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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.12] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[2]
−律令国家体制下では単なる鳥−

「古事記」《下巻》冒頭の鳥だらけの話が終わると、鳥は登場しなくなる訳ではない。
しかしながら、現代的な比喩的表現として使われるだけ。

遠つ飛鳥宮での男淺津間若子宿禰命[允恭天皇]の時代。
意富本杼王の妹 忍坂大中津比売命との間の御子は9柱と。
そのうちの、木梨軽皇子と軽大娘皇女の関係が語られる部分で、間接表現での"目立つ存在"としての雁と直接的表現として"人目を避ける存在"としての山鳩が対比的に登場。
離れ離れでも、鶴が使者として仲を取り持ってくれるという文学的表現も。
結局、比売は伊予に出向いて、二人はそこで死ぬという現代に通用する美しいストーリーが出来上がっているのである。

天皇崩御後、皇太子たる木梨軽太子は、同母の妹 軽大郎女と密通し、恋仲を公然化させてしまう。このため継承できなくなり、伊予に流されてしまう。衣通姫と呼ばれる位の美しい姫君で、相思相愛。
 大前小前宿禰、その軽太子を捕へて、
 率ゐて参出て貢進たてまつりき。
 その太子、捕へらえて歌ひたまはく
  天飛む 軽(ここではに例えた)の嬢子
  甚泣かば 人知りぬべし
  波佐の山の の 下泣きに泣く

流刑になった時にも、詠っている。
 故、その軽太子をば、伊予の湯に流ちまつりき。
 また流たえたまはむとせし時に歌ひたまはく。
  天飛ぶ
  鳥も使いぞ
  が音の
  聞こえむ時は
  わが名問はさね

異母兄妹婚は特殊とはみなされていないどころか、推奨されていたのではないかと思われるが、同母兄妹婚に対しては厳格に禁忌が遵守されていたことがわかる。つまり、対称性が完璧に損なわれている訳だ。この理由付けは難しかろう。従って、どうしてかを語ること自体も禁忌に属していたと見て間違いない。
天皇継承が決まった時点で、その禁忌に挑戦し、世の中から消されてしまったと言えよう。しかし、その疑問は人々の頭に残ったため、このような形で記録に残されたのだと思われる。

政敵を徹底的に殺害したように映る大長谷若建命[雄略天皇]の時代のこと。
長谷で新嘗祭挙行。日の御子に奉ずる歌たる天語歌3つ。
意外なほど、冗長な記述になっていない。

1つ目は、伊勢国三重の采女が大御盞を献じたところ葉が浮いており、打ち首寸前に。そこで、詠んだ歌が素晴らしく、逆になった。樹木信仰の核である榊の葉がコオロコロオと浮脂に浮く姿は不思議な現象なり、という内容。

それに続く2つ目は、それこそ真椿と。
 爾くして大后、歌いき。
  :
 高光る 日の御子に 豊御酒奉らせ
 事の 語り言も こをば

そして、これに答えた天皇が詠む歌が3つ目。
 百敷の 大宮人は 毛志記能 淤富美夜比登波
 鶉鳥 領巾(ひれ)取り掛けて 宇豆良登理 比禮登理加氣弖
 鶺鴒(まなばしら) 尾行き合え 麻那婆志良 袁由岐阿閇
 庭雀(にわすずめ)(うず)集まり居て 爾波須受米 宇受須麻理韋弖
 今日もかも 酒水漬くらし 祁布母加母 佐加美豆久良斯
 高光る 日の宮人 多加比加流 比能美夜比登
 事の 語り言も こをば 許登能 加多理碁登母 許袁婆

 この三歌は 天語歌なり
 かれ この豊ノ楽に その三重のを誉めて
 物多に給ひき

要するに、宮廷につかえる女官を鳥に例えたのである。
"鳥"は、神に使えているとの概念が完成していたことがわかる。

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