくて居ても立っても状態に。結果、妻が去った池の辺で、声をからして叫び続けることに。ついには再会を果たし、自分の仕打ちを大いに詫び、愛し続けていることを涙ながらに切々と訴える。もちろん、それが最後のご対面。)

要するに、この民話は、誰でもが知る、"鶴の恩返し"パターンに当てはまるのである。そのストーリーはこんなところ。・・・
 貧しい男が鶴を救う。
 鶴は美しい娘に化身し男を来訪し妻となる。
 機織り作業場を覗かない約束で素晴らしい織物を作る。
 そのお蔭で、男は貧乏から脱することに。
 ところが、男は約束を破り、妻の正体を見破る。
 鶴は逃げ去る。
 男は後悔するがどうにもならない。

勿論、バリエーションはある。
危難のタイプは"矢負い"が多いが、罠にかかっていたり。
正体を見破る必要を感じた理由についても様々である。
逃げ去ってからの記述内容も色々。

これを踏まえて、綾織蜘蛛民話に戻ると、どう考えても、伝えたいことは特産品の那須絹発祥の由縁。
琵琶湖地域から機織り技術が到来したというメッセージが原点。以後、様々に脚色され現代に至ったと考えるのが自然だろう。
従って、蜘蛛とは、(下野では認識されていなかった可能性もあるが、)機織り神そのものと言ってよかろう。本質的には神婚なのである。

常識的には、機織り技術を得るためには、それなりの貢物とか兵力提供を含む労働力提供が必要となる。
ここで言う"恩返し"[報恩]とは、現代感覚では"対価"が支払われた提供サービスということになろう。(未だに、知的財産はモノではないから、"恩返し"とか"ご好意"で頂戴すべきと考えるお方もおられる。)

・・・分析的には間違いなく報恩譚だが、それがこの民話の本質とは言えないのではなかろうか。

ついでながら、"鶴の恩返し"にしても、小生は、鶴の織物の発祥いわれ談である可能性は高いと思う。そうだとすれば、報恩で女房になったとのイメージを与えるのは避けたいところ。明らかに神婚だからだ。

そもそも、鶴の織物とは特別な品「鶴氅裒(衣)[羽根を織り込んだ最高級織物]である。・・・
 孟昶 未達時,家在京口。
 嘗見王恭乘高輿,被
裘。
  [劉義慶[403-444年]:「世説新語」企曽

 門旗開處,推出一輛四輪車。
  車中端坐一人,頭戴綸巾,身披
,手執羽扇,
 用扇招道榮曰:
 「吾乃南陽諸葛孔明也。曹操引百萬之衆,…

  [羅貫中:「三國演義」第五十二回 諸葛亮智辭魯肅 趙子龍計取桂陽 @14世紀]

  「八月九日晩賦」 陸游[1125-1210年]
  薄晩悠然下草堂,総巾弄秋光。
  風經樹杪聲初緊,月入門扉影正方。
  一世不知誰後死,四時可愛是新涼。
  從今覓醉其當勉,酒似鵝兒破殼黄。
小生は、鶴女房譚ではなく、鶴譚と見る訳である。

同じことで、蜘蛛女房とは呼びたくないし、報恩譚に組み込んで欲しくない。この場合の蜘蛛は水神に近いからだ。但しそれは鬼神(女性の死霊)。全国津々浦々で語られる"恐ろしき"妖怪蜘蛛と同一のことも少なくない。(妖怪の襲撃が成功し続けているが、最終的に正体を暴かれ、死ぬというのが基本パターン。中国流の対処だと、妖怪や鬼神がでたら即座に抹殺が原則。日本の場合は、事情で必ずしもそうはならない。)

そうそう、水神ということで、アプリオリに、"蜘蛛と蛇は代替されることもありえよう"との見方も避けたい。(たまたま、場所的に滝の神が、絹防錆神と関係してしまうことはあり得そうだが。)

これはあくまでも絹糸紡織にまつわる伝承。木綿以前の、古代から使われている植物繊維系布製作には無関係。動物系繊維の超高級織物製造なので、水に関係してくるのである。蛇神が登場してくるのは、色を紡ぐ前段階の蚕の繭作り過程。蚕を食べる鼠の天敵だから、蛇神様にお願いするだけのこと。
一方、蜘蛛神は水底に潜んでいる女性の死霊。全く異なる次元の神である。・・・蚕の繭から糸をとるためには、先ずは清水に浸ける必要がある。コレが大問題。この過程で糸の価値が左右されるからで、そのノウハウなど無きに等しい。担当者は神聖な場所での命懸けの作業となる。光沢無しだと、汚れた女性とされて水底行間違いなしなのだから。(人身御供もあり得る。)従って、水底には、長年の女性の死霊がウヨウヨ。当然ながら、その形象は織物の神たる蜘蛛。

食わせてもらいながら法要もさぼり遊んでいるような僧侶は、蜘蛛妖怪に殺されるが、そこらの事情を理解している僧侶は見事妖怪を退治できるというにすぎまい。と言っても、注意が必要。東北辺りで絹織物が盛んになった頃はすでに繭を大量に育てていた。すべて煮沸処理で、糸を水に浸漬させる方法などある訳がない。つまり、古代女性の哀しさを感じ取って、絹織物発祥の話として残しておきたかったということ。

(参考)
趙建紅:「中日動物報恩譚考」中国中世文学研究47, 2005
高橋稔:「六朝説話についての一考察」漢文學會々報23, 1964


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