[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.19] ■■■ 蜘蛛をこよなく愛した人々[25] 蜘蛛の俳句にも触れておこう。 夏の句と言えば、すぐに思い浮かぶのが、 朝顔や つるべ取られて もらひ水 加賀千代女[1703-1775年]:「千代尼句集」 蜘蛛の句も収載されている。 蘋[うきぐさ]を 岸に繋ぐや 蜘蛛の糸 蜘蛛の網[イ:圍, 囲]は、夏の季語だが、大きな蜘蛛の巣ではなく、水面辺りに張られた細い糸を見逃さないのは鋭い観察眼。 しかし、正統派を選ぶなら、円網の美しさを詠んだ句だろう。 蜘蛛の囲や 朝日射しきて 大輪に 大櫨の 雨後の一樹の 蜘蛛の網 中村汀女[1900-1988年] ただ、あくまでも造形物を通した感興であり、生物としての蜘蛛への愛おしさ的感情は希薄。そうなると俳人は自ずと決まってこよう。・・・ やれ打つな 蠅が手を擦る 足を擦る 思った通りの蜘蛛俳句がある。蜘蛛の季節に設定されている夏ではない。 隅の蜘蛛 案じな煤は とらぬぞよ 一茶「八番日記」@669年@一茶の俳句データベース 煤祓いの頃の気温だと、陽だまりは別として、蜘蛛君はほとんど活動できない。巣の修復はほぼ不可能。この優しさは、その辺りを理解していたということ。 しかしながら、本当の蜘蛛らしさを十二分に味わいたいなら、ただただ網を張る作業を詠む句となろう。 破られても破られても網を張る蜘蛛 そう書けばすぐに思い浮かぶ自由律の俳人がいよう。 "鉢の子" 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 : 正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 分け入っても分け入っても青い山 : : "山行水行" 千人風呂 : 食べる物はあつて酔ふ物もあつて雑草の雨 炎天のはてもなく蟻の行列 蜘蛛は網張る 私は私を肯定する いつでも死ねる草が咲いたり実つたり : 種田山頭火[1882-1940年]:「草木塔」@青空文庫 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |